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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
誕生日デートなふたり
32/87

32

俺が先に材料をキッチンに並べていると、彼女はソファに座ったまま鞄からヘアゴムを取り出して自分の髪を後ろで束ねだした。おもむろに手を止めて不思議になって聞いてみる。


「髪、まとめてしまうんですか?」

「うん、料理の時邪魔だもん。料理に髪入っても嫌だし」


そう言いながら彼女の細い指が髪の隙間を掻くのを見つめて、俺は一瞬思案してから恐る恐る尋ねた。


「あの、それ、俺できますか?」

「……ん? んん?? 葉クンも髪縛るの?」


言われた意味が分からなかったらしく、せっかく束ねていた髪から手を放しながら怪訝な表情で俺に振り向いた彼女に、何でそういう解釈になったのかと苦笑したものの、確かに主語がなかったなと改める。


「いいえ、縁の髪を、です。俺がやってみてもいいですか?」

「え? ……えっと、いいけど?」


俺の申し出に怪訝なものから困惑なものへと彼女の表情が移り変わる。若干の動揺を見せつつも、了承の言葉を口にされたので彼女に歩み寄り、ソファの後ろに回るとヘアゴムを受け取って。


「女性の髪を縛るの初めてなので、引っ張ってしまったらすみません」

「い、いいよ! 少しくらい平気! 邪魔でまとめるだけだから手櫛でOKだし!」


了解ですと頷きながら彼女の髪をゆっくりと手に取ると、優しく頭をなでるように髪をまとめ始める。彼女の髪は柔らかく指通りが滑らかで触っていて非常に気持ちいい。不器用ながらもなんとか纏めたところで。


あ、やば。


これは、ちょっと……視覚的に駄目なやつだったかもしれない。


髪を一つに束ねたことにより、彼女のうなじが露わになる。細かな後れ毛や産毛が細い首筋にちらつき、それが酷く官能的で欲情してしまう。ゴクリと生唾をのんでしまったのも仕方がない。彼女の髪を持ったまま気づかれないよう天井を仰ぎ見てふうっと一呼吸し、自分を落ち着かせてからようやくヘアゴムでまとめたところで、ポケットに無造作に入れていたソレをこっそりと取り出して。


「できた?」


俺がやりやすいように少しだけ俯き加減になってくれていた彼女が聞いてきたのを「もう少し」と現状維持をお願いしたところで、彼女はようやく異変に気が付いた。


「ん? ……え?」


彼女が思わず自分の首元に手を触れると、そこにはさきほどまでなかったネックレスがあって。


「え? え?」


動揺する彼女が慌てて横に置いてあった自分の鞄からコンパクトを取り出すと、鏡越しに胸元に控えめに輝く小粒のプラチナダイヤを見つけ、大きく目を見開いた。


「誕生日プレゼントです」


正直、券と手作り料理だけで済まそうと思っていた。


いくら転職して稼ぎが良くなったからと言って、財閥関係者の彼女の財力に敵うわけがなく、きっと彼女が自分で購入したものの方が高級で品がいいのだろう。だからこそ形に残るようなものはやめようと思っていたのだが、なんとなくこれを見つけた時に彼女が身に着けた姿を想像して“あ、似合いそう”と衝動買いしてしまったのだ。衝動買いするような値段でもなければ、恋人でもない人に贈るような値段でもないかもしれないが。

それでも購入してしまったあたり、多分その時はもう俺は彼女のこと好きだったんだろうなと改めて思い返す。


一体、本当に自分はいつから彼女の事を好きだったんだろうか。


コンパクトの鏡を凝視したまま動かなくなった彼女の反応があまりにも不可解で、後ろからコンパクトの鏡越しに彼女の表情を伺えば、本当に間抜けなくらい口をポカンと上げて、ようやく動き出したかと思えばギギギッと壊れたブリキのおもちゃみたいに顔だけ俺に向けて。


「あの……すみません、お気に召しませんでしたか?」


彼女にとっては高級なものではなかったかもしれないが、これだけ高額なものは久々に購入したし、結構清水の舞台から飛び降りる勢いだったのだが……やはり駄目だったかと困っていると、彼女は手に持っていたコンパクトを閉じてテーブルに投げ出すと、両手で顔面を覆いながら足をバタバタとし始めた。


「ああああああっ!! 葉クンがっ、葉クンが! 私をっ! 殺しに来るっ!! 行動イケメン過ぎてつらあぁぁぁっ!! タイミングがっ! 行動がっ! いっこいっこツボ過ぎるっ! 私死んじゃう! 死んじゃうよ私!」

「……いや、誕生日を命日にするのはどうかと」

「もう命日でもいいっ! 今後の人生でこんな嬉しい日が来ない気がするっ! もうちょっと待って! 浸らせてっ! あああっ! 嬉しすぎて泣きそうぅぅっ!」


たぶん、俺の心配は杞憂だったらしく喜んでもらえている様子だ。


両手で顔を覆っているが、耳まで、ネックレスを付けた首元まで真っ赤になっているからよほど興奮しているらしい。


見てて飽きないなと思いながらも、もうしばらく続きそうなので「先にキッチン立ってますね」と言い残し、ソファの上で泳ぐ彼女を横目に料理を始めることにした。


しばらくして悶絶し終わった彼女が、はぁはぁ息を切らしながらキッチンの隣に立つ俺の元へやってきて両手を胸元で合わせながら赤べこのように頭を下げだした。


「すっっっごく興奮した。ありがとうっ!」


間近で拝まれた。


「それはよかったです」


それ以上、どう反応したらよかったのかわからない。

自分としては面と向かって渡す気恥ずかしさがあったからああいう行動を取ってしまったけれど、お気に召したのなら幸いだ。

「うへへぇ~っ」といつまでもだらしないニヤけた笑みを浮かべる彼女も、俺に倣って料理を開始する。美人はニヤけても美人である。ずるい。


料理自体はお互いにあーでもない、こーでもないと言い合い、料理経験豊富な彼女に時々やり方を尋ねながら何とか形にしていく。自分にはわからないことだらけだが、彼女はそれに苛立つことなく丁寧に教えてくれる。

お嬢様な彼女の事だから料理をしたことがないのではないか、と思っていたもののかなり手際が良い。彼女曰く、簡単なものしか作れないとは言ってるものの、その簡単なものを作ることが作らない人間にとっては難しいのだ。


「そういえば、なんで手作り料理食べて欲しいと思ったんですか?」


簡単なものしか作れないと言っておきながら、手料理を食べて欲しいというのは些か矛盾しているような気がする。サラダ用に購入したレタスを手でちぎりながら尋ねると、彼女はアサリの佃煮に使うショウガをみじん切りにしながら答えてくれる。


「次の機会がないかもしれないから」


唐突に現実に引き戻されるような言葉に、俺は何も言えなくなり思わずレタスをちぎる手が止まる。彼女は困ったように笑いながら俺の方を見ずに続けて言った。


「今日、葉クンがいっぱい私の為にしてくれた事、ひとつひとつが本当に嬉しくて楽しくて」


そう、言葉を一瞬区切ってから包丁を持つ手の動きを止めて隣に立つ俺を見上げて。


「私、今日の事、絶対忘れない。今日、葉クンが私をいっぱい幸せにしてくれたの、ずっと大切にする。葉クンが私にたくさんしてくれたように、私も何か葉クンにしてあげたかった。お金で買えないものをたくさんくれたから、私もお金で買えないものを返したくて」


だから咄嗟に思いついたのが、手料理だったと彼女は笑っていたけれど。


「大丈夫。私、勘違いしてないよ。今日だけってわかってる。月曜日からはまた上司と部下になる。ちゃんと片山さん(・・・・)に尊敬されるような上司でいるよ」


泣きそうな顔で彼女は笑う。


目が潤み始めたのを誤魔化すように「えへへ」と鼻をすすりながら顔を逸らし、また料理をし始めた彼女に俺は何も言えないままでいる。


何もわかっていなかったのは俺の方だった。


彼女が今日一日、どんな気分で過ごしていたかなんてこれっぽっちも気が付かなかった。


きっと全力で楽しんでくれたのは間違いない。


俺の言動に一喜一憂して、嬉しい時には嬉しいと言って、楽しい時には楽しいと笑って。


大げさなくらい全部を本当に大切にしてくれていた。今日という一日を、彼女は宝物のように大切に。


――その裏でずっと自分自身に『今日だけ』と暗示をかけて。


俺がここで想いを伝えたところで、彼女は多分それを同情と受け取るだろう。どれだけ言葉を尽くしても、きっと届かないところまで彼女を押し込めたのは中途半端な自分だ。


彼女の言葉をきっかけに、少しだけデート前の緊張感が二人の間に生まれだした。今日という日が終わるタイムリミットまでそれほど時間はない。

月曜日には、彼女は宣言通り黒澤本部長として俺の前に現れるだろう。凛とした姿で、今日みたいな笑顔を一切見せずに気を張り詰めて。


急に訪れた悄然とした空気に自然と会話が少なくなっていく。それでも手元は動かし、なんとか料理が形になってきたところで、彼女が気を取り直して明るく振る舞ってくれる。



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