愛する親
「あ、が……はっ!」
「ひ、ひよちゃん!」
ひよが着ていた淡く黄色いワンピースが赤く滲んでいく。
「……っ。ああそうね。お前は鬼だったものね」
百目が突っ伏して真由美を睨む。
「さっさと底に眠りなさい。さもなくば……」
「私を消す? そしたら異能者ではなくなっちゃうわよ?」
異能者の中には妖に憑かれて能力を受ける者がいる。その者は体内にいる妖が死ぬと非異能者になってしまうのだ。
「い、異能とかそういうことよりも……早く処置しないとひよちゃんが死んじゃ……!」
「落ち着いてゆか」
そちらへ駆け出そうとする紫をあやが止めた。
「大丈夫だよ。から姉がひよを殺すわけないし」
「で、でも血が……」
「あれは百目の血だよ」
紫は耳を疑った。
妖の……血?
「でも百目はさっき自分は魂にくっついてるだけだって」
「本来はね。でもある程度時間が経って力を使うと体内に流れる。よくわかんないけど内臓とかも全部入れ替わるらしいよ」
「え、グロ」
目には見えていないが内臓が奥に吸い込まれて新しい内臓が――いや、これ以上はよそう。
「ああそれに阿修羅は人間を食べ物としか考えてないから本気で人間を殺そうとするなら切った場所から急激に腐っていくよ」
「く……っ!?」
つくづく鬼への思考がマイナスになっていく。
「ひよが異能者であろうが無かろうが私達の仲間に変わりはないわ。あなたが死んでも私達が彼女を蔑むことは無い」
「……」
百目が黙り込む。知らない人から見れば息絶えたようにも見えただろう。
そう。この事情を知らなければ。
「日和!!」
男性が百目に近付き肩を揺さぶった。
普通に意識がある百目は本気で驚いたらしく絶句している。
「ああ早く病院へ連れて行かないと……日和、頼むから死なないでくれ!」
「え、いや、誰?」
「君の……日和のお父さんだよ!」
あやと真由美は――というよりは紫以外の全員は二の句が告げなかった。
それもそうだろう。九年も生き別れた父が目の前にいるのだから。
「ひよ、り、の……父親?」
やはり妖でも状況について行けないらしい。この場で唯一冷静でいられるのは紫だけのようだ。
「おじさん落ち着いてください。ひよちゃんは死にませんから」
「だって血が!」
「説明面倒くさ……じゃなかった。とにかく死なないんです。だからちょっと待っててください」
「だが……!」
「ちょっと待て」
睨んで黙らせておく。
「から姉戻ってきて。私このカオス一人でやり切れない」
「え? あ、ああそうね。今はまず……えーと」
(あ、から姉も駄目だ)
なら百目を宥める――その必要は無かった。
「百目?」
「……戻ればまた傷つくのよ」
誰に話しかけているのか。そんなのわかりきっている。
ひよの意識が戻りかけているのだろう。
「幸福が一瞬でも訪れればその代償がやって来る。どうせまた不幸もやってくるのよ」
――わかってます。だからあなたが守ってくれてたのでしょう?
「今度は異能者も奪われるかもしれないわ」
──はい。それでも……日和として生きていきたい。あなたに守られなくても自分を守れるくらい強くなりたい!
「……あなたが言うなら仕方ないわ。阿修羅」
「な、なに」
「私はまた寝るわ。きっと当分日和は私を必要としないだろうし。じゃあね」
百目はあっさりとそう言い、呆けている真由美の方へ歩み寄るとそのまま膝から崩れ落ちていった。
「百目!」
ひよの額にあった目も身体中、部屋中にあった目も全て消え去っていく。
「ん」
「百……ひよ?」
「から……ね」
ひよは真由美の腕の中で目を覚ました。
「百目……」
「やけにあっさり解決してない?」
「え、ええ。まあ固執しないのが百目の性格なのだけれども」
あやと真由美が呆れ果てている隣で紫がひよの元へ進んでいった。
「ひよちゃん」
「はい?」
「ひよちゃんが願ってやまなかったこと。今なら叶えられるよ」
「願って?」
キョトンとするひよに紫は笑い返してある方向を見る。
「パ……パ?」
「日和?」
百目があんなに簡単に退散した理由は――きっとひよの一番の願いを叶えてやりたかったからだろう。
本当の――愛する親に会うということを。
「パパ……パパ……あ、ああ」
「日和? どうしたんだ? どこか痛いのか?」
ひよの目に大量の涙が溢れ出し体全体が痙攣しだした。
「パパぁぁぁぁぁぁ!!!!」
だからその声はどこから出てくるんだと言いたくなる程の大声でひよは父の前で泣き出した。
「やっと……やっと会えた。パパ。パパぁ!!」
父の戸惑いもものともせず日和は小さな子のようにスーツにしがみついて泣きじゃくった。
まるで体だけ成長した幼児のように。時が止まっていた心が急速に動き出したように。
「……ごめんよ日和。何年も悲しい思いをさせて。辛かったな。ごめん。日和……日和」
力強く父親はひよを抱きしめる。何年分もの愛情を込めて。
「何か色々腑に落ちないけど。一件落着であればそれでいいのかな。私達がここに来たのはひよとゆかの救出だけだし」
「そうね。じゃあ後はあやが記憶を消してくれれば……」
「ふざけるな!!」
真由美の言葉を遮って場に相応しくない声がホール内に響いた。
「兄さん……」
父はひよを守るように力を加えた。
「親不孝ものが! 帰ってこい日和。もう一生外へは出さん。お前は奴隷として生きていけば良いんだよ化け物が!!」
奴隷――。
化け物――。
(ああそっか。これが普通の人が思う異能者の存在)
奈緒や透は異能で救うことができた。
紫が出会った人達は異能者に協力的な人達ばかりだった。けれど里奈に教えてもらったのだ。
“良い印象を持つ者がいれば悪い印象を持つ者だっている”
「僕の娘はもうお前なんかに渡さない」
「今まで育ててきたのはこの俺だ! 化け物を保護してやっていたんだぞ!」
「日和は化け物じゃない。僕と愛梨の子だ」
「ならお前らも化け物だ。化け物化け物化け物!!」
伯父はその大きな体を揺らしながらこちらに襲いかかってきた。
「ひよ!」
「ひ……っ!」
真由美が剣の柄を伯父に向けて突こうとした時だった。
ボト……
伯父の拳が手首から切り離された。
「……へ?」
全員が一瞬何が起きたのかわからなくなった。いや、全員では無い。
「いぎゃあぁぁぁぁ!!」
落ちた右手は腐っていき伯父は痛みに絶叫した。
「今のうち……」
「ゆか?」
「今のうちに逃げましょう」
あやはこんな状況で冷静過ぎる紫以外に少なからず不快を向けた。だが。
「から姉逃げよう!」
「は?」
「早く!」
「え、いやだって」
「早く!!」
焦るあやに戸惑いながらも真由美は言われた通り全員を外に連れ出した。
不本意だが伯父も連れて――――