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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
彼女が生まれた日 side.縁
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「使ってる言葉綺麗なんだから敬語使えよ。もったいない」

「――え?」


動きが止まった私に、彼はため息をつきながら自分の頭をガシガシとかいて。


「前から思ってたんだけどさ、西條は使ってる言葉綺麗なんだよ。高校生(バイトの連中)と話してみ? 自分の両親の事“お父さん”“お母さん”って言うの多いぞ? 『うちのお父さんが』とか『私のお母さんが』とか。社会人でも“パパ”“ママ”って言うやつもいるくらいだ。いい大人が『うちのパパが』『私のママが』って言ってるのは、今時悪くもないかもしれないけど、やっぱりどうかな? って思う時もあるんだわ」


そう言うと彼は一呼吸おいて。


「お前、親の話するとき“父”“母”って言うじゃん。『うちの父が』『母が』って。珍しいなって思ってたんだよ。トイレだって他のバイトはそのまま『トイレ』って言うのに、西條は『お手洗い』って言うし」


ふと、彼は少しだけ上に視線を向けて、あとはな、と絞り出すように思い出して。


「“マジ”とか“ヤバい”“うまい”って他の人が言うところも『本当』『すごい』『美味しい』って使うだろ。聞いてて丁寧だなって思ってたんだよ」


――気が付かなかった。


自分がそんな風に言っていたなんて。


当たり前のように使っていた言葉だったけれど、そう指摘されて始めて自分が癖のように使っている事を理解する。


誰も教えてくれたなかった自分の言葉遣いを、彼はちゃんと見ていて。


唖然としている私に、彼は苦笑した。


「なんだ。自分で気づいてなかったのか? そういう言葉が無意識に出るってことは、育ちいいのなお前。人と話すときはそういう言葉を使うように、って西條の親がちゃんと教えて(・・・・・・・)育ててくれたんだろう? いいご両親だよな。綺麗な言葉使ってるのに、敬語使わないのもったいないって」


ずっと口うるさく「敬語」としか言われなかったから、彼もまた以前の女上司と同じように感じて言っているだけだと思っていた。

まさかそんな風に言われるとは思っていなくて。


「……なに、それ」

「それに西條はちょいちょい敬語使おうと努力してるよな? です、ます、ってたまに語尾につけて頑張って使ってんじゃん。不器用だとは思うけど変だとは思わないからさ。頑張って敬語話そうとしてるお前、可愛いよ」


苦笑交じりに、けれど照れ臭そうに笑う彼の表情が脳裏に焼き付いた。


――それからどういう会話をしたのか、どうやって帰ったのかすら覚えていない。


頭が真っ白――むしろ、彼が言ってくれた言葉が頭の中を占領して。


玄関を入って、靴も脱がずにドアに背中を無意識に預ける。天上を見上げていたはずなのに、目がぼんやり霞み始めた。ずるり、ずるりと背中を預けたまま冷たい玄関先に座り込んで。


彼は、私が黒澤家の人間であると知らないはずなのに。


私の両親がその頂き(トップ)に立っている存在とも知らないはずなのに。


黒澤の人間としてではない、ただの“縁”という一人の人間を誰も見てくれなかった。


言葉を失うほど自分に失望し、絶望し。


自分の全てを否定された気持ちを心の奥底にしまい込み、傷ついていないふりをして。


劣等感に苛まれ、努力することすらできず、カウンセラーでさえ気の利いた言葉をくれなかった。


家族でさえ後ろめたさから、そのままでいいと諦めたのに。


どうして。


どうして。


どうして誰もが諦めた事を、貴方は当たり前のように褒めてくれるの。


どうして貴方が私を認めてくれるの。


――いいの?


“私”は“私”でいいの?


“私”として生きていいの?


私の言葉遣いから、その向こうにいる親を褒めてくれた。


彼は黒澤家の人間としての両親ではなく、ちゃんと私の親として褒めてくれた。


正しいとは言わない――けれど、間違ってもいないと教えてくれた。


貴方にとっては些細な言葉だったかもしれない。


貴方にとってはほんの日常的な会話だったのかもしれない。


それが私にとって、どんなに心の底から救われたか。


どんなに私を助けてくれたか。


「っあ……ぅあ゛あ゛ぁぁぁぁっ!!」


子供のように泣き叫んだ。


“私”が産声を上げた。


天を仰ぎ、嗚咽し、呼吸が乱れるほど泣き叫ぶ。


零れる涙は濁流のように頬を流れ落ち、手の甲で拭っても降りやまない雨のように。


認められたかった。認めてほしかった。


否定されても、諦めても、絶望して、勝手にもがいて心のどこかで期待している自分がいて。


人から見ればただ敬語が使えないだけかもしれない。


それでも私にとって、延々と否定され続け声を失うほど病んだその事実は、私を、親を、人生の全てを否定された。


貴方が。


たった一言で私を救ってくれた。


努力を無駄じゃないって言ってくれた。


気持ち悪いと言われた事を、ただ不器用なだけと言い換えてくれた。


ねぇ、片山さん。


私、嬉しいの。


この気持ちをどう表現していいのかわからないくらい、とても嬉しい。


貴方が褒めてくれたたった一言はあまりにも衝撃的で。あまりにも甘美で。


どれだけ恵まれていても誰も理解してくれなかったこの仄暗い気持ちに、貴方が光を当ててくれた。


延々と続いたトンネルに光が差し込んだ先に貴方が居てくれた。貴方が私にとっての光だった。


権力も財力も使わず、貴方はたった一言で私を救ってくれたヒーローになった。


それがどれだけの影響を私に与えたのか。


貴方はきっと理解しえないでしょう。


貴方はきっと大げさなと笑うでしょう。


それでも私には大きな言葉だったの。私にとっては何よりも宝物になる言葉だったの。


――人生が変わる。


私が生まれる。


ほんの些細な言葉が、私に自信を取り戻してくれた。


私に誇りを取り戻してくれた。


どれだけ泣いても、どれだけ感謝の言葉を並べてもきっとあなたの一言には敵わない。


“私”を見つけてくれてありがとう。


“私”を褒めてくれてありがとう


“私”を知ってくれてありがとう。


ありがとう片山さん。


嫌いだと思っていた貴方を、今、私はこんなにも尊く愛おしいと思える。


尊敬する人は母親だった私に、敵わない人ができた。それが貴方で。


本当、どうしちゃったんだろうね。

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