しんの異能
後ろから声をかけられ紫は危うく悲鳴を漏らすところだった。
人当たりの良さそうな笑みを整った顔に称えた白衣の女性は紫に近づく。
「ここは元々詰められたように家が並んで隙間も無いくらいだったのよ。まあ精神が病んで逃げる者を閉じ込めるって説もあるそうだけど」
「ど、どちら様……ですか」
嫌な予感がする。
「私は白川 恵子。この病院の長をしているわ」
病院の長。ということは院長!
「あなたも息子と同じ異能者らしいわね。ちょっとだけ協力してほしくて呼んだの」
「協力?」
「そう。実はね、白川家でこれまで異能を使っているのは私の息子ただ一人なのよ。遺伝的なことなのかそうでないのか気になるの。職業病っていうのかしらね」
「?」
今この人は息子をただ一人と言わなかったか? だって双子じゃないのか。
「双子だから二人でしょう? しん……じゃなくて真一さんと正一さんで」
恵子の表情が凍りつく。笑顔がない美人は怖いだけだ。
「知らないようね。あなた何時頃からあの子と一緒にいるの?」
「え……っと三ヶ月くらい前から……です」
「なら無理もないわね。あなたに一つ教えてあげるわ」
白衣のポケットから大分古びた写真を取り出す。そこには今より若い――今でも充分若そうだが――恵子と小さな男の子二人が写っていた。
「真一はいい子よ。物覚えも早かった。こう言えば察しはつくでしょう? 正一は役立たずだったのよ」
恵子は丁度まさとしんを引き離すような形で写真を破いた。
「あの子はトロくて何もできないでくの棒だった。異能だって回復なら病院で役立つと思っていたらすぐに力が尽きて何日か寝込んで。真一と正一の異能が逆なら良かった。あんな役立たずよりずっと良かった!」
息を荒らげる恵子に紫は何も言えずただ立ち尽くしていた。
そんなに異能が必要か。自分で産んだ子をそんなに嫌うのか。
「病院の為にならないから……だから追い出したんですか」
「正一はそのつもりだったのだけれどその前に真一が一緒に家出したわよ。兄思いな子よね」
兄思い? 違う。母親が愛情を与えなかったからこんなことになってるんだ。
「親として恥ずかしくないんですか……」
「は?」
「自分で産んで育てて子どもを嫌うんですか。役立たずと嘲るんですか!」
「……」
恵子の冷たい視線が紫を見つめる。
「私はこの場所を守らなければいけないの。あなたにはわからないでしょうね。責任の重大さが。そのための正しい決断だと思っているわ」
(これが正しい決断!?)
息子への――仲間への侮辱に感じた紫は握り締められた拳を恵子に振り下ろした。その瞬間。首筋に針で刺されたような痛みを受け、力も抜けていった。
「一般人なら即死亡だけど異能者は体も強いのかしら。ご苦労様ね小鳥遊」
「はい」
同じ白衣姿の莉乃が紫の首から注射器を抜いた。
「な、なに……なにを」
感覚が麻痺して上手く呂律がまわらない。
「本来は暴れる動物を大人しくさせるための薬なんだけどね。普通は毒だけど異能者は特殊なのよね。実験してわかったわ」
誰に? 聞かなくてもわかる。
「……さい、て」
「何とでも言うといいわ。私の息子は真一ただ一人。正一はいい研究材料なの。小鳥遊、私は一回戻るからその間に準備を終わらせてね」
「承知しました」
動けずに這いつくばっている紫を抱え上げ莉乃は廃墟に向かう。
『お父さん』
「?」
朦朧とする意識の中で紫の頭にそんな言葉が響いた。
(遅過ぎやしないか?)
女の事情もあるのだろうからあまり深くは突っ込もうとは思わない。だがもう三十分は経ってる。流石に心配になってきた。
「……」
さてトイレの前に着いたがどうするか。本当にあさを連れて来た方が良かったのかもしれない。
女装? いや無理だろう。
妹がいる? 理由になっていない……妹?
「すみません!」
通りかかった一人の女性を引き止めた。女性は怪訝な顔をしながらも止まってくれる。
「突然すみません。あの……実は妹がトイレに行ったまま何十分も出てこないので具合が悪いのか確かめたいんですが……その」
その説明だけで大体女性は納得した。
「特徴とかはありますか?」
「え? あ、名前が珍しいです。紫と書いて紫です。後は……」
異能者と言いそうになってしまった。
「あ、いえそれくらいです」
「わかりました」
女性はトイレへ入っていった。
(大丈夫かな。そんなに夏風邪は酷くなかったのだけれど……急に悪化することもあるし)
女性はキョロキョロとトイレを見回すが生憎外にいるのはどう考えたって先程の少年より年上の者ばかりだ。
(不謹慎だけど……)
閉じられている個室を小さく叩いてみる。
「ゆ、ゆかりちゃん? お兄さんに言われたのだけれど……」
返事が来ない。もう少し待ってみたが無駄だった。
諦めて戻ろうとすると何かが足元に落ちていた。
「紫……あ、ゆかり!」
急ぎ足で外に出て少年の元へ行く。
「いなかったけどこれは落ちてましたよ」
「……あ! ありがとうございます。すれ違ったのかも」
何度も礼をしてロビーに向かう。女性の死角に入ったところでしんは笑みを解き早足になってロビーまで急いだ。
(すれ違いなんてしてるはずがない。まさかマフィアか?)
マフィアの構成員を知らないため誰が敵かもわからない。
もしマフィアなら紫を連れ去るはずだ。携帯もここにあるから連絡を取れない。
「とりあえず社長に連絡して……」
外に出て気配を感じて横を見る。
「相模さん?」
先程別れたはずの依頼人、相模当道が遠くの方に立っていた。
「相模さん! 帰ったんじゃ」
「……お前か。破壊神はどうした」
「ゆかなら今探して」
しんが息を呑むのを見て相模は笑う。
「破壊神って」
「ご苦労なことだな小僧。私が行こうか」
「マフィア……!」
しんが隠しナイフを取る前に手首を掴まれる。
「異能・重厚長大」
上から重力がのしかかったように膝から崩れ落ちる。何とか耐えようとするが力の差は歴然としている。
「私の異能は重力を操れる。お前を押し潰して窒息死させることも可能だが無駄に手を汚したくない。そのままにしておけば誰か助けに来るだろう」
今にも倒れ込んでしまいそうなしんを放って歩き出してしまう。
病院の前で具合が悪そうなしんを見つけて看護師が早足で寄ってくる。
(駄目だ。こっちに来たら異能がばれる)
これを解除しなければ。
『しん。何があっても異能は使っちゃ駄目よ』
里奈の言葉が頭に響く。
(ゆかを助けるためだ)
「異能・山紫水明」
とりついていた重みが消え体を動かせるようになった。
「大丈夫ですか?」
「はい……少し、立ちくらみが、あって。すぐ帰るので、平気です」
「そうですか? 無理そうなら言ってくださいね」
看護師が行くと、しんは心臓をさする。
「……やっぱり辛いな」
『しん。あなたの異能は神の異能者と同じように異能を無効できる。でもね、この異能は代償がつく。寿命を削らなければいけないのよ』
重厚長大→落ち着いていて重々しい様子
山紫水明→山や川のある自然の光景が美しく清らかな様子(ちなみに雪桃はこの言葉を意訳して美しいものには代償があると考えたのでしんの代償も寿命にしました)