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それから二週間、会社では結構な頻度で黒澤本部長に会いたいという人物が尋ねてきた。全部把握しているわけではないが、噂を聞けば多分一日に複数人は来ている様子だ。
去年もかなりの求婚者が訪れていたという事だが、今回は比ではないほど人数が多い。
たぶん、黒澤本部長が二十九歳になるということで、彼女の結婚願望が強くなっているのではないかと狙いを定めてきている人もいるようだ。
俺が初めて出くわした相手ほど礼儀知らずはいないらしいが、これだけ人数が多いと流石の会社も黙ってはいられず、ロビーより先の玄関口での警備体制を強化している。
そして何より当人である黒澤本部長が安全確保のため、会社に来なくなった。
出張する日はいつも通り飛び回っているようだが、出社する日に限っては自宅でリモートワークに切り替えたらしい。
あのアパートで大丈夫なのだろうかと、一度メッセージが来たタイミングで問いただしたところ、あそこはファミレスにバイトしに行くために使っていた部屋であり、彼女が本当に住んでいる場所はセキュリティ万全で、更にマンションも各方面にいくつか所持しているらしいので、見つかりそうになれば別の場所に移動するだけなので大丈夫、と何ともハイソな返信が来たので本当に金持ちなんだなとちょっと呆れた。
俺自身、本社勤めになってから給料は何倍にも増えたが、引っ越しする時間もないままファミレスで働いていた時のアパートで暮らしている。今ならマンションを買おうと思えば買えるだろうしローン審査はあっさり通るだろう。
彼女の場合はもしもの時の為に家から支援されているらしいから、羨ましいを通り越してちょっと怖い。
今まで金持ちの知り合いというのはそこそこ存在した。大学時代に学生ながら起業した同級生もいたし、親が裕福だというバイトの子もいたが、ここまで突飛した金持ちだと有名税のような気苦労は絶えないのだろう。
ゆえに二週間ほど彼女の姿は見てはいないが、相変わらずメッセージは届く。
のに、だ。
何気ない取り留めもないメッセージは来るのに、未だに自分の誕生日について何も言ってこないのはどういうことだろう。
これだけ会社で話題になっているし、アパートの事情に触れた際にもいつだってその話題は出せたはずなのに、彼女がなぜか意図的に自分の誕生日について触れていない気がしてならない。
彼女の誕生日は今週末の土曜日で、今日は水曜日――ようは三日後だ。
別に当日でなくてもいい――前日だろうが後日だろうが彼女が話題にしてくれればプレゼントを渡すくらいはさせてもらいたいと思っている。
今の今までお誘いをすべて断ってきておいて何だが、誕生日くらい祝ってあげたいほどには彼女を気にしているのだ。断りすぎたが故に自分からは何となく言いづらいが、ここまでギリギリになっても何も言わないのであれば、こちらから話題を振るべきだろうか。
何でも手に入れられるような彼女に対し、誕生日プレゼントに何を渡そうか滅茶苦茶悩んだし、けれど祝って欲しいとも聞かないため、俺に祝われたいと思っていないのか、けれどメッセージの頻度は変わらないし……と悶々としている。
そんな中、今日は仕事の都合上、どうしても出社が必要だったらしく彼女の姿が会社にあった。。
どこからどう聞きつけたのか、彼女が出社していると確実に知っていた人達が、相変わらず彼女に会わせろと押し掛けてくる。そればかりか息子を結婚相手にと推す母親らしき女性の姿まであったのだからもう地獄絵図である。
たまたま彼女の出社時に待ち伏せしていた男性と掴み合い――というより、一方的に彼女を追い詰めるような事をしたらしい状況があり、とうとう警察沙汰になったらしい。
現場を目撃してはいないが、本当に彼女やロビー受付の方々が気の毒で仕方がない。
そんな状況故に一般社員である俺が近づけるわけがなく、やはりメッセージを送るしかないかと考えながら残業していた時の事だった。
悶々とし過ぎたせいかあまりにも仕事が進まず、もう切り上げるべきか否かと気分転換に休憩スペースに足を運ぶと、休憩スペースで一人座る彼女――黒澤本部長の姿が視界に入った。
一人で大丈夫なのだろうかと心配になるが、セキュリティがある社内であるし、ここのところ彼女も休まる時間がなかったのだろうと思い返す。
テーブルに両肘をつきながら、両手を祈るように握りしめて俯き加減でジッと床を睨んでいる。
微かにその手が震えているのは決して気のせいではないだろう。もしかしたら彼女は毎回同じように一人で震えていたのかもしれないと思い当たる。
自分に対しては激甘な態度を示してくる人だが、どうにも噂によれば男性嫌いの節があるらしいということだ。
地位と権力と財力、そして美貌を持ち合わせれば彼女を求める男は後を絶たないだろう。ハイスペックな相手と少しでもお近づきになりたいと望むのは老若男女問わずである。
彼女は如何せん、言動が上から目線だ。
立場を考えればそれは正しいのかもしれないが、そういう態度を取るには些か若すぎる。更に独身ともなれば、敵が増えるのも仕方がない。敵とまで言わずとも羨望と嫉妬の標的となるのはもちろんのこと、彼女はそのすべてを一身に背負っているのだから強い人だとも。
けれど、ああやって人知れず震えているのを見ると、ただの女の子なのだ。
飲み物を買いに来たつもりが思わぬところに居合せてしまったと思いつつ、俺がそこに出ていかなかったのは更に先客がいたからだ。
自分が気が付くより先に彼女に歩み寄ったのは、確か営業部のエースと名高いこれまた非の打ち所がない好青年である。
「黒澤本部長、大丈夫ですか?」
ふと投げかけらた疑問に、彼女はバッと顔を上げると、すぐに表情を取り繕って笑う。
「何が?」
何ともない、という風に笑顔を向けたものの、彼女が震えていたのは自分も彼も目撃していた事実だ。
彼は俺に背を向けているため気づいていないし、彼女からも死角になっていて気が付かれてはいない――実質二人きりの状況に、彼女は少し動転している様子で。
「だってこんなに震えているじゃないですか」
そういって彼は無遠慮に彼女の震えていた手を取る。一瞬、躊躇したものの、彼女は眉間に皺を寄せて自分の手を引くが、彼は放そうとしない。
「放してくれる?」
「放しません。一人で背負い込まないでくださいよ」
一人で背負い込むもなにも、アレは彼女の問題であって彼には何ら関係がない。元々親しい相手であれば彼女も頼るだろうが、どう見ても迷惑そうである。
そこでようやく、彼も黒澤本部長を狙っているのではないかという結論に至ったのだが。
「俺じゃあ駄目ですか?」
「は? なに……?」
「黒澤本部長の隣に立つの、俺じゃあ駄目ですか?」
どえらい場面に立ち会ってしまった。ドラマのワンシーンのようなシチュエーションだなと思うのは、彼女がこれまた後ろ盾が滅茶苦茶大きいご令嬢で、彼が営業部のエースと呼ばれる男だからだ。
これまた色んな設定がモリモリだなと思いつつ立ち去るべきか悩み立ちすくんでいると、彼が半ば強引に彼女を抱きしめたことに俺が「きゃっ」と声をあげそうになったのはご愛敬だ。
「俺にしてください」
「ちょ、ちょっと!」
どうやらドラマの中にいるのは彼だけのようで、彼女の手は決して彼の背にまわらない。
それどころか必死に引きはがそうと彼を肩を押し返そうとしているものの、男の腕力に勝てないようで。
そこまで見て、今田さんの言葉が頭の中に反芻する。
――あれ、今後何度か見ることになりそうですね。
とは言っていたものの、俺が目撃するのは二度目なので彼の言う通りだなとため息が漏れる。
観客は俺だけだが、他の人が見ると明らかに恋人同士の行為で、たちまち噂になるだろう。そこまで思ってようやく、なるほど、彼の営業成績は伊達ではなく、こういう場面を誰かに目撃してもらって、周りから固めていこうという作戦なのかもしれないと思い返したのだが。