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乙女よ。その扉を開け  作者: 雪桃
〜三章〜
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弍拾伍

 結論から言うと縁を離婚させるのは簡単だった。水輝が絶句する程。


体裁(ていさい)を考えなくて良いのか?」

「あれは死んだことになっている。そんな奴に世間体など気にするか」


 同じ身分であれ、田舎者と見下しているのだろう。水輝と対面する男は鼻であしらう。


「それならもう用はない。縁の元へ案内してくれ」


 そこまで体の調子は良くないが、今事を済ませておかなければ後が詰まると踏んだ水輝は下女に案内されて陰湿な一室に着いた。


「……こんな所、囚人でも入らんだろう」


 水輝の独り言に下女は嘲るような笑みを見せたが一睨みされて慌てて上に戻った。


「縁、入るぞ」


 何となく中の様子を察知した水輝は一つ断りを入れて軋(きし」む戸を開けた。

 中は外よりマシと言える程度で、最低限必要な生活用品も使い古されて黄ばんでいる。そんな部屋の隅で母の着物に包まりながら瑠璃は熟睡(じゅくすい)している。


「私にも考えはある。と言ったはずだ」


 汚れも気にせず水輝は縁の真正面に座った。先程から無言の縁の身体からは本気の怒りが伝わってきている。その瞳は血のような赤に染められた。


「その目を見るのも何年ぶりか」

「余計な真似を」


 低く響く声が水輝の耳に入る。


「私がいつ助けてほしいと言いました? いつ離婚したいと言いました?」

「聞いたことはないな」


 白けたようにそう言う水輝に縁は苛つき始めた。


「逆に聞きたい。お前はこんな牢獄に自分の娘を閉じ込めさせて何故平気でいられる」

「単純に天秤(てんびん)にかけただけです。閉じ込められても最低限の衣食住は保証される。又はここから抜け出して路頭に迷う」

「私の元に帰ってくれば良かっただろう」


 当たり前のように言う水輝に縁は鼻で笑う。


「世間知らずもいいとこですね。一度退職した女中が子連れで戻ってくる。それがどれだけ肩身の狭いことか分かりますか? わからなければあなたの妻でも思い出してみなさい。妹を連れるのにどれだけ人に疎まれてました?」


 世間知らずとはっきり言われてしまった水輝は二の句が告げられなくなってしまった。そんな姿を見て一つ大きく溜息を吐いた縁は無言で数少ない私物をまとめ始めた。


「あなたが勝手に離婚させてしまったので私の居場所も無くなりましたからね。歩いて帰りますよ」


 自分の荷物と瑠璃を抱えて水輝に手を伸ばす。


「申し訳ありませんが町外れからは力は使えません。車もないですしあなたには大分酷……あら? そういえば舞姫は?」

「置いてきた。ここまでは徒歩だ」


 縁は危うく瑠璃を落としそうになる程酷く驚愕した。


「勿論休みながらここまで来た」

「……家を出て何日目ですか」

「五日目だ」

「食事は?」

「奉公に出ている者から分けてもらった」

「薬は?」

「どうせ効くかもわからないものだ。途中で吐血したがそれも一度だけ……」

「あなたはっ!」


 怒鳴る縁に水輝は口を閉ざす。そのまま(まく)し立てられそうだったが体力の無駄だと悟ったのか彼女にはあるまじき整った一つ結びの髪を滅茶苦茶に掻き毟りながら裏口らしき扉を開けた。


「少しでも体調が悪くなったら必ず言ってくださいね」

「ああ」


 道中何度か荷物を持とうかと聞いてきた水輝を病弱な者に任せられないと縁は一度も渡さなかった。




 そして三日後。


「何故瑠璃は起きないんだ」

「力を使って寝かしているんです。解けばいつでも起きますよ」


 意地でどうにかなるものなのかはわからないが水輝の体調も悪化しなかったため予定より早く帰れた。


「客室を開けるからしばらくはそこに滞在しておけ。職は私が見つける」

「そんなに簡単なことではありませんが。お言葉に甘えましょう」


 橘家に着いて早々女中達に指示を出し、縁を客室に連れて行かせる。


「舞姫は?」

「あの、舞台の方へ」


 早く来てくれとばかりに女中が水輝を押す。

 そこで目にしたものは。


「……何してるんだ」


 舞姫は汗だくの状態で舞って転んで綺麗な顔をぐしゃぐしゃにする程泣きじゃくっては何かを()うようにまた舞う。


「みじゅきしゃま。早く帰ってきて。ひとりにしないで」


 駄々をこねる幼子のように舞いながら叫ぶ。


「一週間、飲まず食わず寝ずで橘様を呼んでいるんです。里子様と真由美様も止めに入りましたが半狂乱になってしまって」


 きっと舞姫はこう思っているのだ。舞えば水輝は振り向いてくれる。あの時のように。


「みじゅ、みずきさま! まきはここにいます! はやくかえってきて……かえってきてよぉ!!」


 到々踊ることを止めて突っ伏してしまった。そんな娘に水輝は近づいて腰掛ける。


「舞姫」


 彼女の体が勢い良く跳ね上がる。


「み、ず……」


 息切れしてしまっているのか舞姫は途切れ途切れに言葉を出す。その隙に水輝は弱ってしまった体をきつく抱きしめる。


「すまない。寂しかったか? 苦しかったか?」


 毎日泣いていたとは思えない程の涙が舞姫の頬を流れる。


「……くらい」


 水輝の胸を叩く。


「行ってきますくらい言っても良かったじゃない。待っててって……なんで私に何も言ってくれなかったの!」

「ああ」

「妻じゃない! 私、あなたのたった一人の家族じゃない!」

「ああ」


 段々強くなる舞姫の攻撃を防ぎもせず水輝は抱きしめる。


「お願いだからいなくならないで。私の元で長生きして……水、輝様」


 最後の方は掠れ声になる。水輝が力を緩めると頭は膝の方へ持っていかれる。疲労が押し寄せてきたせいで眠ってしまったらしい。それでも水輝の袖を掴んだまま離そうとしない。


「お前がいなくなっても私はお前から離れない。永遠に」


 目尻に残っている涙に口づけるとそのまま頭を撫でてやる。すると入口の方で音がした。


「流石にそこで寝かせたら可哀想でしょう」


 荷物の整理を終えて瑠璃も預けてきた縁が苦笑していた。


「布団敷いてさしあげますからそちらに寝かしてやりなさい」

「それなら舞姫の部屋に。私はまだやることが」

「いいえあなたも休むんです。半狂乱になった子が起きて一人で寂しくてまた狂う、なんて悪循環見たくありません。面倒だし」


 縁は舞姫の腕を自分の肩に乗せて引きずる。その後を水輝もついて行く。


「乱雑ですねこの部屋。これじゃあ一枚しか敷けませんよ」

「ならいい」

「いや休んで……」

「同じ布団で寝る」


 縁はいくらか呆然としていたが不意に吹き出して舞姫を中心から少しずらした。


「それでは邪魔者は退室しましょうか。お休みなさいませ橘様」


 縁がいなくなると後は(すこ)やかな娘の寝息が耳に響いた。


「……私も寝るか」


 いつの間に直したのか先程まで肌蹴まくっていた舞姫の着物が少し帯を緩めてあるだけで普段通りになっている。


「お休み舞姫。良い夢を」


 長くて綺麗な黒髪ごと抱きしめながら水輝は眠りに落ちた。




 その日。舞姫は夢を見た。妹すらいなくなった昔の孤児の記憶。


「銀? どこ? なんで私は一人なの?」


 舞姫は泥沼に半身を沈めていた。一歩を踏み出そうとしても思うように進まない。


「一人にしないで。誰か!」


 涙を流しながら舞姫は暗闇の向こうへ手を伸ばす。するとその向こうから一筋の光が見えてくる。


「?」


 頬を両手で誰かが包んでくれる。


「舞姫」

「ああ……ああ……」


 その者を知って舞姫は幸せそうにまた涙を流す。


「やっと……やっと帰ってきてくださったのね。水輝様」


 そこで目が覚めた。


「夢?」


 横から気配がして見ると安らかに寝ている水輝の姿。夢じゃないと知ると舞姫は水輝の胸元に顔を寄せてまた眠りに落ちた。

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