制御できない異能
「化け物」
「あんたがそう思ったら完全にそうでしょうね。でもあれが紫だってさ」
自嘲するようにアイラが鼻で笑う。それでも雛子は己の目が信じられなかった。
片方だけでも三メートルは超えていそうなこうもりのような羽、猛獣のような犬歯に鋭く尖った耳。肩までだったはずなのに紫の身長と同等に伸びている血のような色の髪。
唯一紫だと認識できるのは制服だけで、全身はどう見ても雛子の知っている紫ではなかった。
「……紫」
試しに震える声で呼ぶが彼女は答えてくれずに上に向かって口を開く。
「アアアァァァァァ!!!! 」
獣の咆哮とも取れる叫びが紫の口から出てきた。それと同時に紫の周りから炎が輪になって降り注がれる。炎が落ちた所は徐々に溶けていき穴になる。
「なんで。ゆか、どうしちゃったの?」
同じように呆然としているあさを引きずってまさは炎の届かない所へ急ぐ。
「ね、ねえまさ。私、あんな姿」
「誰も見たことないよ。それと多分、ゆかにはちゃんと意識がある」
「え? う、嘘よ! だってゆかは私達を殺す気なんて……ない、わよね?」
紫の苦しみは山梨の一件で十分に理解した。もし彼女が本当に耐えられなくなったら探偵社全員を殺しても文句は言えない。
「いや、今も殺す気はないよ」
理解できないあさは首を傾げる。
「僕はあまり体力もないからあさを抱えて逃げようとしてももう死んでる。いくら治癒力で能力を上げてもね。なのにさっきから炎は当たるどころか遠くの方で落ちてる」
「それは偶然」
まさは首を振る。
「僕が人より視力が高いのは知ってるよね」
「う、うん」
「ちゃんとゆかの焦点は合っていたよ」
「……嘘、よ」
飛び続けながら攻撃を止めない紫を見る。あさは今だけまさの視力を疑いたかった。
(ゆかが……自分の意思で殺そうだなんて思うはずない。絶対、絶対)
文化祭の前日。彼女はあさに言ったのだ。
あさは化け物じゃない。人間だ、と。
「私は」
紫を助けられないのか。家族を守れないのか。
(……あや?)
『木葉。いい名前』
もし紫が探偵社以外の人間を殺そうとしていたら――あやは仲間だが今は敵・サヤだ。もしそう認識されてしまったらあやは。
「――っ」
紫は敵が上にいると知ると上昇し始めた。
「紫!」
(駄目!!)
あさは近くにあった階段をかけあがった。
「あさ!? どこ行く気!?」
急に走り始めたあさにどれ程かまさは反応できなかった。
(殺させない。ゆかもあやも私が元に戻すのよ!)
サヤの日常は血を浴びることが主だった。
生まれて一週間も経たずに目の前で両親が首を掻き切られ、その血を全身に浴び、首が据わるまでは研究員に、それ以降も毎日血を浴びせ続けられた。
言語もハッキリした頃には研究員が真似をしろと命令し、目の前にいる『材料』の首をカッターで刺したのでサヤも真似をした。口と鼻を塞げと言われたのでいいと言われるまでそうしていた。
彼女には殺人の何が悪いのかもわからなかった。そもそも自分が人を殺していると知るのも九つになる頃だった。血を毎日浴び続けたせいで黒かった髪と目は赤に染まっていった。
サヤは頭も良く、六つの頃には研究所内随一の天才とも呼ばれた。言葉もよく知っていたが彼女は頷くか首を振ること以外殆ど無言で実験の手伝いしかしてこなかった。表情を動かすこともなく、ただ画面を見て人を殺すだけの機械がサヤだった。
「サヤ、お前は我ら剣を隠す鞘だ。お前がいなければ我らはその刃でしか戦うことができない。故にサヤの力は絶大でなければならないのだ」
「……」
自分をこの研究所に連れてきた氷河の言葉にも全く反応しないがそれがサヤだった。そんなサヤに氷河は血の入った試験管と注射器を渡す。
「そこには神の血が入っている。我らを守る為には神殺しの力が不可欠だ。その試験管の血を注射器に入れて首に刺せ。注射器の中には神を幾分か抑える薬が」
氷河の言葉は聞こえていたはずなのにそれを完全に無視してサヤは口から血を取り込んだ。喉を鳴らしながら一滴残さず血を飲み干すと試験管も注射器も投げ出してじっと待つ。
「ゲホッ」
サヤは一つ大きく咳をして血を吐いたが、それ以降は何もせずに氷河をいつも通り見つめるだけだった。
「痛みも苦しみもないのか」
サヤは一つ頷く。
「そうか。なら実験してみよう」
そう言って氷河はサヤをそのままにしておいた。