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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
そして二人の関係は
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待ち合わせに指定された場所は、まったくと言っていいほど人気のない、住宅に囲まれた小さな公園だった。

彼女の仕事の都合上、時間帯が夜になってしまったため、ポツポツと灯る公園の照明と下弦の月明かりだけが薄暗く照らしている。

公園の端にみる木は濃い緑の葉が生い茂っており、その下に設けられているベンチは新調されたのか、ペンキを塗りなおしたのか公園に比べて比較的新しく見受けられる。

そこに座って待っていたのは、スーツ姿のままの彼女だ。

酷く不安そうに少しだけ猫背になりながら、スマートフォンを覗き込んでいる姿に静かに声をかける。


「よぉ」


一体、どちらの態度(・・・・・・)で接したらいいのかわからないが、今はまだ“西條”として扱うことにして。軽く手を挙げて声をかければ、彼女は不安な表情を向けながら立ち上がると、慌てたように駆け寄ってきた。


「か、片山さっ――」

「飯食った?」


必死な彼女の言葉を遮り、俺が尋ねれば、「え?」と動揺したのちに、静かに首を振って食べていないことを主張する。彼女の様子に少しだけ安心して、自分の持っていたビニール袋を差し出した。


「近所の商店街でコロッケ買ってきた。俺、昼飯遅かったからあんま腹減ってねぇんだけど、コロッケ食べるの付き合ってくんない?」


そう提案すると、彼女は酷く安心したように眉を垂れ下げながら、ゆっくりと頷いてくれる。


二人で並んでベンチに座ると、紙に包まれたコロッケを一つ差し出す。冷めているがぬるい位で、彼女が食べ始めるのを待たず、自分の分にかぶりつく。

俺が食べているのを横目に見ながら、彼女も遠慮がちにコロッケをサクリとかじりながら「ふふっ」と笑って。


「ここね、父と母がまだ付き合ってもいない時にお花見しに来た公園なんだって。こうやってコロッケ食べたって聞いたことある」

「へー。これ桜の木なのか」


何となくベンチの上まで伸びる枝や葉を見上げながら間抜けな感想を述べる。


「お花見してたら、母が誘拐された場所でもあるんだけど」

「急にヘビーな内容!」


やべぇ話聞いた! 普通に生きてると絶対日常会話では聞かない単語! 『誘拐』!


驚いた俺に対し、彼女はあせあせと「ちゃ、ちゃんと無事に助かったよ!?」と付け加えていたが、それが前提でなければ話題にしてはいけない内容である。

流石だと言えばいいのか、彼女の家族もまた一筋縄ではいかない人生を送ってきているらしい。

あと、こんな気軽に話していい内容でもない。

ビビる俺に対し、彼女は話題を間違えたことを察したらしく「ごみん……」といつもの調子で謝ってきたから、コロッケを噴き出しそうになってしまった。


「な、何で笑うの?」

「いや、悪い……なんか、その姿見慣れないからかな。言動は“西條”だなって」


少し、安心したのだ。


会社で会った時は隙のないキャリアウーマンそのもので、いつもへにゃりと笑う西條からは想像もつかないほど冷たい雰囲気だった。

髪型もきっちりしているし、いつもファミリーレストランで働いている時はしていなかった化粧もしている。パリッとしたスーツは就業後であるにも関わらずパリッとしたままだし、ピンヒールを履きこなす足も新鮮で、何よりいつもの三割増しに美しいのだ。


今更気が付いたのかと言われたらそれまでだが、彼女は直視するのが恥ずかしくなるほど美人だ。


食べ終わったコロッケの紙をクシャッと握りしめてビニール袋に入れるが、彼女はまだ半分ほどしかコロッケを食べておらず、揃えた膝の上で両手で握りしめている。

その姿に、何で気が付かなかったんだろうな、と改めて自分の疎さに自嘲した。


座る姿が綺麗なのだ。よくよく見れば一つ一つの仕草もちょっとした動きが丁寧で洗練されている。


俺の視線に気が付いたのか、彼女は気まずそうながらもコロッケを食べ終えたのでゴミを回収し、それから静かに本題へと流れて。


「……黙っていてごめん。驚いた、よね?」

「まぁな」


黒澤財閥グループと言うだけあって、親族経営というには規模が大きすぎるが、筆頭株主だったり役職だったりに親族がいるというのは何らおかしいことではない。

黒澤財閥は親族が非常に多い事で有名だ。

ただ、彼女がその黒澤財閥の“どの位置か”までは知らないけれど、正直聞くのが怖くて問えないでいる。

相槌を打ったまま、無言を貫く俺にバッと振り向いて顔を上げたかと思うと、服を掴みながら彼女は文字通りしがみつくように乞うように。


「お、お願い……嫌わないで……片山さん。嫌いにならないで……?」

「何言って――」

「ちゃんと……言うこと聞くから……何でも片山さんの言うこと聞くから……嫌わないで……片山さん……お願い……」


――傍に居てよ。


そう願う消え去りそうな言葉と同時に、胸元に彼女の温もりが飛び込んでくる。

必死にただただ自分を求めてくれる、その震える体が酷く愛おしいと思える程度には情が移っている。


「落ち着け、な? 嫌いにはならないから」


自分に寄る体の両肩に手をかけ、ゆっくりと起き上がらせると、俺の言葉に安心したのか彼女はいつの間にか頬を涙で濡らしながらも嬉しそうに泣き笑う。

彼女の本当の姿はどちらかと言えば“西條”の時だったのだろう。いくら親族とは言え、この若さで本部長という肩書はかなりのものだ。

冷たい印象もぶっきらぼうな物言いも、きっと彼女が築き上げてきた立場しての砦で。


苦笑しながら彼女の両肩に置いた手を離し、ベンチから立ち上がると呆けた表情を浮かべる彼女にゆっくりと頭を下げて。


「すみません、黒澤本部長(・・・・・)。貴方の気持ちには応えられません」

「――え?」


顔を上げないまま、静かに告げる。


()には無理です」

「片山さ……なんで……」

「店長の件を解決してもらった事も、本社に推薦してもらった事も感謝しています。これからも仕事仲間としてお願いします」


彼女の泣き顔は俺の決断を鈍らせる。だからあえて頭を下げたまま続けて。


「もし、あなたに対する行為に責任を取れと言うのであれば別の形で償わせてくだ――」

「やめてっ! そんなこと望んでないっ!」


頭を垂れる俺の前に立ちはだかると、顔を上げるよう必死に彼女は訴える。覗き込みながら肩を押して体を起こすようにしながら詰め寄ってきて。


「お願い、やめてっ! 私、後悔なんてしてない! 責任取ってほしいとか思ってない! 自分が望んだことだもんっ! 私が勝手に無理矢理っ! ……なんでっ、片山さ……っ、そ、それならっ! 体だけの関係でもいい! 一緒にいて? ね? セフレでもいいからっ」


彼女の言葉に、カッと目の前が赤くなる。

勢いよく顔を上げると、頬を涙で濡らした彼女が悲痛な面持ちで俺を見たけれど、俺に縋りつく手首を掴んで怒鳴った。


「俺がっ! っ一瞬でも惚れた女を粗末に扱わないでくれっ!」

「っ!」

「……頼む西條。自分を大切にしてくれ」


結局、俺は彼女が“西條”だった時の方が付き合いが長い。

でもこれからは“黒澤本部長”である彼女との付き合いが長くなるだろう。平社員と本部長の関係なんて、大きな企業故にきっと思っているより希薄だ。


隠されていたことの大きさを考えても、俺に彼女が背負うものは大きすぎる。これから働く場所で上司になる相手と恋愛する根性は俺にはない。自分の能力が評価されているのか、身内びいきされているのかわからない状況にはなりたくないし、きっと彼女なら公私をしっかり分けてくれるだろうが、自分が公私を分ける自信がないのだ。


彼女を自分の特別にしてしまっては、きっと俺がダメになる。

会社が倒産になったり、働いていた店がブラックになったりとどん底だった生活が、ようやく前を向き始めたのだ。

今の状況で恋愛できれば更にハッピーだっただろうが、彼女の立場が明確になった今、その感情は俺にとって負担だ。


だからこそ、彼女とは付き合えない。


それが俺の出した結論だ。


「……ひどい、酷いよ片山さんっ……」

「ごめん」

「嫌わないって言ってくれたじゃないっ!」

「うん……でも、好きにもならない」


ごめん、と何度も零す。


「私っ……」

「うん」

「無理だよ……簡単に諦められない」

「悪い……諦めてくれ」

「だって、私、片山さんにっ――」

「やめろ」


彼女の言葉を遮ったのは、それ以上聞きたくないから。


「やめてくれ……それ以上言うな」


彼女がどうしてここまで自分を求めてくれるのか、執着するのかはわからないけれど、それを明らかにすると、きっと俺はもっと彼女を突き放せなくなっていたと思う。

嫌いより好きの気持ちが増えている今、彼女の本音を聞いてしまえば絆される。


だから、何も聞かずに離れるのが一番だ。


弱くて根性なしで最低な俺を嫌ってくれていいのに、彼女の表情は泣き腫らしながらも唇を噛みしめて、けれどその瞳は諦めているようにも見えなくて。


「もう少し、好きでいても、いい?」

「その気持ちには応えられない」

「すぐに諦められないよ」

「本当に無理だから……勘弁してくれ」


諦めの悪い彼女に、懇願するよう自嘲すると、悔しそうに眉間に皺を寄せる。


それでも彼女は美しい。


泣いたって、悔しそうにしたって、彼女の芯の強さは変わらない。


「……片山さんのバカッ」


そういって、急に首の後ろに手を回されたかと思うと、彼女のヒールが宙に浮く。

と同時にかすめるようなキスをされ、抵抗しようとした途端、彼女の体は自然と離れて俺の横を通り過ぎると軽やかなヒールの音と共に公園から立ち去って行って。


しばらく唖然としたものの、ゆっくり振り返り彼女の姿がすでにないことを確認した途端、頭を抱えてその場に座り込んで。

後悔は後からするから後悔と言うのだ。わかってはいたが、やっぱり惜しいことをしたという気持ちが湧き出てくる。

地べたに座ったまま空を見上げ、月を見つければ、彼女の泣き顔が脳裏に浮かぶ。

上を向いたまま両手で顔を覆っても、どしようもなく頭も心も彼女でいっぱいだ。


「あ゛ー……もったいない」


俺はそうやって、人生最大の婚期を自ら手放した。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、私の作品はオムニバス形式なので「あ」ってなる人も稀にいると思われます。

この公園はあの場所で、コロッケもきっと同じもので、何より縁が縋ったあのセリフは、かつて彼女の母親が言ったセリフのまま……という事に気づいた方は果たしていらっしゃるでしょうか。


とりあえず、第三章ここまでです。

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