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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
彼女が生まれた日 side.縁
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幾度と繰り返され投げつけられる否定的な言葉に心が蝕まれていく。


そんなはずない、そんなことはないと自分に言い聞かせても、それを上回る悪意が私の心に黒い染みを広げていく。


たった数ヶ月で私の人生すべてを否定される。


私は間違ってるの?


生き方も育ち方も間違えてた?


敬語が使えないだけで人生を否定されるほど?


私を否定されるほど?


私はそんなに恥ずかしい存在なの?


私が足枷になる?


母の、家族の、恥になる?


私は言葉で意思疎通することも許されないの?


私は、私は――これ以上、何を頑張ればいいの?


私の話し方を笑わないで


私の話し方を否定しないで


私を無視しないで


誰か


誰か私と話して


私の話を聞いて


私、私――



――ある日、唐突に声が出なくなった。


喉に痛みがあるわけでもない、ただその事実に動悸が激しくなり、呼吸音だけが耳に届く。


言葉の代わりに溢れ出る涙がぼたぼたとフローリングを濡らし、もがいてももがいても乾いた息しか出ない絶望。


私の異変に気が付いたのは蝶叔父様だった。


――気づいてやれなくてごめん。縁、もういい。頑張らなくていい。お前はもう充分頑張った。少し休もう。


そう言いながら虚ろな目から涙を零す私を、多忙な両親に変わって抱きしめてくれて。


心因性失声症と診断され、周囲の助けもあって逃げるように仕事をやめた。


あれほど私を皮肉っていた女上司は「急に辞めるなんて」と異論を唱えたらしいが、私への言動がパワーハラスメントとしてコンプライアンス違反と判断され、それなりの処分を受けたらしい。その際に私に対する態度の理由を語ったらしいが、私が美人かつ優秀だったことが気に入らなかったからだという。ないものねだりで八つ当たりされていたなら、それは確実に成功した。


私の心が壊れるほどに。私の心を殺すほどに。


女上司のその後は何となく聞いたが、結局心を病んでしまった私の耳にそれ以上の情報は誰も入れようとはしなかった。


仕事を辞めてから、少し呼吸がしやすくなった。


けれど相変わらず私の口から言葉は出ない。はくはくと空を切るような音が鳴る程度で、どんなに喉を震わせようとしても、当たり前に聞いてきた自分の声は紡がれず。


ただぼんやりと雲が流れゆくのを見たのは生まれて初めてだ。


食事もほとんど取らなくなり、口に無理矢理何かを含んでも味がしない。生きる上で必要最低限の栄養素を点滴で補い、水すら口にしなくなった唇はカサカサに乾いていく。


気を緩めると瞬きを忘れた瞳から涙が零れだす。いつか体から水分が枯渇するだろうと思えるほどに涙が濁流のように流れ出す。止める事を忘れ、拭う事を忘れ、頬には何本もの涙の跡が残る。


希望もなければ絶望もない、ただ無の境地だけが私を支配していく。


言葉を忘れ、人としての営みを忘れ、肌がボロボロになり、髪が乱れる。風呂に入る事すら忘れ、朝か夜かも判断がつかず、誰かに話しかけられても反応できない日々が続く。


焦らなくていい、敬語も使えなくていいと許され、ようやく声が出たのは半年が過ぎた頃。


半年ぶりに私の口から零れおちた言葉は「ごめんなさい」だった。


敬語を使えなくてごめんなさい。


自慢の子供に生まれなくてごめんなさい。


気持ち悪くてごめんなさい。


生きていてごめんなさい。


生まれてきてごめんなさい。


そう自分を責め続け、強制的にカウンセリングを受けたが話すことなど何もない。


後悔も懺悔も未来への希望も今を生きる理由さえも考えるのが億劫で。


喜怒哀楽を忘れてしまった。


かわるがわる誰かが話しかけてきたけれど反応ができない。


誰かが抱き寄せたけれど、誰かわからない。


誰かが怒鳴ったけれど、誰かがわからない。


誰かが泣いたけれど、誰かがわからない。


誰かが笑ったけれど、誰かがわからない。


自分とそれ以外という分類でしか人を判断できなくなっていた。


それでも周囲は辛抱強く私の心が癒えるのを待ってくれた。


今まで慌ただしくしていた生活が嘘のように穏やかに過ごすのは初めてで。


いつも誰かの悪意に晒されてきたのが嘘のように、私は私を大切にしてくれる人だけに囲まれて。


自分の意識が現実に戻ってくるまで一年と少し。


うつ状態になって社会復帰できるまでの期間が比較的に短かったのは、私が周囲に恵まれていたからだ。私を大切にしてくれる親族は多く存在し、そして私の治療にかける財力も有り余るほどあった。


私は、恵まれていた。


やがて声がでるようになって、いくら実家が資産家だからといってこのまま甘えていたくもなくて。自分を奮い立たせながら頼ったのは蝶叔父様。


――お前は昔の母親(マオ)そっくりだよ。自分が持っているものを使う事に躊躇する。それが弱みに付け込まれる理由だ。お前は黒澤家の人間であることを理解しろ。そして使え。権力と財力は強固な武器と盾だ。使わなければ錆びるだけだ。何よりお前のその能力は唯一無二の絶対的武器になる。その能力を活かしてやる(・・・・・・)。敬語を使えなくても、敬語を使わなくてもいいところまで一気に這い上がれ。お前は、弱いんだから。


そう、はっきりと叔父様が言った事に自覚し、そして理解した。


私は弱い。だからこそ権力と財力(武器と盾)を使わなければ勝てない。当たり前に持っているものを使う事に躊躇する理由などない。


私は恵まれている。だからこそないものねだりをやめて、持っているもので勝負していこう。


蝶叔父様が用意してくれた職場で、私は黒澤家の人間であることを存分に利用した。


入社したばかりの私に媚びへつらう人達を踏み台に一気に駆け上がる。黒澤の名前を利用してもしなくても、蝶叔父様が言ってくれた通り自分の能力を思う存分活かせることができた。たった数年で本部長の地位にまでのし上がったのは、自分の実力より黒澤財閥という後ろ盾が強いことくらいわかっている。母が強くあろうとしたように、自分も利用できるものを利用してのし上がっていく。


母が受けた誹謗中傷が自分にも降りかかる。


同時に黒澤財閥の直系であり独身であるという立場が視線を集め、有象無象の求婚者たちが現れる。中には実力行使しようとしてくる野蛮な人もいて、思う存分に制裁することで立場をわからせる。

ただ自分の心を殺した女上司のようにはならないよう、部下に気配りだけは忘れない。勘違いさせないようにする匙加減は難しいが、それでもついてきてくれる部下は居て。


もう、二度と誰にも自分を陥れさせはしない。


もう誰にも私を奪わせはしない。


自分は自分が守る。


黒澤という苗字を背負うには、容赦などしてはいけないのだ。


私の取り巻く環境がは目まぐるしく変わる。自分を飾らなくなった。傲慢と言われようがこれは生まれ持った性格だと開き直る事がこんなに生きやすくなると思っていなかった。

権力も財力もちゃんと使うタイミングを間違えなければ私は強い。それが及ばぬ人は稀にいたけれど、どうしても付き合わなければならない人ではないため即座に関係を切る。


無敵になった私から見た世界はあまりにも色褪せてつまらなかった。


何もかもが思うように進み、頭で考えるだけで結果が導き出せる。


尊敬する母が見ている世界もこんな風なのかなと思うと、少し悲しくなる。

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