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メソメソと泣き続ける茂住さんに対して、俺は困り果てながらも笑いながら言った。
「逆にこちらも申し訳ないです。まだ退院の目途がたっていないので仕事も滞るでしょうし。ああ、でもそう考えると俺でよかったのかもしれません。まだ仕事ではお役に立てないので」
励ますように告げた言葉に、茂住さんは手の甲で涙をぬぐい、次の瞬間には俺をギッと睨んで。
「片山っ! お前は俺に謝れっ!」
唐突な謝罪要求に俺はもちろんの事、隣に並んでいた流星君も驚いた。いつも冗談交じりで温厚な茂住さんから想像できない形相に言葉を失う。
「怪我をしたのが自分でよかったなんて言うなっ! 仕事で役に立てない? お前は本気なのか謙遜のつもりなのか知らないが、自分を貶める発言はお前を育てた俺に失礼だ。自分を卑下することで自分を守れるかもしれないが、周りが傷つく可能性を自覚しろ!」
一応、病院であるという事を考慮して声こそ静かなものの、その言葉一つ一つに重みと強さがある。目を真っ赤にしながらも真摯に告げる茂住さんの言葉の意味を理解した途端、自分の中で渦巻いていたわだかまりを解く最後のピースのようにカチリとはまる。
――自己肯定感が低いと言われ続けてきたが、それは同時に自分の人生を形成してくれた今まで関わってきた人達を全て否定することと同じなのだ。本当は自分を認めてくれる家族も友達も恋人も確かに存在したのに、たった数人に否定されたことを拾い上げてずっと勝手に傷ついていた。俺なんか、俺なんて、と言うのは簡単だが、それによって誰かが傷つくかもしれないという想像ができていなかった。
「卑下するな。前を向け。周りを見ろ。お前の命が助かって泣いた人が何人いる? その人達に面と向かって言える言葉か考えてから言え。傲慢になれと言っているわけじゃない。お前に足りないのは自分を大切にする気持ちと、誰かが自分を大切だと思ってくれているという想像力だ」
三十代にもなって怒られるというのは恥ずかしい反面、貴重だとも思う。茂住さんのように面と向かって大人を叱るというのもまた勇気がいることだ。
俺を見出してくれたのは間違いなくこの人で、茂住さんは本当に俺を育ててくれようとしているのだ。仕事以外にも人として。
だからこの人についていきたいと思える尊敬できる人だ。
「すみませんでした」
素直に謝れば、茂住さんはふにゃりと笑って「ああ」と言い、それから笑顔のままウルウルと瞳を潤ませたかと思うとまた泣き出して。
「でもやっぱりごめーん! そんなこと言わせてホントごめんっ! 俺も謝らせてぇ!」
自分で台無しにするあたり、茂住さんらしいなと流星君と思わず顔を見合わせて、珍しく彼も声を上げて笑った。
「じゃあ退院したら今度こそ食事に行きましょう。チーム単位でいいので、快気祝いでもしてもらえたら嬉しいです」
「うぁぁっ! 片山君マジで優しいっ! 絶対するっ! 今度こそちゃんとするっ!」
しばらくグスグス泣いていた茂住さんだったけれど、このあと診察があるというので流星君を残して退室することになった。俺のお見舞いはついで、というわけではないが同じ病院に通っているのは楽だ。
菱伊総合中央病院に今回の被害者が集まっているのは、元社員が起こした事件だからだ。俺が院長の息子だからという理由ではなく、被害者全員がこちらの病院にお世話になっている。公道で起こった事件のため大々的なニュースになっており、犯人の私怨かつ身勝手な犯行は、ワイドショーで流すには打ってつけだ。コメンテーターが好き放題言っているのを見て当事者としては複雑な感情だ。被害者にマスコミが押し寄せないよう会社側から配慮があり、系列で一番大きい病院に入院または通院しているため対策は万全である。
入院しているのは俺だけで、他の患者に迷惑をかけないよう特別室を充てられており、政治家なんかも利用する個室の為普通よりかなり広くてシンプルながらも豪華だ。
退院後、もしマスコミに追い回されるような事があるのであれば、会社側がマンションを用意するのでしばらくの間、そちらで生活してもらっても構わないというお達しもあった。家賃は取らず、生活必需品も揃っているセキュリティの高いマンションで至れり尽くせりな内容に驚いた。茂住さんは家族と共にすでにマンションに移ったらしく、そこから出勤しているとのことだ。やはり自分が被害者になったことはもちろんだが、家族に迷惑がかかるのは本位ではない。
生憎、茂住さんの伴侶である涼子さんも同じ会社に勤めているため、状況も素早く理解し子供たちを守るために動いたという。
悪いのは傷害事件を起こした元店長であり、会社に落ち度はないはずだが元社員というレッテルは決して剥がれない。
茂住さんを見送った後、流星君は改めて「無事でよかったです」と言ってくれているものの、その顔色は優れない。
「まだ療養中の葉さんにこのような事を伝えるのは憚られるのですが……」
と、前置きをしたうえで、やはり言うべきかを悩んでいるのか少し間を開けたのだが。意を決したようにそれを口にした。
「その、ゆか姉ってお見舞いか、もしくは連絡って来ましたか?」
流星君が言いにくそうに伝えた言葉に、俺は苦笑しながら小さく首を横に振って答える。その回答に「やっぱり」と小さく呟いてから険しい表情を浮かべる流星君が何かを伝えようと、けれどどう伝えていいかわからない様子で口ごもる。
――そうなのだ。俺が目を覚ましてから彼女は一度も来ていない。
関係性がバレるのが嫌なのか、それともただ忙しいだけなのかはわからないが彼女に会えていない。もし自分が意識のない時に来ていたのならばそれでいいのだが、メッセージを送っても既読にさえならないのだから不安が募る。
そりゃあ全国ニュースにもなった事件だから、彼女が関わってくると余計にこの事件は大きく取り上げられるだろう。彼女は現在、婚約したというニュースが流れている。俺の見舞いに来るという事はその相手を暴露するようなものだし、互いにそれ相応の覚悟が必要だ。なにより婚約者が俺であるとなれば、事件はますます大げさに取り沙汰されるだろう。
そういった意味で我慢してくれているのであれば心配は杞憂に終わるのだが、如何せん連絡が取れないのが不可解だ。
「……蝶叔父様――社長が今止めてるんですけど。ゆか姉、仕事辞めるかもしれません」
「は? なんで?」
急な話についていけない俺が動揺すると、流星君は残念そうに首を小さく横に振る。
「わからないんです。ただ、この事件があった直後から無断欠勤が続いて。蝶叔父様が機転で有給扱いにして本人に確認したんですけど、連絡が取れないそうです」
「行方不明って事?」
「いいえ、たぶんどこにいるかまでは把握しているはずなんですが、俺は教えてもらえなくて」
「有給扱いっていうのは?」
「一応、急病のような扱いにしていますけど、どこからどう情報が洩れるかもわかりませんし、何よりゆか姉がどうしてそんなことをしているのかが明確でないので何とも」
詳しい情報は何ひとつわからないのだが、流星君がそう判断した理由は何かあるはずだ。それを問うかと口を開いたタイミングで、病室のドアがノックされる。
「はい、どうぞ」
誰だろうかと返事をすると、顔をのぞかせたのは見知らぬ男性だ。流星君に至ってはその人が入ってきた途端、酷く驚いていたので顔見知りなのかもしれない。
「失礼、こちら片山葉さんの病室でよろしいですか?」
丁寧な物言いをする声は低くもダンディズムを感じ、年齢不詳な――けれど若い時は確実にモテたのだろうという容姿と、スラリと長い足と身長が印象的で。男性としては襟足が幾分か長くなっている髪も決して不潔には感じず、釣り目なのに穏やかに微笑むその目に何となく見覚えがある。
「はい」
ベッドの上で返事をすると、男性はふわっと微笑んで病室に入ってくる。
「失礼します」
そう言って歩み寄ってきた人物に、既視感を覚える。
あ――似てる。
流星君が入ってきた男性に席を譲り「お久しぶりです」と告げる。男性は流星君に挨拶を返しながら、俺に小さな紙袋を差し出した。
「何せ急だったものだから、大した見舞いの品も用意できず済まない。プリンは好きかい?」
「あ、ありがとうございます。頂戴します」
そう言いながら受け取って紙袋の中身を確認すると、瓶詰のプリンが二個ほど鎮座している。確認後、流星君が気を利かせてそれを受け取り、中身のプリンだけを取り出して病室の小さな冷蔵庫に入れておいてくれる。男性はその様子を横目に流星君に譲ってもらった椅子に座りながら俺を見る。その視線に少しだけ緊張しながら上ずった声で挨拶をした。
「あの、初めまして。ご挨拶が遅れてすみません。縁さんと結婚を前提にお付き合いさせていただいている片山葉です」
「こちらこそ、このような状況にも関わらず押し掛けてすまない。縁の父、黒澤緒凛です。……わかっていたようだけれど」
パパ登場。




