20
毎度、騒がしくも楽しい昼食を過ごせているのは今田さんのおかげだ。今日は二人だけだったが、稀に茂住さんも一緒に食事をすることがある。
今田さんは入社したばかりというのもあって、同じ部署に同期が存在しないため自然と俺と過ごすことが多くなっている。
どうも彼は他の部署の同期から少し距離を置かれているようにも感じる。
彼の容姿は人の目を引くため、もしかしたら彼自身が距離を置いているのかもしれないが、どちらにしろそんな人が俺と一緒に過ごしているのが不思議な感覚だ。
食事を終え、他愛もない話をしながら歩いていると、ロビーの方から大声が聞こえてきたもんだから、思わず今田さんと顔を見合わせた。
「だーかーら! 俺は縁さんに用事があるわけ!」
「ですから、アポイントメントをお取りになってからおいでくださいと何度も――」
「俺が会いたいって言ってること君が伝えればいいだけだろう!?」
慌てて駆けつけると、周囲にも自分達と同じようにその様子をうかがう社員が複数存在している。
受付の女性と言い合っているのは大きな花束を抱えた男性で、片手をポケットに突っこんだまま受付カウンターに身を乗り出しているのだから態度が悪い。
「なんだアレ?」
思わず呟いてしまったが誰からも返事はない。
が、周囲にいた社員たちがコソコソと話をしてるのに何となく聞こえ漏れてくるのは。
「また黒澤本部長の?」
「そういう時期かぁ」
「今度は誰だよ……去年も警察沙汰になってたじゃん」
「あの人、通販アプリ企業の副社長じゃない?」
「え、でも四十代後半じゃなかった?」
「黒澤本部長も大変だわ」
どうも聞いている限り、黒澤本部長の事らしい。
何があったのかと頭の上に疑問符を浮かべていると、隣で様子を見ていた今田さんがポツリと教えてくれた。
「あくまで聞いた話なんですけど」
「うん?」
「人事部の黒澤本部長、そろそろ誕生日らしいんです。あの人、若いのに結構上の役職ついて、しかも黒澤財閥関係者で更に独身っていうのもあって、毎年この時期になると求婚者が増えてここぞとばかりにアピールしにくるそうですよ」
誕生日――? 聞いてない、と俺が言うのもおかしい話だと考え直して、怒鳴っている相手を見ればなるほど、あれは女性にアピールするための花束だったのかと理解する。
周囲の反応から見ると、毎年恒例らしく警察沙汰にもなっているとのことだから、相当しつこい連中が彼女のハートを射止めようと必死なのだろう。
ここ最近、よく荷物が届くと総務部の人が嘆いていたが、どうやら各方面から黒澤本部長への誕生日プレゼントが続々と寄せられているらしい。
それが会社単位から個人まで様々なのだから、そりゃあ総務部も悲鳴を上げる。親しい人であれば個人に直接渡すのだろうから、会社に届いている時点で関係性は明白だ。
実際、届いたものは一旦、黒澤本部長が目を通すらしいが、食べ物であれば部下に配られ、花でればフロアに飾られ、ハイブランドのバッグや衣類は受け取るわけにはいかないと送り返されているらしい。
ただでさえクソ忙しいのにその作業をさせられるのは、さすがに可哀想になってくる。
そう考えると、ますます彼女が俺に執着する理由がわからん。
そこにタイミングがいいのか悪いのか、秘書を連れて黒澤本部長が戻ってきてしまった。
「縁さん!」
秘書と話をしながらロビーに入ってきた彼女は、迷惑な相手に気が付くのに少し遅れてしまったらしい。
自分の名を親し気に呼びながら両手を広げて大げさに歩み寄ってくる男性に対し、不機嫌そうに眉をひそめて。
「は? 誰?」
不快を隠そうともしない彼女の声色に、歩み寄っていたはずの男性の足がピシリと止まる。
アイツやべぇな。職場で初対面の相手にも敬語なしかよ。
確かに中堅より上の立場だから部下や同じ会社の人間に対してそれが仕方ないにしても、職場の人間なのか外部の人間なのか判断つかない間にタメ口なのは呆れを通り越して尊敬する。
「や、やだなぁ、僕ですよぉ」
「知らない」
名乗る間もなくバッサリと切り捨てるあたり、流石である。
「アポなしに来るな礼儀知らず」
相手が誰であろうと、アポイントメントがなければ彼女は向かい合う気がないらしい。
敬語使えないのはこの立場でも一緒なのかと変に納得していると、男性は取り繕うことをやめたらしくアッサリとキレた。
「クソアマァ! 言わせておけばっ! てめぇなんざ、黒澤家の人間じゃなけりゃあ、価値もねぇくせに!」
俺がカッとなっても仕方がない。
けれど、あまりにも直接的な暴言に周囲がざわめく。しかし暴言を吐かれた彼女はフンッと鼻を鳴らすと見下すように目を細めて。
「だったら我が家より価値のある家に生まれてきて出直してきなさい」
「なっ! なっ!!」
確実に彼女の傷つくであろう言葉を使ったはずが、まさかマウントされる言葉に使い回されるとは思ってもいなかったらしく、男性は絶句する。
「うわっ、ちょー嫌味」
「こわっ」
という声も聞こえてきたが、俺も思わず呟いて。
「かっけぇ」
「……片山さんのその感覚、すごく理解しがたいです」
俺の言葉を聞き逃さなかったらしく、今田さんが怪訝な表情を浮かべて理解できないと俺を見る。
んん? となりながら自分より背の高い今田さんを見上げると、零した言葉の意味を説明した。
「自分の家が最高だって断言できるって事ですよね。彼女の家族にとっては滅茶苦茶誉め言葉じゃないですか?」
「なるほど、そういう……?」
納得できたような、けれど無理に苦いものを飲み込もうとするような表情を浮かべる今田さんに、俺は小さくはははっと笑いを零す。
普段、無表情な今田さんが稀に浮かべる表情の中でかなり面白い顔の部類に入っていたからだ。
「今田さん、顔が面白いことになってます」
「……初めて言われました」
不愉快、というより意外、といった感じで今田さんはポロリと零す。
きっとイケメンやら美人やらは言われ慣れているんだろうなと思うので、それはあえて口にしない。
そんなやり取りをしている最中もロビーのやり取りは行われており、いつの間にか駆けつけた警備員数名がどこぞの副社長に話しかけ、穏便に引き取ってもらおうと囲っている。
どこぞの副社長らしい男性は、苛立ちを隠せないまま自分を囲う警備員の一人に持っていた花束を乱暴に投げつけると、荒い足取りでロビーから出て行った。
ここで大暴れするような無能でなくてよかったと、周囲はホッとしてようやく時間が動き出す。
足を止めていた人達は自分の向かう場所へと足をすすめ、今の出来事をさりげなく話題にしながらも現実へ戻っていく。
一番困っていたのは花束を押し付けられた警備員だが、黒澤本部長に「どうしたら?」と尋ねているようだが、どう頑張っても彼女は受け取るつもりがないらしく「悪いけど処分しておいて」と短くお願いするにとどめて。
彼と対峙したロビー受付の女性に謝罪と労いの言葉をかけるあたりは、ちゃんと配慮できているようだ。
「あれ、今後何度か見ることになりそうですね」
という今田さんの言葉に、今度は俺が何とも言えない表情を浮かべる番だった。