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乙女よ。その扉を開け  作者: 雪桃
〜二章〜
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「こちらでお待ちください」

「は、はい」


 舞姫が案内された場所は森に一番近い離れだった。その森とはいうのは言わずもがな、あの事件が起こったところである。


「何か御用があれば外におりますので」

「あ、ありがとうございます」


 来客に仕えたくないのか使用人は愛想すら見せず、言うだけ言って障子を閉め切ってしまった。


「ふう」


 縁とあの堅苦しい部屋で待っているのも気苦労だったがこんな静か過ぎる部屋に一人残されても休めない。あの森が近くにあるなら尚更だ。それも丁度こんな冬の寒い日に。


「少し散歩しても気づかれないかな」


 舞姫は使用人がいない方の障子を開けて、誰のかはわからないが草履を拝借(はいしゃく)して森の方へ歩く。空一面曇っていて薄暗いが前方が見えないほどではない。枯れ木がそびえ立つ中を奥へ奥へ進んでいく。運動神経が抜きん出ている舞姫にとっては足元が不安定だとしても難なく深くまで――銀と生き別れた所まで辿り着いた。


(空気が綺麗)


 立場が違うと客観も変わるらしい。銀が落ちた崖を見下ろしてみる。


「よく死ななかったわ」


 どう見ても即死間違いなしの急斜。真由美が急いで手当てをしてくれたらしいがそれだけで深い傷が治るのだろうか。


「神様でもいたりするのかしら」


 退屈な舞姫は興味本位で下に降りてみようとした。


「きゃあ!」


 舞姫が足を踏み出したと同時に叫び声が聞こえた。距離的に近くか。他の声がないから一人なのだろうか。


「大丈夫ですか? 何が」

「いたた。平気です。ありが、と……踊り子さん?」


 まだあどけなさを残す銀髪の娘――里子は目を見開いたまま硬直していた。


「ぎ……里子様?」


 舞姫は里子に手を伸ばして立たせようとした。だが里子はその手を払い除ける。


「一人で立てます!」


 見せつけるように里子は立つ。しかしその瞬間。


「うっ!」


 捻って足を挫いてしまったらしい。足首が腫れている。


「あの」

「へ、平気です。こんなものなんとも」

(強がり。銀と一緒)


 微笑ましいような恋しいような。舞姫は里子に背を向けて腰を落とす。


「どこかに湧き水があるでしょう。おぶってあげます」

「だから平気と」

「怪我が酷かったら真由美様が悲しむでしょうねえ?」

「え」


 しめしめと舞姫は更に続ける。


「もしかしたら一人にしてしまったから怪我をさせてしまったと自分を責めてしまうかも。里子様とはもうお友達をやめたくなったり」

「う、うぅ……わかりました! 乗ればいいんでしょ!」

(容易い)


 舞姫は心の中で子どもらしい里子のことを愛しく思った。


「で、でも言っときますけど私重いですからね」

「大丈夫。力士一人くらいなら担げるくらいなので」


 しかし里子は想像以上に軽く、逆に人をおぶっていることを忘れないようにするのが辛かったのは舞姫の秘密である。


「里子様はどうしてここに一人で?」

「一人ではありません。真由美に連れてきてもらったのです。それではぐれました」

「はあ。でも何の理由があって?」

「記憶が戻るかと思って」


 舞姫は急に立ち止まり、法則に従って里子は顔を舞姫の後頭部にぶつけてしまった。


「いたっ!」

「記憶、を?」

「誰からも聞いていませんでした? 私、四年前から記憶がないんです。名も年も覚えていないんですよ」


 知っている。知った上で誰にも真実を教えないようにしたのだ。


「何故戻そうと」


 話しながら舞姫は湧き水を見つけて里子を下ろし、濡らした手巾を足に当てた。


「だってもし私に家族がいるのならきっと捜しているでしょう。心配をかけているとしたら早く記憶を戻して謝りに行かなければ」


 銀、あなたには自慢できる家族なんていないんだよ。


「それにこの銀色の髪も気になるんです。私の親も同じでしょうか、なんて」


 銀、その髪のせいで虐待されてたんだよ。

 言いたいのに言えない。記憶を戻したら不幸になると伝えたいのに伝えられない。


「そう言えば踊り子さん。聞きたいことがあるんです」

「舞姫です。何ですか」


 里子と目を合わせられない舞姫は手当てをしたまま聞く。


「初めてお会いした時私のことを銀と呼びましたよね。人の名ですか?」


 里子は酷いくらいに舞姫の弱点をつく。しかし何も知らない里子にとって舞姫に抱きつかれたことは少なからず恐怖だったろう。


「……その(せつ)は申し訳ございませんでした」

「え? あ、いえ。私も事情を聞かずにぶってしまったことを謝らなければと思っていたのです。それで聞かせてもらっても宜しいでしょうか。銀様とは誰のことなんですか」


 あなたのことです。

 そう言えたらどれだけ心が軽くなるか。


「私の妹です」

「妹様? 私と似ていたのですか」

「とてもそっくりですよ。本当に」

「その方は今どこに?」


 私の目の前にいますよ里子様(ぎん)


「生き別れました。生死は不明です」


 里子の身が固まるのが見える。自分の失態を理解したように。


「じゃあ、私は」

「お気になさらずに。知らない者に抱きつかれて何もしない方が可笑しいのですから」


 ね? と舞姫は首を傾げる。これ以上は話したくないのだ。


「さて。そろそろ戻りましょう。送っていきますから」

「すみません」


 道がわからないと里子は言っていたが禍乱家がある方向を見れば大体帰ることができた。




「里子!」


 髪を振り乱しながら真由美が走ってきた。


「どこ行ってたの! あれだけはぐれないでって言ったじゃない!」

「ごめんなさい。つい」

「次勝手なことしたら叩くからね!」


 お嬢様とは思えないような振る舞いだがそれだけ真由美も心配していたのだろう。


(銀にはちゃんと家族ができたのね)


 舞姫は気づかれないように戻ろうとした。


「お待ちください舞姫様!」


 里子に引き止められた。


「何でしょう」

「わ、わがままとはわかっておりますがこうやってお近づきになれたのです」

「はい?」

「また、舞が見たいです。初めて見た時、本当は惚れていたのです。だから、もう一度だけでも」

『おねえさまは本当にきれい』

「……わかりました。それでは」

「え、あ、さようなら」


 急に森に向かって走り出していった舞姫の耳に里子の声が響いた。


(駄目。願っては駄目)

「神様」


 思いとは裏腹に声が出てくる。誰にも見えないように一本杉に背を預けてしゃがみ込む。


「銀に、会いたい」


 願ってはいけないとわかりながら舞姫は(むせ)び泣いた。

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