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乙女よ。その扉を開け  作者: 雪桃
〜三章〜
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弐拾六

 それから二人は文字通り泥のように眠った。三日間ほとんど起きなかった二人の仕事は大抵縁がこなしていた。

 そして疲れも収まってきた四日目。


「ん……」

「起きたか舞姫」


 眠りすぎて逆に()れた目を上げると肘をついて舞姫の頭を優しく撫でてくれている水輝がいた。


「私……」

「少し経ったら風呂に入れてもらえ。汗をかいたままだと気持ち悪いだろう」


 はっきりしてきた思考の中で何日か前の出来事を思い出す。水輝がいなくなると一気にあの忌々しい記憶を思い出した舞姫を慰めてくれる者はどこにもいなかった。混乱しだした彼女は狂気に取り憑かれたようにきっかけとなった舞を一心不乱に踊り出したのだ。

 その間に水輝は起き上がって使用人を呼びに行った。水輝に撫でられた部分を触ってみる。


「うぇ!?」


 風呂に入っていないのだから当たり前だが頭皮は脂でベタベタ。体は汗と汚れで変な臭いがする。


(さっき水輝様私のこと撫でてたよね? こんな)

「早くお風呂入らせて!」


 舞姫は走って浴槽に飛び込んだ。


「水輝様の胸で泣きじゃくるし汚い姿で隣で寝るし。最低なの私?」


 頭から湯を被りながら項垂れた。


「ああ最悪」

「まきしゃま」


 呼ばれて振り返ると裸の瑠璃がいた。


「瑠璃ー。一緒にお風呂に……え?」


 普通に返事をしたが。


「なんでここに」

「おかあしゃんといっしょ」


 瑠璃が指す先には縁の姿が。


「縁!?」

「おかあしゃーん」


 足袋だけを脱いだ縁は瑠璃に促されるまま浴室に入っていった。


「なんで……」

「なんでいるのかって? そりゃあ離縁させられて行き場を失くしましたから」

「あ」


 思い出した。水輝が町に行った理由は縁を離婚させる為だった。


「そんなに強ばった顔しなくてもいいじゃない。もう何しようが後の祭りなんだから」


 縁の言葉に息が詰まる。


「それよりまさか一人で入るとはね。普通女中が洗うのに」

「普段は否応なくそうされてるんだけどね。流石にここまで汚れてると」

「あら。屋敷に来た当初より随分良かったけど」

「比較しないでよ」


 石鹸(せっけん)を取り上げるとそのまま縁は舞姫の体を洗い始めた。恐らく瑠璃を風呂に入れたついでだろう。


「また帰ってくるの?」

「いいや。違う職場を見つけるよ」

「え?」


 また戻ってきてくれると思っていた舞姫は思わず振り向いた。


「泡飛ぶからじっとしてて」

「なんで? だって他に行く所……」

「ない。だから離婚したくなかったのよ。娘を後ろ盾のない不憫な子にしたくなかった」

「ごめ……」

「謝る必要ないってば。もうこの話はどうでもいい。橘様も仕事を探してくれるらしいし」


 何事も無かったように平然と言う縁に何も言えなくなってしまう。


「おかあしゃんもうおふろやだ」

「ああごめん。舞姫、体は自分で拭いて」


 布を渡されて縁が娘のところへ行ってしまう。


「……お先に」

「はいはい」


 縁の声音にも行動にも怒りや恨みは全く感じられなかった。


(何を考えているの縁)




 寝ていた二人に代わって縁が禍乱家に手紙を出していた。


「あら里子様。御機嫌よう」

「お久しぶりです縁様。あの、お姉様達は」

「二人なら部屋にいます。案内しますね」


 半狂乱になった舞姫の姿を里子も見たのだ。心配になって様子を見に来たのだろう。

 部屋の前まで着いて縁が戸を開けようとした時だった。


「だ、だめです。流石にそこまでは頬張れません」

「お前ができないと言うからやってるんだ。これくらい我慢しろ」

「こんな熱いものを一気に口に入れたら火傷します」

「そこまで熱くないぞ」


 水輝の強引な声と舞姫の遠慮がちな何かを咥えたような舌足らずな声。悪戯心を開花させた縁は赤面している里子を見てにやつきながら一気に戸を開け放った。


「だ、駄目です! まだそういうやましいことは」

「里子?」


 姉に呼ばれて恐る恐る里子が目を開けると妻に(かゆ)を食べさせている夫の姿があった。


「え?」

「あつっ。だから言ったじゃないですか」

「猫舌なんだな」


 舞姫は水で舌を冷やす。


「そういえば里子。お見舞いに来てくれたの? ありが……」

「淫乱なお姉様なんて大嫌いです!」


 そのままぷんすかしながら里子は帰ってしまった。


「い、いんらん?」

「こ、この姉妹本当に面白い」


 床に伏しながら大爆笑している縁を見て更に混乱が生じたのは言うまでもない。

 水輝は置いておくとしても舞姫の回復力は尋常ではなく、三日後には夫に代わって仕事がこなせるようになった。


「どうしてこんなに子連れは受け入れらないの?」


 縁の新しい仕事を見つけようにも受理どころか話さえ聞いてもらえない。


「田舎育ちの娘なんて役に立たないしね」

「使用人に余分に金を出すなどと思っている者もいる」


 良い答えのない紙束を纏めて置く。


「禍乱様にも行く宛がないか聞いてみます」

「そこまでしなくても」

「する」


 舞姫は瞬間移動しようとして──傍と止めた。


「やっぱり徒歩で行きます」

「どうして?」

「どうしても」


 理解できていない二人を置いて、舞姫は歩いて禍乱家へ出向いた。


「予想通り」

「僕がいると見越して魔法を使わなかったのかい?」

「魔法じゃありません」


 雄介と出くわした舞姫は黒い笑みを浮かべながら素通りしようとした。


「……何でついて来るんです」

「楽しそうだから」


 何とかして振り解けないかと思っているとすぐに当主の部屋に着いてしまった。


「個人的なことなんですけど」

「気にしないよ」


 会話が成り立たない。


「舞姫様」

「真由美」


 外の声を聞いたのか真由美が出迎えてくれた。そしてその後ろには。


「雄介様!」


 里子が雄介に抱きついて人目も(はばか)らず胸にぐりぐりと頭を押し付けていた。雄介もそれに応じて里子の頭を撫でる。


「自分の妹が馬鹿に見えるんですけど」

「あなた方も似たり寄ったりですよ」


 そんなことよりももっと大事なことがあったのだ。舞姫は用件を当主に伝えた。


「手立てはありませんか」

「難しいな。そこまでの条件で雇うのは外れくじを引いたようなものだから」

「そうですか」


 落ち込む舞姫を見て里子は思案する。


「何とか説得してその場に残すことはできないんですか?」

「できるけどそれは最終手段にしてくれって」


 縁は瑠璃に辛い思いはさせたくないと言っている。全員で悩んでいると隣に座っていた雄介が咳払いをした。


「僕に考えがあるのですが」

「何です」

「里子さんの女中にさせるのはどうでしょう」


 話に出された里子は自らを指して首を傾げた。


「都会に来ても里子さんは令嬢です。まだ使用人はいないならば付き人の経験もある縁さんに任せても支障はありません。花嫁修業にもなりますし」

「花嫁?」


 舞姫のこめかみが引き攣る。だが雄介は話を続けた。


「里子さんと僕が結婚すれば縁さんも仕事を貰えます。それに出稼ぎでもありません。娘さんも知り合いが近くにいるから安心だろうし」

「うっ」

「簡単です。あなたが頷いてくれれば万事解決です」

「万事、解決……」


 形勢逆転とでも言うように雄介が詰め寄ってくる。


「ゆ、縁に聞いてからでいいですか」

「勿論」

「だ、旦那様。一回帰ります」


 そう言って焦っている舞姫は瞬間移動してしまった。




「……と、言うわけなんだけど縁どうする?」

「どうするってそんな贅沢な話、またとないでしょ」

「そうよね。やっぱそうよね……」


 縁なら百パーセント肯定するに決まっている。これで後は舞姫が結婚を承諾(しょうだく)すればいいだけだ。


「あんな胡散臭い輩と」

「そんなに言うんだったら私が見張っててあげるわよ。どうせこの先ずっとついて行くんだし」

「うん……」


 何をそんなに結婚を嫌がっているのかはわからないが舞姫もこの手に乗らなければ後はないことは知っているだろう。


「本当に里子についててくれる?」

「勿論。なんだったら瑠璃を一晩中二人の間に置いても……」

「そこまではいいわ」


 縁がここまで言うのだったら結婚を承諾せざるを得ないだろう。


「わかったわ。認める。認めるから絶対に里子をふしだらな女にさせないでね」

「あなたはあの二人をどう見てるの」


 今回の反応は少々面倒だと思ったのか縁は彼女を揶揄うようなことは一切しなかった。


「それで? 結婚の調印はいつするの?」

「み、認めただけじゃ」

「駄目に決まってるでしょうが。まさか禍乱様に全部投げ出そうなんて考えてないでしょうね」

「そ、そんなこと、ね?」


 金はどうしようもないのであちらに任せるとしても婚礼の儀や諸々の支度を姉がやらないのは里子にも雄介にも失礼に値する。縁はにやりと笑った。


「それでは私がいなくなる前にしっかりと礼儀を叩き込んでおかなければなりませんね舞姫様?」

「……ご教授の程、宜しくお願いします」


 その明日に舞姫は二人の婚約を認め、式を挙げるまでの一ヶ月、たっぷりと縁に扱かれたのであった。

 ちなみに結婚してから四年、里子が焦れったくなる程雄介は手を出すことが無かったらしい。

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