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ラピスラズリの恋  作者: 佐倉硯
日常は唐突に
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目を覚まして、視界に飛び込んできたのは彼女の寝顔だった。


と同時にやってきたのは二つの意味で“やってしまった”という罪悪感。

昨晩の思考を前言撤回させてほしい。


俺はサルでした。


しかも。……しかも! だっ!


二十八歳にもなって彼女の“初めて”がまさか自分だとは夢にも思わなかった。

完璧に酔った勢いだったし、自分には到底手が届かないような女性に求められるなんて奇跡に近い状況だったのだから、理性なんて簡単にぶっ飛んだなんてホント言い訳にしかならん。

求めてきたから経験があるもんだとばかり思っていたのに、こんなの予想外過ぎる。


女性と体を重ねたのは本当にいつぶりか。


自分はブ男であることも、体格も女性からは敬遠されるであろうことも自覚している。


それでも学生の頃、一度か二度、彼女がいた経験があったのは、まだ運動をしていて体格も運動部員の筋肉がついていたからこそだが、社会人になってからはとんとご無沙汰だった。

こんな容姿の自分でさえ経験があるのに、彼女みたいな美人に経験がないなんてそんな思考にすら至らなかった。

しかもつい最近まで嫌いだと思っていた相手なのだから、自分の節操のなさに自嘲が漏れる。

結局のところ、彼女が伝えたかったことはなんなのか、俺に抱かれることがそもそもの目的だったのか。色々と考えたところで答えは見つからない。


布団の中は互いに裸体で、昨日の情事を思い出してまた下半身が熱くなる。朝からバカなことをと必死に理性を取り戻し、改めて俺に身を寄せる彼女を見つめると、あどけない間抜けた寝顔に気が緩む。

もぞり、と彼女が身動ぎし、閉じていたはずの瞼がゆったりと持ち上がっていくのをただただ眺める。

おぼろげな意識の中、ようやく視線が交わったかと思えば、ふにゃりと笑って。


「おはよー」


何事もなかったかのようにいつも通り挨拶してくるから、ちょっと気が抜けたところで、彼女はさも当然のように裸体のまま自分の上にのそのそと乗っかると、バードキッスを繰り返してくる。


「ちょ、まて。おまっ……」


なんで恋人みたいに接してくるんだこいつは。

押しのけたところでようやく視線が合ったかと思えば、自分を見下ろす彼女の瞳に涙を溜め込んでいてギョッとした。


「なっ!? わ、悪かった! 昨日は勢いでっ!」


やっぱり自分みたいなのを相手にしたのは嫌だったよなと、動揺しすぎて言葉がつまったものの、彼女はうつむいて首を小刻みに横にふる。

そのまま自分に身を寄せたかと思えば、体を震わせながら小さくこぼした。


「ごめ、ごめんなさいっ……」

「……はぁ?」

「ごめんなさい片山さんっ……」


後頭部しか見えない状態で、突然始まった彼女の謝罪祭りに俺は動揺しつつも慰めるように彼女を抱き寄せる。頭を引き寄せ、ハラリとこぼれる彼女の髪を指ですくいあげながら撫でれば彼女は続けるように呟いて。


「……知ってるの。片山さんが私の事、嫌ってるの……でもどうしても……諦められなくて……」


……まあ、俺も態度に出てたし、きっと知られているだろうなとは思っていたが、まさか嫌ったままだと思われていたらしい。


「……嫌いな相手とこんな関係になってねぇよ」


ぶっきらぼうに告げれば、彼女はようやく顔をあげ、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらそれでも、と続けて。


「違うの……っ! それでもっ……私、きっと、今度こそ……今度こそ片山さんに本当に嫌われるかも知れなくて……それが……怖くて……っ」


抱いてもらって情の一つでも貰えれば、と浅ましい自分の欲望を吐露した彼女だが、その浅ましさに付け込んで抱いてしまった俺って。


「……一応確認しときたいんだけど」


と、こぼせば、涙で濡れたままの顔をあげた彼女に俺は苦笑をこぼす。

まさか、とか、俺なんか、とか、いろいろ考えてはいたものの。


「お前って、もしかして俺のこと好きなの?」


彼女はどうもたった一言で片付く事をいつまでも回りくどく、分かりにくくしている気がして、意外にも不器用なのかと知ると、そこもまたかわいく思えるのは完璧に情が移ってるし、彼女の作戦勝ちだろう。


「わ、わたし……」

「うん」

「ずぎぃ……」

「うん」

「がだやまざん、ずぎぃ!」

「鼻水やべぇぞお前」

「ごべんなざっ……」


再び泣きそうになる彼女に、俺はいまの素直な気持ちを伝える。


「ありがとう」

「――っ!」

「ありがとう西條。気持ちはうれしい」


でもなぁ。


多分、俺は彼女の作戦通り情が移っただけなんだろうと自分の気持ちを冷静に解析する。

こんなことで簡単に彼女を好きと言っていいもんだろうかとさえ思う。


「もう少し待ってくれるか? ちゃんと考えるから」


好きだと言わせておきながら、同じ気持ちを返せずに曖昧な事を言う俺を嫌うならそれでいい。

ぽろぽろと涙をこぼしながらも、我慢するように唇を噛み締める彼女にたくさん触れながら。


「私……まだ、伝えてないことがあるの……きっと……もっと嫌われるかもしれないと思って……伝えられなくて……。今度話すから……ちゃんと説明したいから……改めてその時、考えて……くだ、さい……」


まだ何かを抱えているらしい彼女の言葉にゆっくりと頷けば、ようやく彼女らしい気の抜けた笑みを見られたから良しとする。


けれど、彼女が抱えていたものは。

俺の想像を絶する内容であることが、ある日唐突に知らされることになる。



◇◆◇



西城縁との関係を真剣に考える事になってから十日後、俺は茂住さんと約束していた、面接兼仕事説明を受けに本社にやってきた。


新調したスーツは給料日前に痛手ではあったが、これからの自分のためにと奮発した。受付で茂住さんの名前を出せば、数分も経たずとエントランスまで出迎えてもらえる。

相変わらずにこにこと菩薩のような笑みを浮かべ、案内されるがままに茂住さんの後ろについて行く。

エレベーターに乗ったところで、おもむろに茂住さんが口を開いた。


「今回、君を欲しがっている部署は新設予定の部署でね。今まで外部企業に頼っていた部分を内製化しようという動きがあって。まぁ、それが人事関係の部署なんだが。今から面接で会ってもらうのは、人事部の本部長だ」

「本部長……ですか?」


思わずオウム返しに聞き返せば、茂住さんはうなずきながら説明してくれて。

役職で言えばこの会社は、一般社員から始まり、主任、課長補佐、課長、部長補佐、部長、本部長……と続いていくそうで、ようは部署のなかでは一番偉い役職だと端的に教えてくれた。


大きい会社としては少し珍しいとも思う。ここ最近の会社であれば、役職名はカタカナになることが多い。茂住さんのエリアマネージャーという言葉のように、CEOやらマネージャー、スーパーバイザー等が分かりやすいだろうが、グローバル化を目指す会社にはよくある話だ。

実際、この会社は大きな財閥グループ傘下にあるため、すでに世界各国に支社支店が存在する。

海外では多少役職のネーミングが変わるものの、日本では変わらずその役職名を使用しているらしい。


「ちょっと、気むずかしい人だが、決して悪い人ではないから」


そういいながらエレベーターを降りると、たくさんの社員の間を縫うように歩きながら、人事部本部長室というプレートを掲げた木目調のドアの前に立つ。

茂住さんが軽くノックをして、中からの返事を待たずに入りながら「お連れしました」という言葉と同時に促されて歩みをすすめると。


――言葉を失った俺は決して悪くない。


部屋の奥に設けられた立派なデスクの椅子に座っていたのは、見慣れたはずの見慣れない姿の彼女で。

いつも見せていた腑抜けな顔を忘れるほど無表情無感情。

ボサボサの髪型はキッチリと結い上げられ、タイトなスーツ姿はキャリア・ウーマンそのものだ。


「うちの本部長はヤンチャでね。現場主義な部分があって困るんだよ」


まるで悪巧みが成功したかのように嬉しそうに告げる茂住さんに対し、彼女は睨みながら冷たい口調で彼の言動を制する。


「茂住、うるさい」


本当に当人なのかと疑いたくなるほどぶっきらぼうな物言いに、茂住さんは慣れているのか、肩をすくめるだけにとどめて口を閉ざして。

カツカツとヒールを鳴らしながら歩み寄ってきた彼女は間違いなく――。


これが、彼女が抱えていたものなのかと動揺を隠しながらも身構えていると。

彼女は本当に抱えていたものを吐き出すように、すっと名刺を俺に差し出した。


「騙していてごめんなさい。西條縁改め――人事部本部長、黒澤縁です」


差し出された名刺の重みはすぐに理解できた。彼女の手が震えていたことなんて気がつかずに。


黒澤財閥グループ傘下の企業に勤める人間で、その名字の重みと意味が分からないほど、俺は馬鹿じゃない。


第二章はここまでです。

三章執筆中です

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