日和の闇〜中編〜
案の定、父は日和の力を借りて経営を進めた。
勿論日和の将来が危うくならない程度で社員に正当な給料を配布するくらいに。
「気味悪いと思っていた自分を恨みたいくらいだな。これだけ幼児に頼っておいて」
日和は四歳になり、意思の疎通もでき始めた頃合いになった。
「日和。こっちとあっちだと人気になるのはどっち?」
「むー……あっち!」
日和も楽しそうなので良しとしよう。
そんなある日。父の兄――つまり日和の伯父が妻を伴ってやって来た。
「兄さん久しぶり。義姉さんもお元気そうで」
「ああ。お前も愛梨さんもな。日和ちゃんもすくすく育って」
日和がこの二人に会うのは二度目だが最初は産まれたばかりの頃だったため、言ってしまえば初対面だ。
「……」
「ははは。怯えてしまっているね」
「日和。このおじさんは僕のお兄さんなんだよ。だから心配しなくて良い」
そう言われても無理である。男の方は何だか気持ち悪い目で愛梨を見ているし女の方は――
「とにかくこんな場所では何だしリビングに。愛梨、お茶を」
「はい」
台所へ向かう愛梨に日和も付いて行き足にしがみつく。
「日和ちゃん?」
「あのおばさんいや。ママのことずっとにらむんだもん」
日和に視えた女の感情は愛梨への嫌悪だった。
『どこの馬の骨とも分からない女。男を誑かす痴女』
日和には何の意味なのかわからないがその目が愛梨を嫌悪していることは分かる。
「心配してくれるの日和ちゃん。ありがとう。でもそれを本人の前で言っちゃ駄目よ」
愛梨は微笑んでリビングに向かった。その時の悲しそうな顔は日和の脳裏に焼き付いた。
「お待たせしました」
「ああ愛梨さん。良いところに来たね」
日和は両親の間に座った。相変わらず二人の視線に怯えているが。
「いい所とは?」
「ああ。今ね、日和ちゃんの不思議な力を教えてもらったんだ」
力とは勿論予知能力のことである。
「それでこういうことに詳しい人物を知っているんだ。何日か日和ちゃんをこちらに預けてくれればこの能力の正体がわかるかもしれない。どうかね?」
日和は嫌だと首を振った。いくら伯父でもこんな二人と暮らしたくない。
「日和も嫌がってますしこの話はもっと後でもいいのでは……」
「愛梨さん」
伯母が愛梨の言葉を遮る。愛梨は恐怖に身を竦ませる
「もし大事になってしまったら遅いんですのよ。そんなこともわからないの? これだから教養のない者は困るわ」
「いえ、その……」
「少し辛くともそれから苦しまなくて済む為に私達は言ってあげてるのよ。それとも娘が心配じゃないのかしら? 虐待ですよそれ」
「まあまあそのくらいにしておきなさい。それで愛梨さん。どうされましょうか?」
どうするも何も愛梨には拒否など認められないだろう。
「……っ。日和をよろしくお願いします」
日和は母の震える手と伯母の勝ち誇ったような目を見続けた。
それから日和は父と共に伯父の家へ向かった。伯父宅は伯母が成金なので大分裕福らしく家も屋敷のようだった。
「大丈夫だよ日和。おじさんもおばさんも優しい人だからね」
「……」
真実を見抜けてしまう日和にとってはそんな言葉、気休めにもならない。
「いらっしゃい日和ちゃん! 存分にくつろいでいいからね」
伯父に抱っこされる。所々油がテカっていて汗臭いが日和はグッと我慢する。
「じゃあ頼んだよ兄さん」
「え?」
もう帰っちゃうの? 日和は慌てて父の方へ手を伸ばしたが届かない。
「それじゃあ部屋に行こうか」
問答無用で中へ連れ込まれる。
(まってパパ……おいていかないで……もう会えなくなっちゃうの!)
連れてこられた部屋は無駄に広く恐怖心を駆り立てるだけだった。
「ここが君の部屋だよ。何でも欲しいものは言うといい。それじゃあまた夕ご飯でね」
「え?」
伯父は出ていこうとする。
「まって! 一人ぼっちいや。さみしいの」
伯父のスーツにしがみつく。
「寂しい?」
強く手を叩かれる。反動で日和は尻餅をついてしまう。
「お前は道具なんだから仕事だけしていればいいんだよ。ああでも護衛は付けるぞ。逃げられたら大事な商売ができなくなるからな」
そう言って呼び出されたのは二人の男だった。それと遅れてメイドらしき娘もやってくる。
「遅い! 何をしていたんだ愚図が」
「す、すみません。道間違えちゃって……えへへ……いたっ!」
伯父はメイドを殴った。
「次にこんなことをしたらクビだ。いいな?」
「は、はいぃ……」
伯父は怯えている日和ににやりと笑った。
「じゃあな。体調を崩しでもしたら容赦しないぞ」
乱暴に扉を閉められて、残されたのは日和と少女一人に青年が二人だった。
どうしたら良いのか日和にはわからないがどこにいても落ち着ける気がしない。
「お嬢様……日和お嬢様!」
「ひゃい!?」
「やっと返事してくれた。手が腫れています。手当てをしますね」
なすがままにベッドまで連れていかれそのまま座らされた。
「私は高岡萌乃と言います。萌乃とお呼びくださいな」
「もえの?」
「はい」
萌乃は日和の小さな手に湿布を貼りテープで固定しようとした――のだが。
「あら? あらら?」
指に貼り付いたりテープ同士がくっついて離れなくなったりで全く日和の手当ては終わらない。
「どうなってるんですかこれぇ!?」
「?」
パニックになっている萌乃に日和も首を傾げるしかない。
「……貸せ」
「ふぇ?」
護衛の一人が半泣きの萌乃からテープを奪い取り日和に手早く巻き付けた。
「子供の肌は弱いんだ。放置するとかぶれるぞ」
護衛が萌乃に一喝する。
「ひ、ひいぃ〜〜申し訳ございません」
「俺ではなくお嬢様に言え」
「申し訳ございませんお嬢様ぁ!」
「う、ううんだいじょうぶ。おにいさんのおなまえは?」
「俺は雪村千鶴。あちらは弟の真鶴です」
「ちづるとまづる?」
千鶴は肯定を示した。真鶴に目線を向けると無表情で会釈してくる。
「お嬢様はこれから我らがお守りします。なんなりとご命令くださいませ」
「なんなり?」
「……何でも」
四歳という小さな子を扱うのに慣れていないのか千鶴は苦笑した。
「ひよりはいつ帰れますか?」
日和は先程無意識に未来を見ていた。何日もここに閉じ込められて両親に会えなくなるという。
「“どうぐ”と“しょうばい”ってなんですか?」
あの時の伯父は態度を一変させ日和を罵った。
だが日和にとって言えば伯父が相変わらず気味の悪い目をしていることしか分からず言葉の意味なんてさっぱりだ。
「……っ。その、それは」
萌乃も千鶴も顔を背けて日和と目を合わせようとしない。
『こんな小さな子に説明してはいけないわ』
『こんな小さな子にあの人達は何て非道なことを』
二人からはそんな声が視えてくる。
(ひどう? あのひとたち?)
気まずそうな二人をじーっと見つめる。
今思えば慣れない場所で普通に――考えてみれば主従の口調だが――話しかけてくれた者への僅かな好奇心だったのだろう。
「ひ、日和お嬢様。この話はこれくらいにして御本でも読みましょうか。ほら、沢山の絵本がありますよ」
萌乃が慌てて日和の目の前に本を――投げた。
(このおんなのひとはドジっこさんだ)
日和は萌乃の性格が普通に理解できた。
(初対面でそんなドジされちゃひよちゃんも呆れるわな)
紫は苦笑いしながら話を脳内で整理した。
(内容からして愛梨さんとおばさん? は仲が悪いっぽいよね。おばさんの方が一方的にだけど。いびりとかそういうもの? それに道具とか商売って……)
つまりここは彼女の実家では無く伯父宅。
そしてひよは――
「利用されるためだけに監禁されていると」
「そうだ。邪心の強い者に……お前が言った“そんなこと”をされたのだ」




