拾七
「……ゆかり?」
ようやく正気を保った舞姫は書物を読んでいる縁に目を向けた。
「起きた?」
「うん。わたし」
「起きたのならこれ羽織って。水輝様に挨拶しないと」
着物を着終わったところを見て、縁は舞姫を連れて水輝の元に瞬間移動した。
「起きたのか舞姫」
熱の余韻により力が入らない舞姫を縁は座らせて自身も隣に座る。
「ご迷惑をおかけしました」
「構わない。突然のことに体が追いつかなかったんだろう」
「私が倒れた後里子は」
「真由美殿が宥めて何とか落ち着いた。彼女も急に記憶が戻ったから焦ったのだろう」
里子の方は眠っていた期間が長かったから心の余裕もありすぐに落ち着いたらしい。
「里子殿は舞姫が落ち着けるようだったら二人で一度話したいと言っていた。銀としても、里子としても」
どうする。と水輝に問われて舞姫は悩んだ。突き放しても許してくれて、更に話もしてくれる里子は寛大だが不安はそこでは無かった。
果たして自分は逃げずに里子と話せるだろうか。また飛び出してしまわないだろうか。もし逃げてしまえば二度と里子とは会えなくなる気がする。逃げる可能性は低くない。
だがここで引いたら一生後悔する気がする。舞姫が俯いていると水輝が不意に口を開いた。
「ならば私も同行しようか」
「へ?」
意外すぎる言葉に舞姫は素っ頓狂な声を出してしまった。それもそのはず。水輝が外出を許されたところを舞姫は一度も見たことがないからだ。
「そ、それは無理があります。だってあなたは」
「外に長い間出なければいい話だ。それに縁が瞬間移動を使えば私はほとんど外に出ない」
「私が行くのは決まりなんですね。でもどうしてわざわざ」
「お前が早く決断しろと言うからだ。妹と仲を取り戻したら即座に言わないと取られそうだからな」
内容がわかっていない舞姫とは反対に縁は一つ吹き出した。
「ああ楽しい。こんなに初心な殿方は初めて見ました」
「……。それで舞姫。お前はどうする」
「え? あ」
話が逸れて忘れていたが舞姫が決断しなければ話は進まないのだ。
「里子は私と話したいと本当に言っていましたか」
「当たり前だ。でなければこんな話持ちかけない」
舞姫は握りしめた拳を見つめる。
(逃げない自信はない。でも後悔するくらいなら)
「行きます」
決意を固めた舞姫を見て水輝も頷く。
「そうか。日時はお前の好きにしろ」
「明日。引きずっても仕方ありませんので」
「わかった。急いで手紙を寄越そう。縁」
「かしこまりました」
舞姫が動けない為、臨時で縁が付き人になっているらしい。身重なので引き締まる使用人の格好をしていないらしく舞姫も言われるまで気づかなかった。
「舞姫」
縁が去った後、徐ろに水輝が声をかけてきた。
「何でしょう」
「お前は私のことをどう思っている」
「はい?」
言葉の意味を理解できず舞姫は首を傾げる。
「私は後ろ盾がない上に数刻も外に出られない病弱ぶり。嫁の貰い手が来たことはあったが皆先行きが不安だからと縁を切っていった。舞姫、身内にいるお前は私のことをどう見ていた」
「どう……というと」
四年前。水輝と初めて会った時を思い出す。
「最初の頃は見た目だけで判断をしていました。妹を見殺せとこの人が命令したと思うと怒りが沸いてきて誰がこんな妹の仇に手を貸すかと」
「ああ」
今思うとあの時の荒れ具合はあまりに失礼すぎたと舞姫は思った。
「それから妹が生きていると知るともう憎む必要も無くなりましたし。何故か付き人に指名されたのでなるべく親身になって縁の代わりになりました。冷静になるとものの見方が変わりますね」
「そうなのか」
「ええ。水輝様は無愛想なだけであって本当はお優しい方でしたね」
水輝は珍しく目を見開いて驚きを表した。
「ここに長く仕えている女中の方から聞きましたよ。水輝様は病弱で部屋から出られない代わりに観察力が増していったと。だから通りかかる人達の体調を水輝様が逸早く察知して過労がないとか」
「……それ以外やることがないからだ」
「それでも都会の使用人は気づいても知らんぷりで働かせるらしいです。よく見て労わってくれていると言っていましたよ。それに私もお世話していただいて感謝でいっぱいですし。確かに先行きが不安なのもわからなくはありませんがそれより良い印象を見れば私は結婚を申し込まれたら反論せずに従うと思います」
舞姫が一気に話し終えると水輝は布団から抜け出し舞姫の手首を掴んだ。
「あ、あの?」
「今のは本当だな」
「え?」
「今のは世辞ではなく本当のことだな」
「え、はい」
狼狽えながらそう答えると水輝は納得いったように体を離す。
「それならいい。明日は体が辛くなるだろうから早目に休め」
「は、はい」
舞姫は理解不能ながら頷いて部屋を出ていった。
「……お前はいつから覗きを趣味としたんだ」
「舞姫が来てからではないでしょうか」
少し膨らんできた腹を抱えて縁は苦しそうに笑っている。
「舞姫の鈍感さと水輝様の初心さの組み合わせはいつまでも見ていられます」
水輝はバツが悪そうに顔を顰めた後、真面目な顔つきになった。
「それよりお前はいい加減帰らなくていいのか」
「さあ。跡継ぎさえ無事なら夫は兎や角言いませんから大丈夫だと思いますよ。ああでももう一ヶ月ですか。なら明日、事が済み次第帰ります」
流すように決まったセリフを繰り返す縁に水輝は無表情で見返す。
「縁」
「はい?」
「お前、本当は帰りたくないんじゃないのか」
水輝の言葉が不本意だったのか縁はこれまた珍しく眉を寄せて絶句していた。だがそれも数秒のこと。縁は小さく口角を上げる。
「そう言ったところであなたに何ができますか」
次に言葉に詰まるのは水輝の方だった。勝ち誇ったように縁は笑う。
「お茶を淹れてきますね」
「……ああ」
結局縁に口で勝てないと水輝はしみじみそう思った。