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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
日常は唐突に
6/87

06

デートと呼べるほどの事もせずに、結局駅構内でボーっと人間観察をしてから二週間。

あの出来事以来、何が変わったかって言えば、正直なにも変わっちゃいない。


一応、詫びとして彼女の父親のものだったというTシャツを弁償し、ついでに女性が好きそうなマカロンの詰め合わせを一緒に渡せば、満足そうだったのでこれで貸し借りは無しだと思っている。

二人きりになることなんてめったにないし、その後交わした会話は業務連絡ばかりで色気なんてない。

期待していないというか、もともと嫌いだった人間を少しだけ見直しただけで、態度を急変させるのもおかしい話だ。

第一、プライベートで世話になったからといって、仕事の手を緩めるなんてことはしたくないし、相変わらず仕事では使えるのか使えないのか微妙な立ち位置の彼女に苛立つのは毎度の事。

彼女の見方が変わった事によって、彼女を好いている連中の気持ちがほんの少しだけわかるようになった、ただそれだけの変化だ。


そう――自分では思っていても、深層心理は分からないものだと思い知らされた出来事が発生する。


既に残業時間に突入していたが、俺はシフトを組むため一人事務所でパソコンに向き合いながら電話をかけていた。

どうしても休日の昼間に埋まらない枠があり、昼間メインの人を順々に当たっていく。が、どうもその時期は学生のテスト期間で出たがらない。大学生も何かと忙しいらしく、パートのご婦人方は家庭持ちばかりのため、休日はほとんど出てもらえない。

それでも誰か引っかからないかと片っ端から電話をかけてみるが、結局、夜メインで入ってくれている彼女にまでたどり着く羽目となって。


いかんせん、あれ以来電話で話すのは初めてだ。


面と向かって店の中で会話したことは何度もあるが、周囲に他のバイトも存在していたからそこまで気に留めることもない。

一対一で会話するのはあれ以来だと考えると同時に、自分がなぜこれほどまでに緊張しているのか、ちょっとだけ馬鹿らしくなって。


「お疲れ様です、片山です。西條さん、今お電話大丈夫ですか?」

『……お疲れさまです…………だいじょーぶ……』


どうせいつも通り間抜けな声で対応されるかと身構えていたのに、何か様子がおかしい。


「……? 西條さん?」

『ッケホ……はぁ~い……』

「もしかして、風邪ですか?」

『……ん、ちょっとだけ』


電話越しの彼女の声が息苦しそうで、吐息も短く辛そうだ。

心配したものの、用件を伝えなければという気持ちも複雑に絡み合い、遠慮がちに続ける事にした。


「体調悪いところすみません、少しシフトのご相談が――」


そう言いながら苦しげな彼女の呼吸を聞きつつ、入ってほしい日にちと時間帯を告げる。

いつもよりのんびり――たぶん、思考が回っていないのだろう、時々ケホケホと咳を零しながらも返答してくれた。


『ん……その日、だいじょーぶそう。入れてください』

「ありがとうございます。助かります」

『あーい……』

「……おい、大丈夫か?」


敬語が取れたのは、思わず、だ。

体調が悪い相手にいつまでも電話を繋いでいる方が酷なのかもしれないが、彼女は確か一人暮らしのはずだ。頼れる人がおらず、一人ぶっ倒れているなら心配せずにはいられない。


『ふふっ……片山さん、心配してくれてる……』


こっちの気持ちなぞ知りもせず、馬鹿みたいに嬉しそうに電話越しに笑う彼女の声に、眉間にシワを寄せてしまうのも仕方がない。


「そりゃするだろ……。一人で大丈夫か? 飯は? 薬は?」

『ごはん……? ……クッキー食べたぁ』

「そりゃ飯じゃねぇよ」


本格的に心配になってきた。


電話の向こうで意識朦朧としているであろう彼女から必死に病状を聞きだし、手元にあったメモに書きだしていく。既にろれつが回らなくなってきている電話を早々に切って、ようやく埋まったシフトの最終チェックをしてから印刷して無造作に折りたたむと、パソコンの電源を落として帰宅の準備をする。

残ったバイト連中にあいさつを済ませて店を出ると、流行る気持ちを押さえながらドラッグストアに飛び込む。

握りしめたメモを開き、くしゃくしゃになった彼女の症状を見つめながら、買い物カゴにゼリー飲料やスポーツドリンク、レトルトのおかゆを入れていく。症状に見合った薬も一緒にだ。

品物選びがいささか乱暴になっているのはご愛嬌だ。


早々に会計を済ませ、ザカザカとビニール袋を鳴らしながら彼女のアパートまで歩いていく。


そして彼女の部屋の前まで来て、自分の行動にはたと気づくのだ。


なぜ自分はここまで甲斐甲斐しくやってきてしまったのかと。

電話で会話してからここまでの行動は自分でも驚くくらいスムーズなものだった。ただ目的地へ着くための過程を順序良く辿ってきたのだが、仕事場の同僚が風邪を引いて見舞いに行くことは、別段おかしい事ではないよな、と自分自身に確認する。


まぁ、ここまで来てしまったし、見舞いの品も買いそろえた状態でやっぱりやめましたは逆に面倒だ。


意を決してインターホンを鳴らしたのだが、すぐに家主が現れる気配はない。

風邪が酷くて中で倒れているのかと心配し始めた時、ようやく重苦しい部屋のドアが開いたのだが。


「はい」


出てきたのは見知らぬ若い男だった。

ワイシャツでノーネクタイ、スーツパンツを身に着けた二十代の男性は、開いたドアに手を掛けたまま自分を迎えた。

今時の塩顔イケメンというのだろうか。とにかく自分よりもはるかに異性にモテるいでたちで、すらっとした長細い足の先はラフなもので素足である。

全身をくまなくチェックされる視線の動きがはっきりとわかり、彼の正体に対する疑問もさることながら、彼もまた自分が何者なのかを見定めている事に気が付いて。


「……西條さん……のお部屋で合ってますよね?」


部屋番号の間違いがあったかと一応確認してみたものの、訝しげに「そうですが……」と答えた男性の姿に、なぜかガッカリする。

それを表情に出さないまま、用件を告げた。


「あの、自分は西條さんのバイト先の同僚で、片山と申します」

「……バイト? ……あ。なるほど。バイト(・・・)ね」


一瞬、意味深げな言い方をされた気がしたものの、特に意味を理解するつもりもなく、手に持っていたビニール袋を差し出して続けた。


「先ほどシフトの件で電話した時、風邪が辛そうだったので……すみません、一人暮らしをされていると認識していたため、要らぬ世話だと思ったのですが、来月のシフトをお渡しするついでに、これお見舞いです」


まるで用意されたセリフを読んでいるかのように、サラサラと告げることが出来た内容に思わず自嘲気味に笑いがでてしまう。

青年は差し出された袋を受け取り、中身を少しだけ確認するとようやく安心したのか俺に微笑んで。


「こちらこそ、わざわざありがとうございます」

「あとこれ、シフトです」


ポケットにねじ込んでいた折りたたんだシフトの紙を差し出せば、それもすんなりと受け取って貰えたことにホッとして。


「では、お大事になさってください」

「あ、え……はい、あの、本当にありがとうございました」


去り際にかけられた新たな感謝の言葉に、顔だけを青年に向けてペコリと小さく頭を下げると足早にその場を去る。

着た時よりもいくぶんか早歩きになってしまっているのは自分でも気づいていない。


……そりゃそうだよな。あれだけの美人なんだから、彼氏くらいいるだろう。


今まで会話に出てきていなかっただけで、そういう存在があってもおかしくないのだと今更ながらに気が付いた。

角を曲がったところで思わず足を止めてコンクリートの地面を睨みつける。


ああ、馬鹿みたいだ――そう思わずにはいられない。


公私を分けられていないのは自分の方だったのかもしれない。彼女の不思議な雰囲気に呑まれ、彼女に一番近い存在は自分だと妙な驕りがあったのだ。

別に男女の関係になったわけでもないのに、女性と素肌で触れ合った事が久しぶりだったから、変に意識をしてしまったのも要因の一つだろう。


星が瞬く夜の(とばり)を仰ぎ見る。


「……帰ろ」


気付かぬうちに受けていたショックを拭い去るように、ぽつりとつぶやいて。

悶々とした気持ちを抱えたまま歩き出したから気づかなかった。


道端に停まっていた黒塗りの高級車――スモークガラスの後部座席(・・・・)から視線で追われていたなんて。

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