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乙女よ。その扉を開け  作者: 雪桃
〜二章〜
122/164

拾弐

「銀?」


 思わず以前の名を呼んでしまうが返事は来ない。まさかまた崖から。


「銀!」


 ぬかるみに足を取られながら慌てて里子がいた場所へ走る。


「ぎ……里子様! 里子様!!」


 真由美や当主になんと言えばいい。自分のせいでまた人が。


「ま、舞姫様ぁ」


 最悪なことを考えていると下から泣きそうな声が聞こえた。里子は緩やかな斜面を滑ってやはり転んだらしい。


「だから気をつけてと言ったのに」

「すみません」


 ぬかるみに足がはまってしまっていたらしく、(はかま)にまで泥がこびり付いていた。


「全くもう。ほら、一回戻りますよ」

「えー」

「えーじゃありません。おぶってあげますから」


 もう十八になるのに里子はまだ幼い。いや、記憶を失くしてまだ四年なのだから仕方ないのか。


「そういえば舞姫様」

「はい?」

「ここには神様の社ともう一つ、鬼の社があるんですって」

「鬼、の?」


 里子は背中越しに頷く。


「何でもその鬼はかなりのやんちゃ者だったらしく怒った神様が自分の社と同じ森に封印したらしいです。その封印は鬼が宿る剣を抜かなければいけないらしく」

「ふうん」


 自らが奇怪な特性持ちだからなのか舞姫は大して興味が無さそうに相槌を打つ。


「それで? まさか見てみたいだなんて言わないでしょうね」

「流石に。ただ近頃真由美の様子が可笑しくて」

「真由美様が? いつも通りに見えましたが」

「昼時は何も変わりないのです。真由美の部屋は屋敷の中でも一番月の光があたる場所なのですが。最近月を見ては私が呼ぶまで真由美は呆けるのです」


 ただ月が綺麗だから。考え事をしているから。里子も初めはそう思っていた。


「一週間程前からあれだけ嫌っていたお経を大好きな歌のように口ずさみ、急に剣術を習ってみたり。更に」

「更に?」

「どんどん体が妖艶(ようえん)になっているのですよ! まるで人を甘く誘惑してくる妖狐のように」

(それはただ発育がいいだけじゃ)


 という言葉はこの際野暮になるから言わないでおく。


「ですがそれが鬼の社と関係ありますかね」

「ええあります。だってその話をした直後ですよ」

「偶然じゃ。第一里子様には何も無かったのでしょう?」


 里子は声を詰まらせる。


「で、でも」

「はいはい屋敷に着いたら聞きます。話しながらだと歩きにくいんですよ」


 まだうだうだ言っている里子を無理矢理黙らせて舞姫は斜面を上っていった。

 先に帰ってきていた真由美に里子が説教を食らったのは言うまでもない。




 里子を背負ったおかげで舞姫の衣服にも泥が付いてしまい、湯浴みを終えた頃には夕刻すぎになっていた。


「日も暮れましたし今日はお泊まりください。縁も」


 身重な縁ならともかく今の時刻でも十分帰ることが可能な舞姫は断った。しかし里子と真由美、更には縁までも――面白半分か自分の世話を頼みたいのか――寄ってきたせいで長い説得の末、仕方ないとばかりに舞姫は水輝に手紙を書き、一泊することにした。


「……というわけなんだけど。縁も真由美様の行動は異常だと思う?」


 術事に詳しそうな縁に一泊することになった訳なのでこの際昼時の里子との会話で気になっていた部分を聞くことにした。


「鬼の社のことは有名だから聞いていたよ。でも見たことはないし、そのせいで流行り病があったなんてのも聞いたことない。ましてや少し話題に出したくらいで」

「やっぱりそう思う?」


 縁の髪を()きながら舞姫は首を傾げる。


「それでも真由美様の様子がおかしいのは事実なんだよね。それに本人は覚えてないらしいし」

「見張ってみれば?」

「余所でそんなことしたくないわ」


 それに里子が試しに一晩中見張っていた時は何も起きなかったらしい。どこかで鬼か妖の類いが見ているのだろうか。里子にどうにかして欲しいと言われても無理なものは無理である。


「できること、か」

「今?」

「何かない?」

「寝る」

「眠いんだよね」


 鏡越しに縁の目が虚ろになってきている。久しぶりに出歩いたせいで疲れたのだろうか。とにかく縁には体を休めてもらい、舞姫は物音をなるべく立てないように部屋を後にした。


(どうしようかな。予め見張っても鬼? はわかっちゃうし)


 とりあえず真由美の部屋に向かう。


「真由美様ー」


 返事がない。


「真由美様? 開けますよ」


 もしやと思い、舞姫は恐る恐る障子に手を伸ばして僅かに動かす。目の前には布団と寝ている真由美。


(寝てるじゃない!)


 心配して損した。操られている雰囲気やと少しもない。


「いや安全ならそれでいいんだけど」


 これでは里子のあやふやな話を完全に真に受けた自分が馬鹿みたいじゃないか。と舞姫は思った。


(もうなんか疲れた。寝よう)


 里子には内心もやもやとした気持ちを抱きながら舞姫は与えられた寝床に戻った。

 その日は満月が出る二日前だった。




 翌日のまだ日が完全に出ていない刻に舞姫は目を覚ました。いつもの癖である。

 床から起き、無造作だが邪魔にならないよう髪を纏めて着物を羽織る。これから本来なら橘家が起きる一時間後に間に合うよう諸々の支度を始めるのだが。


(外の空気でも吸おうかな)


 真冬の朝はいつになっても寒い。厚着をしても凍えそうなのに拾われる前のあの姿でよく耐えられたものだと舞姫は今更にそう思った。


(九月頃の朝が一番心地いいんだよね)

「あれ?」


 何かが目の前に現れ、草履を借りて茂みの近くへ寄ってみた。


「霜が」


 真っ白で冷たい霜が一葉に付いている。周りを見渡してみると辺り一面ではないにしろ、そこらに雪が積もっていた。


「昨年は降らなかったのに」

「昨日の夜は凍えるほど寒かったからね」


 振り返るとこれまた朝早いというのに着物をきっちりと着て防寒も完璧な縁が廊下に立って外を見ていた。


「おはよう舞姫」

「おはよう。こんな寒い所にいたら体に悪いよ」

「まだ一週間だから平気だって。ちょっといつもより怠いだけ」


 寒いことには寒いので屋敷へ戻る。


「それで? 真由美様の調子はどうだったの?」

「全然普通。気にして損したくらい」

「あらあら」


 縁は困ったように笑う。


「縁はもう帰るの?」

「いいや。橘様のところへ寄るから帰るのは明後日になるかな」


 縁が移り住んだ家から橘家までは車に乗っても一日かかる。それなのに縁の旦那は縁に車を使わせず徒歩で帰るよう命じたので二日、運が悪ければ三日四日と長引くのだ。


「妊婦なのに」

「女はそういうものだって前教えたでしょ」

「でも命を体に宿してる人を寒空に放り出す? その人縁のことを子ども作るだけの道具にしか思ってないよ」

「何でそんなに熱くなってるの」


 縁は数え切れない程舞姫の世話をしてくれた。恩はまだ返せていない。


「恩返しする前に死なれたら困るもの」

「恩返しね」


 縁はまるで扱いに困ったように一つため息を吐く。ただ縁の興味が舞姫に向いたから世話をしていただけだ。


「死ぬ気……っていうか滅多なことじゃ死ねないんだけど」

「何?」

「何でもない」


 こんなはぐらされ方も何回目だろうか。縁は舞姫のことをよく知っているのに舞姫は縁のことを何も知らない。


「そうだ。ねえ縁。私に手紙出してよ」

「手紙? 許されるのかな」

「許されなかったら葉とかちぎって送るでもいいから。元気って証拠が欲しいの」

「葉でもって」


 縁は眉を寄せて呆れたように笑みを零す。舞姫は知らないだろうが、縁がこれだけ感情を表すのは彼女が屋敷に来て以来だ。縁にとってはそれだけ舞姫が大切な存在なのだろう。本人は気づかず恩をどう返そうか悩んでいるが。


「わかった。何らかの手段で送るよ」

「約束だからね」

「わかってる」


 車が着く前に二人は真由美と里子に挨拶へ向かった。


「舞姫様。結局真由美は」

「何も。私が覗いても一度たりとも起きませんでした」

「え?」


 里子は的外れと言ったように素っ頓狂な声を出した。無理もない。今まで豹変していた真由美が昨日何も起こさなかったのだから。


「でも今まで通りならいいじゃないですか。元に戻ったんだし」

「え、ええそうですね」


 里子はまだ何か言いたそうだったが迎えが来てしまった。


「それじゃあ里子様。また何かあれば呼んでくださいね」

「は、はい。それではまた」

「さようなら」


 真由美と共に車が見えなくなるまで見送った後、里子は恐る恐る口を開いた。


「ね、ねえ真由美。昨日どこで寝た」

「昨日? 急に?」

「う、うん」

「昨日は里子の部屋で一緒に寝たじゃない。お客様もいたし」

「そうよね。自分の部屋で寝てないよね」

「うん。どうしたのよ里子。そんな私と同じ人がいたみたいに」

「じ、じゃあ」

(舞姫様が昨日真由美の部屋で見た人は誰なの)


 余計に里子の不安は増していった。

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