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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
変わりゆく未来へ
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78

最終章です

こつ、こつ、こつ、と規則正しく鳴る音は、彼女が自分のデスクを指先で打つ音だ。


静まり返った人事部の本部長室には、椅子に座った彼女がニヒルな笑みを浮かべてこちらを見据える。


その前には緊張の面持ちで立ちすくむ俺と、隣に並んで頭を九十度以上下げたまま動かない茂住さんが居て。


かれこれ数分単位でこの状況が続いている気がするのは、静寂が思わせぶりな態度をしているからかもしれないが、自分達――というより茂住さんは、ただただ頭を下げたまま彼女の反応を待ち続ける。額に汗が滲もうと、隣で俺が深く息を吐こうと微動だにしない。

そんな茂住さんのつむじを見つめたまま、彼女はクッと笑った。


「私はね、茂住」


緊迫する彼女の声に茂住さんの体がわずかに揺れる。けれど顔をあげることなく続くであろう言葉を待ち続ける茂住さんの姿に、最早尊敬の念すら感じ始めているのだから俺も大概だろう。


「貴方の配偶者である怜子さんにはとてもお世話になっているの。社長秘書という立場でありながら、私のような若輩者にも気にかけてくれて配慮してくれる。そして怜子さんの夫である貴方にも勿論、期待しているのよ」


そう言って彼女は一呼吸置いて。


「片山という優秀な人材を見つけ育ててくれている部分も頼もしい限りだし、貴方の交渉技術は抜きんでている。そう……私は貴方を評価していたのだけれど……間違いだったようね」


辛辣な評価の掌返しに茂住さんは唇を噛みしめて。


「い、いかなる処罰も受け入れます」


頭を下げたまま覚悟を決める茂住さんの言葉に、彼女は恐ろしい笑みを浮かべながら「へぇ?」と零す。不意に俺に視線を向けた彼女が口パクで「どうする?」と聞いてきたので、俺は苦笑しながら「どうしようね」と小さく首を竦めて見せた。



 ◇◆◇



――彼女と入籍してから一か月が経過した。


バタバタは相変わらず続いて、俺は仕事に復帰したばかりだし、彼女も仕事を辞めるつもりだったのだが結局続ける事にはなって社長も一安心して代償として滅茶苦茶仕事を押し付けられたらしい。いくつか人事部の範疇を超えるものだったらしいので、珍しく泣きごとを言っていたが身から出た錆びなので、自分でその錆を磨いて戻しなさいと突っぱねた。


俺からは流星君と両親には入籍だけ済ませた旨を伝えており、流星君は自分の事のように喜んでくれたし、母親にはおめでとうの後に「結婚式は絶対やるのよっ!」と釘を刺された。親父にも連絡すると話があると呼び出され、新しい住まいとなっているこじんまりとしたマンションの一室で渡されたのは俺名義の通帳と印鑑だった。


「相手方のご実家が名家であるから、これは足しにもならんかもしれんが。結婚資金に使いなさい」


おめでとうより先に体裁かよと思いながらも通帳を確認して驚いた。


「はっ!? 何この金!?」


驚き過ぎて感謝より先に問い詰めてしまったのも無理はない。通帳には驚く金額の記載があったからだ。パラパラと振り込み履歴を遡れば、月に何度かに分けて振り込まれており、長らくコツコツと貯めてきたものだと理解できて。


「……一人息子が幸せになるのに、手助けしたいと思って何が悪い」

「は……」


いや、え? ちょっとまって。何コレ? 誰コイツ? 親父?


言葉を失って凝視すると、親父はムスッとしたままけれど気まずそうに視線を泳がせて。


「今度、お前の嫁さんにご挨拶させてもらいたいから予定を聞いておきなさい」

「……あ、うん。……親父って」

「なんだ?」

「……いや、言うと怒るからやめとく」

「言いかけたなら最後まで言え」

「怒るからいい」

「言え」

「可愛いとこあるなぁ」

「葉!」

「ほら怒るじゃんっ!」


あれほど怖いと思っていた親父と、いつの間にかこんな風に会話できるようになっていた。ずっと怯えていたのは自分で、そんな俺にどう接していいかわからなかったのかもしれない。意外と気さくに話せるんだと気が付けば、もう少しこの人とも会話してみようという気さえなって。


「その前に俺と一回飲みに行こうよ」

「……俺は下戸だ」

「マジでっ!?」


今までそういう機会がなかったから知らなかった。そう言えば親父の周りには伯母さんがウロウロしていたから、一対一でまともに話すのも久々だ。


「……お前が勤めていたファミリーレストランなら行ってやらんこともない」

「回りくどい。一緒に行こうって言えばいいのに」


ふんっ、と親父が顔を逸らしたけれど、心なしか耳が赤くなっていたので思わず爆笑して。


「葉」

「っくっくっ……な、なに?」

「……俺は、いい父親ではなかった」


突如として語りだした親父の懺悔は、驚くほどすんなりと自分の心に浸透する。目を細め、皺が増えた顔をクシャリと歪めながらも威厳を携えて。


「結子にとって、いい夫でもなかった」

「……うん」

「お前は結子に似て芯がある。間違っても俺のようにはならないだろう」


自分のようになるな、と暗に言い含むその眼差しは穏やかだ。この人も伯母から離れてようやく憑き物が落ちたように母や俺の事を考えるようになったようだ。いくら懺悔されてももう遅い。けれど、今の年齢からでも変わろうとしている親父を突き放せはしない。


「――幸せになりなさい」


物静かで低い声が、俺に願う。

まっすぐに見つめる親父はこんな風に穏やかな表情もできるのだと初めて知った。


「ん、サンキュ」


親父は親父なりに祝福してくれているようで、照れ臭いしむず痒いけれどようやく親子になれた気がした。


そんなエピソードを携えて戻った先は、彼女の――否、俺達新婚のマンションだ。


流石に俺のアパートは手狭だし、新しい居住場所を探すには時間がかかる。彼女のマンションを新居としようと二人で話し合い、俺の荷物は空いた時間にコツコツと運んでいたが、なかなか事が思うように運ばない。引っ越し業者を入れる事も考えたが、仕事が忙しくて手続きをする暇がない。そんな愚痴を零していたところ、流星君が手伝いを買って出てくれたため、結婚して一週間後の週末には全部の荷物を運び入れる事が出来た。下水道や電気、アパートの解約などもしなければいけなかったので本当にバタバタしたものの、玉緒さんも手伝ってくれたために新居での荷ほどきはあまり自分ではやっていない。


共働きのために玉緒さんは引き続き来てくれるそうで、正直互いに負担がないのが本当にありがたい。長年一人暮らしをしていたのでやろうと思えばできるのだが、彼女の生活を変えるのは本意ではない。一切の家事の基本は玉緒さん任せであるのだが。


「お、お帰りなさい」

「……ただいま。珍しいな」


キッチンで出迎えたのは玉緒さんではなく彼女だった。


いつもはどんなに忙しくても俺が先に帰って、彼女を迎える形になることが多い。平日は何となくその日あった事を話してすぐに寝るような生活を送っていたのだが、結婚してから彼女に迎えられるのは初めてだ。

ちょっとだけ照れ臭そうにおかえりと言う彼女を愛おしく思いながらも歩み寄れば、手を拭きながら近づいてきてくれる。俺の前に立ってはにかむ様に笑いながら見上げて。


「せ、せっかくだから新婚さんっぽいことしたくて。ご飯作ったんだけど、食べる?」


俺の妻、可愛すぎない?


「食う」

「あ、でも仕上げは葉クン帰ってきてからって思ってて、もう少しだけかかるんだけど」

「じゃあ先に手洗いと着替え済ませてくる」

「うん、じゃあその間に作っておくね」


そういってキッチンに踵を返した彼女の背中を数秒見つめ、はやる気持ちを抑えて部屋着に着替える。こんなハイソなマンションに似つかわしくない白Tシャツに黒ジャージのズボンというものだったが、彼女はその姿を見ると「似合うね」と笑い、続けて「それ、サイズぶかぶかだから新しいの買おうね」と言われてしまったので、多分お気に召していない。

残念ながら部屋着になりそうなものがこれくらいしかないのだ。太っていた時から着ているものだから確かにヨレヨレだしぶかぶかなのだが、体に馴染んでいて手放しがたい。


洋服って、捨て時が一番シックリ来るんだよなぁ、なんてことを思いながらキッチンカウンターに座ると、タイミングよく俺の前に料理を差し出してくれた。



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