雪村兄弟
「日和ちゃん。起きた?」
甘ったるい声に反応して目を開くと探偵社では無い天井――思い出したくもないような天井がひよに降り注いだ。
「ああ良かったわ。意識を失って帰ってきたから私も倒れちゃうところだったわ」
『大人しく言う事を聞いておけば面倒にならなかったのに』
「使用人もお父様もずっと心配していたの。無事で良かったわ。背も伸びて美人さんになってきたわね」
『あの女とそっくり。その力だけ残してさっさと野垂れ死ねば良かったのに』
(この人は異能のことを忘れているのだろうか。心の声がダダ漏れで笑いたくなる)
「どうしたの日和ちゃん?」
「……いいえ何でもありません。ご心配をおかけして申し訳ありませんわお母様」
(ああ嫌だ。この人の心は汚れすぎてる。苦しい思いをしながら懸命に生きている探偵社を見習って欲しい)
そう思えどこの女には伝わらない。彼女に口答えしようものならヒステリーを起こされるのだ。吐き気がする。その心も目も何もかも。
「失礼します。お嬢様、旦那様がお呼びになっております。身支度を」
能面をそのまま貼り付けたようなメイドが部屋に入ってくる。
「何を着ましょうね日和ちゃん。淡い色の方が似合うわ」
(淡い色も何もあなたは目立つ色を着せたことが無いでしょう? お父様の目が自分から離れていかないように)
「きっと喜んでくださるわ。急にいなくなってしまったから少しは怒ると思うけれどあなたのことを溺愛しているのだから」
「……はい」
(あさ達が教えてくれましたね。こう言うのを俗に“うざい”と言うのでしたっけ。心が読めることを知っていてまだ媚を売ってくるのですか?)
ひよは母親に促されるままに長くて誰もいない廊下を歩き父の書斎に辿りついた。
「お待たせしましたお父様」
「む。おお日和。待っていたぞ。四年もどこに行ってたんだい?」
二重――いや三重にもなるほどの肉が付いた顎にボタンが外れそうになっているお腹。近くにいなくても汗のせいで臭う。
「大変だったんだぞ。お前を探すためにあの手この手を使ったんだ」
(ええ知っています。わたくしを捕まえればいいのに萌乃をあんな目に会わせて)
「パーティーでも聞かれて誤魔化しながら君の現状をバレないようにしたんだ」
(ええ知っています。だってわたくしがいなかったら……いいえ百目が無かったら和田家は繁栄などしていませんもの)
「明後日のパーティーでも見てくれるね日和?」
(ああ……本当にこの人達は何て愚かなんでしょう)
「もちろんでございますわお父様。わたくしにお任せください」
ひよは抗うことのできない己の弱い心を嘲笑うように微笑んだ。
「……っ。どんだけ頑丈に固定してあんの」
紫はコンクリートで固められた部屋に閉じ込められていた。
後ろ手に縛られたロープはビクともしない程強く、痛みで泣きそうだ。見なくてもわかるくらい自分の手首の現状が浮かぶ。
(とにかくこういう時は落ち着いて慌てず状況を整理しろって社長に言われたな)
まずここはどこだろう。薄暗くて目の前もまともに見えないが檻ということは紫は閉じ込められているわけだ。そしてここに来る前。公園で変な黒ずくめの集団に襲われて車に乗せられてそこから意識が吹き飛んだ。
『あなた様を連れ帰ることでございます。日和様』
連れ帰る。日和様?
「ここはひよちゃんの言っていた和田家?」
「その通りだ」
檻の外から生首が答え――
「生首が喋ったぁぁぁ!!?」
「誰が生首だ。俺達は生きているぞ」
「生首が……え?」
真っ暗な上に黒ずくめだったが目を凝らしてみると男性が二人見えた。
「ああなんだ例の集だ……ぎゃぁぁぁぁ!?」
「お前は叫ぶ以外に何かできないのか?」
「こんな状況で発狂しないだけまだマシだと思ってください!」
自分の収集能力の良さをフル活用して何とか状況に追いつく。
異能を知った時から奇想天外なことが起こり、感覚が麻痺してるのかもしれない。
「……私の見張りですか。何もできない女子に二人とは随分慎重ですね」
皮肉を込めて言ってみる。どうせ殴られても心臓と首さえあればすぐ治るのだ。
どっちも異能を使ったあさと良い勝負ができそうな感じがするからすぐに紫の見栄も負け犬の遠吠えになるだろうが。
「見張りならそこで延びてるぞ」
「え? わーこりゃまたご丁寧に目まで回してる」
指示された方向を見た紫はその滑稽な光景に苦笑を浮かべた。
「じゃあどうしてここに来たんですか?」
「日和お嬢様のためだ」
「……はい?」
意味がわからない。いや、ひよのためだけなら喜んで協力するが彼らは敵なはずだ。
「色々と質問したいことはありますが依頼と取りましょう。サングラスを取って名乗って依頼を申してください。ついでにロープ切ってくれるととてもありがたいです」
いい加減痛みでどうにかなってしまう。正直麻痺してきているがつまりそれは手が使い物にならなくなってきている証拠だ。
「ああ。それにしても牢屋に入れられているのに怖がらない女は初めてだ」
「特技です」
鉄格子を開けて二人が中へ入ってくる。ロープは固く結ばれていてナイフで切らないといけなかった。
(……この人達ほんとに何してんだ?)
味方――なのだろうか。二人は言われた通りサングラスを外し紫と向き合った。顔は整ってるんだなこの二人――と密かに思ったりもした。
「俺は雪村千鶴。ここの護衛をしている。こっちは弟の」
「真鶴」
(おお兄弟! 確かに言われてみれば似てるかも)
「それで依頼は?」
「日和お嬢様を救い出すことだ」
「ひよ……日和の実家はここでしょう?あなた達から見れば『探偵社から』救い出すのであってもう達成されてるじゃありませんか」
「一般的ならばそれが正しいだろう。だがお嬢様にとってここは毒でしかない。そもそも彼女の実家はここではない。長くなるだろうが聞いて欲しい」
「何を?」
お嬢様の――和田日和の闇に葬るべき過去を。