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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
変わりゆく未来へ
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――自分達がいる場所からは程遠い、会場の入口付近で新たなざわめきが起きた。


こちらで騒いでいた人達でさえ視線がそちらに奪われる程度には大きなざわめきだ。俺と彼女もふと視線を向けると、人の波が二つに割れ、自分たちの元へまっすぐ道が作られていく。モーゼのように複数名の人物がその中心を堂々と歩いてくるのが見えたけれど、ただただ息をのんだ。


自分達に向かってくる、先頭を歩く人物の存在感が異様だったのだ。


緊張なんてもんじゃない――空気が張り詰める。


畏怖と羨望。


崇高な姿を見るだけで心が震える。


その人の歩む足音さえ取りこぼさぬよう静まり、布の擦れる音さえ申し訳なくなる。


ただこちらに向かって歩いているだけなのに感動してしまう。


一生に一度、会えるかわからないほどの存在に思わず震えて涙する人まで出てくるほどに。


多くのスマホが掲げられた。


カシャカシャとシャッター音が鳴り響く。


その人を写真に収めようとスマホのカメラを構えるも、緊張のあまり指が震えてシャッターを押せない人もいるほどだ。


全身から放たれるオーラが、波のように足元に押し寄せて。


誰もがその人の登場に目を見張り、名前を知らなくても顔を知らなくても、その人物がどういう存在であるかは脳が勝手に理解する。


黒いベリーショートの髪型に細身の長身、パンツスーツ姿のその先頭を歩く人物が自分たちの目の前にたどり着いた瞬間、彼女はポツリと呟いた。


「……お、お母様?」

「久しぶりね縁。綺麗になったわね」


目の前で微笑み佇むその人は黒澤財閥第十四代当主であり、黒澤グループ現総帥であり、そして彼女の母親である黒澤真織で。


ふわりと微笑む母親を目の前に、彼女は俺から離れてくしゃっと顔を歪めたように笑う。今まで見たことがない“娘”としての彼女の表情だと気が付いた時、新しい一面を知る事にドキリと胸が跳ねる。まだ彼女にドキドキさせられることが残っていたのかと思うと嬉しくて。

優しい瞳で彼女をしばらく見つめていたものの、自分が注目されているのを理解しながら真織さんは周囲に穏やかな声で告げる。


「お楽しみの所、水を差すような事をしてごめんなさい。仕事の合間にほんの少し時間ができたから顔を出させてもらったわ」


威厳とは違う何かが声色に含まれている。全てを許してしまいそうな、許されたいと願ってしまうような穏やかさの中に芯のある声は周囲の心にストンと落ちる。真織さんが改めて自分の娘を愛おしそうに見た後、隣に立つ俺に視線を向けたタイミングで、あろうことか常務が口を挟んできた。


「あっ、おっ、く、ろ、黒澤総帥っ! お話がっ!」


が、振り返った真織さんの視線に、流石の常務もたじろいだ。


一流企業の常務としては確固たる地位を築いてはいるが、目の前に立つ人物にとってはその一流企業も一つの傘下であり、いくつもの関連企業及びグループを総括する事実上のトップだ。洗練された立ち振る舞いは付け入るスキもなく、穏やかな表情ながらも抜け目のない眼光の鋭さは息をのむ。

それでも今ここで俺を排除しておかなければという私情が常務を突き動かしたのだろう。勢いもあって声をかけたものの、振り返った真織さんは微笑みながらバッサリと切り捨てた。


「悪いけど、今はプライベートなの。話はアポを取ってもらってからでいいかしら?」

「あっ、えっ……」


聞いてもらえないとは思ってもみなかったらしい。なぜ自分の意志が簡単に通ると思ったのかは定かではないが、遥かに年上の常務に対しても譲歩することのない真織さんに二の句が継げない。そんな常務に対し真織さんは後ろに控えていた一人に視線で指示を出せば、その人は小さく頷き常務の対応を始める。蚊帳の外へと追いやられた常務は、真織さんに直接携わる相手を無下にもできず、こちらの様子を憎らしげに眺めながらも必死に取り繕っているようだ。

流れるように対応を部下に任せた真織さんが改めてこちらを振り向くと、俺はその笑みを見つめながら微笑み返して深くお辞儀をしながら挨拶をした。


「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。縁さんと結婚させていただきました、片山葉です。ご報告が事後になってしまい深くお詫び申し上げます」

「初めまして。縁の母、黒澤真織です。……とは言っても、私は一度、貴方の事をお見かけした事があるの」

「えっ? あ、す、すみません……記憶になくて」


頭を上げたものの予想外の事を言われたため慌てて謝罪すると、真織さんは小さく首を横に振りながら笑って。


「ふふふっ、いいえ。私が一方的に見かけただけなのよ。まだ縁とお付き合いする前かしら? 体調を崩したこの子のお見舞いに来てくれた事なかった?」

「あ……はい、確かに一度ありました」


それは彼女がまだ西條としてバイトをしていた頃の話だし、確か風邪を引いた彼女の代わりに弟さんが対応してくれたやつだ。見舞いと言っても当人には会っていなかったからすっかり忘れていた。真織さん曰く、自分自身も仕事の合間に少しだけ時間が出来、彼女が風邪を引いたと聞いていた事から心配になって当時使っていたアパートまで来ていたらしい。

アパートの前で車を停めてもらったタイミングで俺が来たから様子を伺っていたのだが、アッサリ帰っていった事に驚いたという。立場を知らずとも彼女は美人だ。何かしら見返りを求めての見舞いなのかと考えていたのに、出てきた男性との関係を問うでもなく見舞いの品だけを置いていった事が真織さんの興味を引いたらしい。母親として娘が心配だったのだとハッキリ言ってもらうと、逆に潔さがあるしあの時の俺にそう言った意味での後ろめたさはなかったので素直に受け入れる。

けれど一度気になってしまったからには、俺の身元を即座に調べられたようだ。付き合い初めてから身辺調査をしたとは聞いていたが、まさか財閥トップがそれ以前より俺に意識を向けていたと知って度肝を抜いた。隣にいた彼女に視線を向けると、彼女自身も初耳だったらしく驚いている。


「入籍の件については主人からGOサインを出したと聞いていたし、この子の立場上、順番が逆になっても仕方がないわ。私も忙しくてちゃんとしたご挨拶の席を設けられなくてごめんなさいね」

「いいえ。それを理解した上での結婚でしたから、そう言って頂けるとこちらも気持ちが楽になります」

菱伊ひしい総合中央病院の片山院長の息子さんなのよね? 片山さんには以前お会いしたことがあるわ。葉君――とお呼びするわね? 葉君のご両親にもちゃんとご挨拶できないのが申し訳なくて」

「会ったら伝えておきます」

「そうしてくれると助かるわ」


緊張しないと言えば嘘になるが、彼女の母親だと思うと少し気持ちが楽になる。親父に会った事があると言われるとなおのこと勝手に親近感がわくが、あくまで親の知り合いという程度の親近感であるが。真織さんが俺の父親の肩書きをワザと言ったのだろうか、周囲はもちろん、後ろで聞き耳を立てていたらしい常務と御仁は驚いて俺を見てくる。何度か小さなざわめきは起こったが、周囲は会話の一つ一つを取りこぼさないようざわめきは比較的静かなままだ。

彼女を登場させるのは当初から予定していたのやっと出せました。

縁が風邪を引いた時に黒い車の後部座席から葉クンを見ていたのは彼女でした。回収回収。

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