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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
誕生日デートなふたり
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あの後、何度か弟夫婦を店内で見かけたものの、どうも彼女が隣にいるせいか近寄ってくることはなく、いつの間にかいなくなっていたので思ったよりもゆっくりと買い物ができた。

買えていなかった野菜もゲットし、調味料も買い足したところでようやくレンタルした一軒家に舞い戻る。


帰りの道中も手を繋いで歩きながらおしゃべりをしていたものの、何となくぼんやりしてしまったのは弟夫婦に会ってしまったからだろう。


美波ちゃんも見ないうちに大きくなっていたな。


仲がよくなかったこともあり、なかなか会わせてもらえなかったせいで、多分彼女は俺を伯父とは認識していないのだろう。本来であれば俺もあれくらいの子供がいていいはずだ。

帰りの道中、彼女が話しかけてきた事に普通に会話していたつもりだったのだが、幾分か上の空になっていたらしい。俺が考え事をしていたのを何となく察したのか、一軒家のリビングに買ってきた荷物を置いて一息ついた途端、彼女は鞄から“願い事できる限り叶える券”を取り出し俺に差し出した。


「四つ目の願い今すぐ叶えて欲しい」

「急ですね? どんなお願い事ですか?」

「私()葉クンを抱きしめたい」

「……え?」


一瞬、何を願われたのか分からなかったが、俺が理解しようとする間に彼女は俺の手にチケットをねじ込んで、腕を引っ張ると、リビングに備え付けられていたソファに座らせられる。

ポスッと勢いよく座ってお尻が沈んだかと思えば、俺の視界がわっ、と暗くなって。


彼女が俺の頭を抱きしめた。ソファに片膝をつき、俺の左耳が彼女の胸元に沈み込む。彼女の指がサラリと俺の髪を撫で。それは何度も何度も同じ場所を往復し、耳に彼女の心音が響いてくる。トクトクと少し早くも規則正しく聞こえてくる彼女の心音に、俺は無意識に目を閉じる。


温かい。そしてさっきまであんなに嫌な気持ちだったのが、少しずつ薄らいでいくのが不思議だ。

ぼんやりとされるがままに抱きしめられていると、頭の上からポツリと言葉が落ちてきた。


「……ずっと不思議だったの」


髪を撫でつつ俺に温もりを与えながら、返答を必要としないように彼女はまるで独り言のように呟く。


「なんでこんなに素敵な人なのに自己肯定感が低いんだろうって、ずっと不思議で」


そう、だろか?


――ああ、そうかもしれない。どこかで自分を認めることに後ろめたさがあった。


自分の存在をずっと“必要ない”と言われて続けてきた幼少期。それは大人になっても変わらず、家庭内から居場所を追いやられてきた弊害だ。


“自分なんて”“自分なんか”“どうせ自分は”と否定的なのは、それが当たり前で日常だったからだ。人として当たり前の自尊心が育たなかった欠陥品だからこそ、謙虚に生きるべきだと言われ続けてきた。

いつしかそれを当然として受け入れて、傷つかないように愛想笑いを浮かべる。それすら気持ち悪いと言われてしまえばどうしようもない。

大学進学と同時に逃げるように一人暮らしを始めてようやく息ができた。


しかし人間、そう簡単には変われない。


弟の晃大がああであったように、俺もまた卑下して生きてきた生き方を、価値観を誰かに言われて簡単に変えられるような器用な性格をしていないのだ。


「私の、大切な人なのにっ」


悔しそうに、歯がゆそうに吐き出した彼女の言葉に俺の瞼が震えた。唇を噛みしめ、零れだしそうになった感情を押し込めて。


――いいのだろうか。


俺は、この温もりに、優しさに甘えて。


彼女を抱きしめてもいいのだろうか。


誰よりも自分を必要としてくれる彼女を。


誰よりも自分を認めてくれる彼女を。


俺が、大切だと言っていいのだろうか。


手を伸ばしても、いいの、だろうか――?


遠慮がちに、ゆっくりと震える手を彼女の背中に回して。彼女は嫌がることなくそれを受け入れ、ますます俺を抱きしめる腕に力を入れて。


「……ありがとう、ございます」


彼女の胸元で大きく息を吐いたのは、決意のようなもの。


「いつか……言える日が、来たら……」

「うん」

「聞いてくださいます、か……?」

「うん。聞かせて」


今はまだ、勇気が出ない俺を許してほしい。


しばらくそのまま抱き締めあっていたものの、彼女の腕の力が緩んだのをきっかけに、俺も彼女を抱きしめていた腕を下す。

ようやく顔を見上げれば、彼女は優しく微笑んで次の瞬間には誤魔化すように「にひひっ」と笑って。


ああ、馬鹿だな。


五回しかない貴重な願い事を叶える権利の一回を、彼女は俺の為に使ってくれた。そんな彼女の優しさに涙が出そうになる。堪えるように苦笑いして「料理、作りましょうか」と提案すると、彼女は「うんっ!」と元気よく賛同してくれた。



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