07
数日後、彼女の部屋を見舞いで訪れてから初めてシフトが被った。
仕事の合間を縫って、彼女は自分に駆け寄ってくると相変わらず腑抜けた笑みを浮かべてみせる。
「片山さん、この前お見舞いありがとぉ」
「いや……もう大丈夫か? あと敬語」
「うん、元気になったよぉ」
そう言って彼女はふひひっと笑う。
「それは良かった。だから敬語」
「あ、ところでねー、テンチョーにはもう伝えたんだけど」
「敬語」
「あのね、私今回のシフトでバイト辞める事になったからぁ」
「だから――は?」
唐突な事に思わず顔をあげるが、彼女は差して変わらぬ態度で自分を見上げている。
「お仕事決まったのぉ。片山さん、就職祝いしてぇ」
自分より先に正社員になったことを妬ましくも思うが、何もバイトが辞めていくのは彼女が初めてじゃない。
わだかまりがあるのは自分だけらしく、能天気に就職祝いを所望する彼女に対し、素直にお祝いの言葉を述べる事にした。
「……そりゃ、就職おめでとう。仕事するなら敬語直せよ」
「敬語直したら就職祝いしてくれるぅ?」
「それとこれとは話が別だ。せめて語尾を伸ばすな」
「ぶー。ケチぃ」
言っても聞かないコイツをどうしてやろうか。
本当にやっていけるのかと不安になるのは彼女は如何せん、実年齢より言動が幼過ぎるのだ。
まぁ、彼女の就職後を自分が心配しても仕方がない。きっとその役はこの前居た彼氏がやってくれるだろう。
そう考えたら、自分が出来る事は職場の先輩として彼女が気持ちよく退職できるように努めるだけだ。
どうせ最後なのだから――そんな軽い気持ちで、両手で彼女の頭をわし掴むと、元々それほど整っていない髪をわしゃわしゃに撫でまわす。
彼女の小さい頭は自分の手の動きに合わせて、ぐわんぐわんの大きく振り回され、当の本人は「ぐにゃー!」とわけのわからない叫び声をあげて。
「可愛い後輩が居なくなるのはさみしいねぇ」
ようやく動きを止めて、彼女の頭に両手を乗せたまま嫌味満載の笑みを浮かべてそう告げれば。
「っ……いじわるっ!」
彼女が涙目になって上目遣いをしてきたのは、さすがにやられた。
「お前……かっわいいなぁ!」
「……へっ!?」
あ、やべ。思わず本音が出た。
彼女の頭から手を離したものの、自分が放った言葉は戻るはずもなく。もちろん届いたであろう彼女は、みるみる頬を紅潮させて、その波は耳まで押し寄せたらしい。
ほんの数秒だけ二人の間に沈黙が走ったものの、彼女は赤い顔をコテッと傾げながら相変わらず上目遣いで尋ねてくる。
「……片山さん、私の事可愛いと思ってくれてるの?」
改めて聞くな、馬鹿。
「……思ってるよ」
ホントの事しか言えない俺はもっと馬鹿。
素直に言い過ぎたと口を押さえて、彼女に負けず劣らず顔を赤くしてしまう。
嫌いだったけど今はそこまで嫌いじゃない。
異性として見られるかと問われれば、ばっちり彼女は自分にとって異性である。
だからって特別な感情を持つことはない。彼氏の居る女性なのだから当然だ。略奪という言葉は好きでない。平和主義なのだ、俺は。
そんな事を悶々と考えている俺の気持ちも裏腹に、彼女は鳥の巣みたいになってる髪をてぐしで整えながら、ホントすっごく間抜けな……ウソ、めちゃくちゃ可愛く、へちゃぁっと嬉しそうに笑うから。
彼氏の存在なぞぶっ飛んで抱きしめたくなったのは、ただの友愛だと言い聞かせ、思わず出た両手をグッと握りしめた自分の理性に、惜しみない称賛を送りたいと思う所存である。
「……あと一ヶ月、よろしくな」
「はぁい」
そんな風に報告を受けたところで状況がすぐに変わるはずもない。
店長は相変わらずうるさいし、彼女も負けず劣らず茶々を入れてくる。頭を下げるのは俺だし、店の利益が本格的にマズイ状況になり始めた時にそれは発覚した。
◇◆◇
「レジの過不足、勝手に補填してたぁ?!」
事務仕事をしていた俺のもとにやってきたのは、大学生のバイト――穂坂に付き添われた女子高生のバイトの塚原だ。
涙を浮かべ、真っ赤な顔で謝罪する塚原に思わず声を荒げたものの、慌てて怒っているわけではない事を告げる。
「すまん、大声出して。怒ってるわけじゃないんだ」
そう言えば、彼女は少しだけホッとしながらも、表情は硬いままで付き添われた穂坂に肩を支えられながら詳細を教えてくれた。
最初はほんの数百円だった。
レジ点検の際に、月に一度か二度は起こりうる範囲の誤差だったため、二度三度と数えなおしたが、不足が間違いでなさそうだったために用紙にもしっかりと記載していた。
それについては自分も把握していたため、別に指導範囲ではない。
しかし、それから数日現金の過不足状態が続いたという。
売上の伝票とレジの中に入っている現金の誤差は少しずつ大きくなっていき、次第に千円から二千円と笑えない状況になっていた。
しかし、点検していた彼女は数えた自分が悪者にされると怯えたらしい。あの店長に告げれば、彼女が悪くなくてもきっと彼女のせいにするだろう。
高校生ならなおさらの事だったとは思うが、事の重大さよりも自分が叱られるのを回避する事を選んだらしい彼女は、自分の財布からコツコツと補填し、現金過不足を隠していたらしい。
全日、彼女がチェックしているわけでもないのに、なぜ今まで明るみに出なかったのか。
どうやら彼女以外にも同じような事をしていた子が何人かいる、という事が発覚したためだ。これは付き添いの穂坂が、周囲にも確認したところ、実は――と名乗り出たバイトが数人いたという事で、細かいところまでは聞いていない。
どんなに補填しても増えていく過不足に、高校生の塚原の財布から補うことが難しくなるほどまでになっていた。
苦渋の選択として、仲の良かった穂坂に相談したところ、内容の重大さから即座に店長にあげるより、とりあえずは俺に報告すべきだという結論に至ったという事で。
涙を流し出した塚原が、すみません、すみません、と可哀想なくらい謝り倒してくる。
「この子、自分が補填していた分の日付と金額、ちゃんとメモしていたそうです」
泣いている塚原の代わりに穂坂が、彼女から受け取っていただろうメモ用紙を俺に差し出してきたため、俺は受け取って視線を落とす。目を通している間に、穂坂は塚原を必死に慰めていたももの、想像以上の金額に俺は頭を抱えた。
「結構多いな……自然な過不足とは考えにくい」
「私もそう思います」
独り言のつもりで呟いた言葉に、穂坂が返答する。
千円単位の過不足なんて、普通にレジをしているうえでは発生しがたい状況だ。それが日を置きながらもここ一か月で合計五万以上ならなおの事だ。
正直、店長は役に立たないが、これを上に報告しないわけにはいかない。
売上の計上も精査し直しだし、補填していた塚原にこの額を返さないといけない。
思案にふけていたものの、俺は即座に塚原からもらったメモをコピーして、原本を返しながら告げた。
「ここまでいくと店長に話を上げなきゃいけないが、君のせいでないことはちゃんとわかっているからフォローする。あと、補填してくれたお金だけれど、返せるようにするから」
そう言って高校生のバイトに感謝を告げると、塚原はまたワッと大きな声をあげて泣き出して。
「ごめ、っなさっ……こわっ、こわくてっ……言えなくてっ……」
止まらない涙を必死に拭いながらも、自分の気持ちを弁明しつづける塚原に、少しならずか同情してしまう。
「まぁ、怖いわな。俺だって今から店長に報告すんのこえぇけど。俺は怒鳴られ慣れてるから」
少しでも彼女の気持ちが晴れるならと、軽い口調で告げてみせてば、頬を涙で濡らしたまま、驚いた表情を浮かべていた。
「……あのっ、片山さんはっ……怒らないんですか?」
その一言に、俺は思わず言葉を失った。
俺にとってはまさかの一言で、彼女達にとって、自分も店長も差して変わらない存在である事実がショックだ。
けれどそれが自分自身が保身に走った結果だということを受け止めるしかない。
「報告しなかった時点で確かに怒るべきだったかもしれないが、君が言いだせなかった原因は、上の者が作り出していた店の険悪な雰囲気だ。反省するのはむしろこちらの方だから、君はいい勉強になったと思ってくれたらいいよ」
「っ……!」
「正直に言ってくれてありがとう」
「は、はいっ……!」