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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
片山葉という男
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「“もったいない”ってどういう意味?」

「え?」


俺の質問が唐突だったからか、それとも内容が理解できなかったからなのか、先ほどまで険悪だった二人がポカンとした表情で俺を見る。その様子を見返しながら俺はその意味を理解しようとさらに細分化した。


「もったいない、って言葉がどういう意味なのかな? と思いました。“食べ残すのがもったいない”のか“誰か一人だけが独占するのがもったいない”のか“自分のお金で食べるのがもったいない”のか」

「え? えぇ~??」


考えたこともなかった、といった雰囲気で伊藤さんがハッとし、それから質問の答えを自分なりに導きだそうと悩み始めたのだが、数秒後に導き出された答えを素直に口にする。


「一人だけ独占するのが、っていうのが一番強いけど、食べ残しちゃうのがっていうのも含まれてるかなぁ?」


なるほど、どうやら彼女はケチでそういうことを言っているわけではないらしいという事は理解できた。

正直、自分のお金で食べるくらいなら誰かのおこぼれを、という思考の人であれば勘弁願いたいのだが彼女は違うらしい。


「これは女性は特に、らしいのですが“共感したい”という気持ちが強いそうです。一口欲しいというのは、一緒のものを味わいたいという意志が強い人が特に発する言葉らしく」

「あ、わかる! これ面白いよね、とか美味しいっていうのは一緒に楽しみたいタイプかも!」


恋人がいた時は何でも共有したい気持ちが特に強いと続けて教えてくれる。自分が面白いと思ったものを好きな人に面白いと思って欲しい、美味しいと思って欲しいという小さな承認欲求のようなものだろう。

ふんふんと彼女が語るのを聞きながら、俺は彼女の会話の合間を縫って前置きをした。


「大げさな例え話になりますが」

「うん」

「伊藤さんの恋人が素敵だったので、第三者の女性が“少し頂戴”って言ってきたらどうします?」

「は? 意味わかんない。ちょっとって何?」

「そうです。伊藤さんがしていることはそういうことです」


俺がそう言うと、伊藤さんはハッとした表情を浮かべようやく自分が何をやっているのか悟ったらしい。段々と顔色が悪くなってきたのを見て、俺は小さく苦笑した。

一口頂戴、というのは簡単だが、その人にとってはその一口が大切な場合もある。個数があるものや個別包装されているものであれば多少許せるかもしれないが、料理となるとそれを不愉快と感じる人もいる。


衛生的概念が異なれば尚更だ。大皿を取り分けて食べることを楽しいと感じる人もいれば、不潔だと思う人も存在する。それは育った環境に依存していて、どちらが正しいというわけではない。


恋人の例えは本当に大げさではあるが、自分の所有物を横からかすめ取られるというのは誰だって嫌なのだ。


「ご、ごめんなさ……私、そういうつもりじゃ……」


多分、本当に無意識だったのだろう。それに周囲は気づいて何度も注意をしていたが、本人がその深刻さをわかっていなかった。一口くらいいいじゃないかという気持ちが彼女の中にあるかぎり、それはずっと続くだろう。


「逆をしてみたらどうです?」

「……逆?」


意味が分からないと伊藤さんが首を捻ると、隣で聞いていた芝崎さんもわからないようで不思議な顔をしていたのだが。


「もらう方じゃなくて、分ける方にしたらどうでしょう? 誰かのを欲しがるのは心証がよくないので、“一口食べたいから注文したいけど、一緒に食べてくれない?”という形にするんです」


伊藤さんはシェアの仕方が間違っているだけだ。相手のものを貰うより自分のものを分けるというのは印象が全然違う。シェアできないなら諦めるしかないが、相手を不愉快にさせる回数は格段に減るだろう。

これが自分のお金で食べるのがもったいないケチな人であれば出来ない内容であるが、伊藤さんの心情にそれが当てはまらないのであれば、このやり方は非常に有効だ。


「大学時代の友人が、新発売のお菓子を絶対に試したがる人だったんですよ。たった一つか二つ食べられれば満足で本人としては“なるほどこんな味か”と納得したいだけで。気に入れば全部食べるんですが、基本的に残るので配り歩いてましたよ」


具体的な事例を挙げて伝えると、伊藤さんは目から鱗が落ちたように驚いて「そんな風に考えたことなかった」と呟きつつも名案だとばかりに喜んでいる。隣で聞いていた芝崎さんも「なるほど」と大きく頷いてくれたので悪くない提案だったらしい。


「伊藤さんは美人だし仕草も可愛らしい、話も盛り上げ方も上手で一緒にいて楽しい方なんですから、そういうので心証悪くするのもったいないですよ」


そう言って笑えば、伊藤さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「あの、あ、ありがとうござい、ます……さっきはご、ごめんなさい」

「いえいえ。あ、それと」


と、俺は前にあった焼き鳥を二本ほど小皿に乗せて差し出して。


「先ほどの日本酒、この焼き鳥とそのディップソース合うと思うので試してみてください」


日本酒好きであればそのままいけるけれど、苦手な人はこうやって料理と合わせていけば多少イケる可能性が広がる。ぜひぜひ日本酒好きが増えて欲しいものだと差し出せば、伊藤さんはおずおずと受け取って「ありがとう」と消え去りそうな声で呟いて。隣の芝崎さんにも改めて謝罪してから「一緒に食べる?」と早速実践していたので、俺は微笑ましく見守ることにした。


「結局、怒らないんだ……」

「……これはモテる」


と鍋砂コンビがボソボソと話していたのは聞こえてなかったが。


「また葉さんを好きになる人増えたじゃないですか」


この天然タラシ……とぼやくように流星君が呟いたのは聞こえて思わず振り返る。


「ん?」

「イイエ、ナンデモ」


カタコトで流星君が誤魔化すから、まぁあえて誤魔化されようとあまり意身を深く考えるのをやめ、険悪な雰囲気が一掃されたことに、よかったよかったと思いながら改めて日本酒を注文して吞んでいると、ふと第三者の声が割り込んできて。


「楽しそうね」


全員が一斉に声がした方に振り返ると、茂住さんだけがその人物を見てギョッとしている。俺に至ってはどこかで見たような……? 程度の人だったが、記憶を遡ってようやく第三者の事を思い出した。


「あ、社長の秘書の?」


面接の時に社長の元まで案内してくれた女性だと俺がぼそりと呟けば、その人はにっこりと微笑んで。


「いつも主人がお世話になっております。秘書課の茂住怜子(もずみれいこ)と言います」


その苗字が指す意味を理解できない俺ではない。思わず茂住さんを見つめると、彼は頭を低くして。


「れ、怜ちゃん? な、なんでここに?」


つまるところ、茂住さんの奥様だ。

茂住さんの質問に対し答える気があるのかないのか、怜子さんは微笑んだまま頬に手を当てて小さく首を傾げてみる。


「おかしいわね。私の主人、今日は片山さんと今田さんの三人で飲むと言って出掛けていったはずなのに」


不思議だわぁ~とニコニコ笑う怜子さんに、その場にいた誰もが困惑する。これはフォローすべきなのか、しかし俺や流星君も嵌められた側なのでとりあえず傍観することにして。


同情できる余地がないまま、額から汗をダラダラ流しだす茂住さんを見てたが、新たにやってきた人物に俺が度肝を抜かされた。


「皆もここで呑んでたのね」

「く、黒澤本部長!?」


驚きの声を上げたのは砂田さんだ。


他の人達も珍しい登場人物に相当驚かされているらしい。俺も同様に驚いたものの、隣に座っていてた流星君だけが動じずにビールを飲みながら、机の下で俺にピースサインを向けたのでようやく彼女がなぜここにいるかを理解して。


答え合わせのように怜子さんが話し始めた。


「久しぶりに黒澤本部長に吞みに誘って頂いたのよ」

「こ、子供たちは!?」


茂住さんが焦りながらも尋ねれば、怜子さんは微笑みを崩さないまま教えてくれる。


「お義母さんがみてくれるそうよ? 『バカ息子ばかり呑みに行って申し訳ないから、貴方もたまに羽を伸ばしてきなさい』って」


ホント、優しいわよね、誰かさんと違って……と流れるように誰かさん(・・・・)を非難する怜子さんの言葉に、茂住さんは最早涙目になっている。


流星君がいつの間にか彼女に連絡をしていて、彼女が怜子さんを誘ったらしいということまではなんとなくわかったのだが、問題は彼女が俺が自分の意志で合コンに参加していると思っていないかだけである。公にしている関係ではないため冷や汗を流しても誰も同情してくれないし、この場で言い訳もできないもどかしさが半端ない。

彼女と過ごす予定だったのを茂住さんを優先した手前、こんな修羅場になるとは思ってもみなくて。


蛇に睨まれた蛙のごとく固まった茂住さんが何とか再起動した時、その瞬間は訪れた。


「あの……えっと、帰り、マス」

「あら、じゃあ子供たちのお風呂と寝かしつけよろしくね?」


この合コンで得た知識、茂住家は奥さんが圧倒的に強いということが最たるだった。


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