13
未だ言葉を失ったままの俺に対し、声をかけてきたのは茂住さんだった。
「片山クン? 大丈夫かい?」
ようやくハッと我に返るも、一度始まってしまった動揺はなかなか隠しきれるものではない。そんな俺の様子に茂住さんは何を勘違いしたのか、うんうんと納得したように頷きながらつづけた。
「まぁ、気持ちはわかりますよ。今までただのバイトだと思っていた相手が実は上司になるかもしれないって心境は計り知れないですよね。でも気に病むことはないですよ。この人が言い出した事で、店舗スタッフにどんな態度を取られても問題にしないと公言していたのでね」
確かに一般的に考えて自分が危惧すべき点はそこなのかもしれない。
けれど本当の事をまさか茂住さんに言えるわけがない。
ただのバイトだと思っていた相手と、実は男女の関係になっていて更に告白を保留にしているなんて。
「そ……そう、です、か……」
苦笑いまじりにようやくひねり出した言葉は上滑りする。
口の中がカラカラになってなんだか冷や汗も出てきた気さえする。
必死に視線をさまよわせ、無意識に受け取っていた彼女の名刺に視線を落とした後、ゆるゆると目線を上げて彼女を見ると、今まで見た事がないほど冷静で無感情なまま俺をじっと見据えていて。
動かない俺と彼女を見かねたのか、また茂住さんが「とりあえず」と口を開いた時だった。
「失礼します」
開けたままになっていたらしい扉を軽くノックしながら新しい人物がやってきた。
自分とさほど年齢が変わらないであろう――けれど、彼女と同様にバリバリのキャリア・ウーマンという言葉がピッタリな女性が入室してきた。
スーツをかっちりと着こなす彼女に比べ、入ってきた女性は若干の隙を作っているようにもみえるが、なんていうか管理職と言うよりは秘書っぽい。
「こちらに面接予定者の片山さんという方が来社されていらっしゃるとうかがったのですが?」
唐突に繰り出された名は俺の名で。
当たり前のように反応した自分に対し、女性が視線を向けてきて。
「あなたが片山さんですか?」
「あ、はい」
思わず返答をすると、女性は納得したように小さく頷き、俺の背後にいる彼女に声をかける。
「失礼、本部長。片山さんの面接ですが、社長が行うとの事で――」
「ちょっと待って。なんであの人がでてくるの? こちらで仕事説明をして、彼の意思確認を行ってから、と話は通しておいたはずだけれど」
女性の言葉を遮って抗議する彼女に対し、女性は涼しい表情を浮かべたまま告げる。
「私は社長の命令で片山さんを呼びに来ただけなので、詳細についてはご自身で抗議なさってください」
どういう経緯かはわからないが、どうやらそう言う事らしい。
俺がどう動くべきか悩んでいると、彼女はチッと小さく舌打ちをしてデスクの上にあるスマートフォンを手に取り、どこかに電話をかける。
電話の相手にどういうことだと、冷静さの中に明らかな怒りを含んだ物言いをする彼女に対し、電話の相手は何かを言ったらしい。彼女の表情が悔しそうに歪んだかと思えば、しぶしぶと言ったように「わかったわよ……」と乱暴に電話を終わらせて。
「片山さん、急な変更で悪いけれど、面接相手が変わったわ。彼女について行けばわかるから。案内お願いね」
前半は俺に、後半のお願いはやってきたばかりの女性に告げた彼女は、それ以上こちらを向かないまま自分のデスクに座って書類に目を通し始める。
そんな様子をみた茂住さんは肩をすくめながら俺に振り返り「ということですので、彼女について行ってください。すみませんねぇ、振り回して」と、言葉少なめな上司の代わりに謝罪をしてくれた。
「あ、はい、わかりました」
そう言って女性の方を向けば、視線がかち合ってゆっくりと頷き、踵を返す。一応礼儀として、退室時に「失礼しました」と告げてから女性の背中を追うと、女性は俺の方を見ないまま簡単に説明してくれた。
「振り回してしまって申し訳ございません。社内での連携が取れていないばかりに」
「あ、いいえ……あの、私は今から社長、にお会いするという認識でよいでしょうか?」
「ええ。そうです。本来、中途採用の面接は部署単位なのですが、今回新設部署での採用ということでどうしても社長が直接、面接したいそうです」
ちょっとだけため息交じりだったのはたぶん気のせいではないだろう。
先ほど彼女が電話した相手は社長だと思うし、彼女もこの女性もどうやら社長に振り回されているようだと薄く認識する。
カツカツとピンヒールを鳴らしながら歩く彼女の背後を追いかけてやってきたのは最上階。
人の気配がないのは重役専用の部屋が並んでいるからだろう。
社長室というプレートが掲げられたドアを女性がノックすると、返事を待たぬままドアを開ける。
「社長。面接の片山さんをお連れしました」
「ん」
「失礼します」
彼女に続いて部屋に入ると、さきほど彼女が居た部屋よりもはるかに広い部屋。
ドアと反対側は全面ガラス張りで、オフィス街が見渡せる。
その前に大きなデスクが存在し、そこに座って書類に目を通していた人物を見て、ようやく納得した。