肆
半年経っても銀が見つかることは無かった。それでも舞姫が水輝に忠誠を尽くす様子は一切無い。
「妹さんを見つけようとしてくれてるのに」
「命を平等に扱ってくれないくせに無駄に偉そうにしてる」
「無駄にじゃなくて本当に偉いんだけど」
融通の利かない舞姫に縁は苦笑する。ここの当主の悪口をこんなに公で言って確実に告げ口されているが何を思ってか水輝は全く舞姫を処罰しようとしない。どころか誰よりも行動を自由にさせている。
「ちょっとくらい恩を返せばいいのに。他から卑しい目で見られるよ」
「慣れてるわそれくらい」
二人で話している間も何が可笑しいのか舞姫を見ては老若男女問わず目の前で嘲笑ってくる。
下賎な娘。娼婦。視界の屑。
縁がどういうわけか舞姫から離れることもないため、被害が出たことはない。
「慣れてるの? こんなのに」
「踊り子なんてそんなもんじゃないの」
美人で体の発育も充分な舞姫に対して嫌らしい視線や態度を向けて来る者も少なくは無かった。更に興味本位で銀の髪を売りたい者が奴隷にしようと来たこともあったので今はまだいい方なのである。
「それより縁。最近何かと屋敷が騒がしくないかしら」
「ああ。このお家と友好関係にある別家の当主様が今度お見えになるから。あなただって近頃久しぶりに舞ってるでしょ」
ここに連れて来られた理由は水輝が舞を見たいと言ったからだったはずなのだが最近では身の回りの世話しかしていない。何の為にこんな目に遭ったのか。
「あちらには十三のお可愛らしい娘様がおられるんだって。あなたの舞を楽しみにしてるらしいよ」
「十三……」
銀と同い年だ。縁もそれを見越して舞姫に伝えたのだろう。
「美少女。楽しみだね」
「……そうね」
元気づけようとしてくれている縁には悪いが未だ銀を亡くした舞姫の傷心は癒えていない。いくら銀に近い娘でも気休めにすらならないのだ。
「民衆に見せるならまだしも今回は身分が高いお方だから気に障るようなことはしないでね」
「それくらいわかってるわ」
舞姫の心が治らないまま月日は流れていくのだった。忙しい中でも舞姫は舞を上達させていき、瞬く間に名を広げることになった。
「舞姫。水輝様がお呼びよ」
「え」
「そんな嫌な顔しない」
嫌がる舞姫に対して縁はいつかのように湯浴みをさせ、着物を着させて部屋まで連行していった。
「待ってよ。私はまだ」
「はいはい行ってらっしゃい」
縁はものの数秒で障子を開け、舞姫を押し込んだ。
「ち、ちょっと縁!」
「弱ってはいなかったな」
初めと変わらない声音で話しかけられ思わず舞姫な体を硬直させてしまった。
「こちらへ来い」
命令なので仕方なく機械仕掛けのような体を持っていく。
「ご用件は何でございましょうか」
さっさと終わらせてしまいたい舞姫は挨拶も今までの非も詫びずに話を進める。
「昨日噂で聞いたような者を見かけた」
「誰のことですか」
水輝は紙包みに入っていたものを舞姫に見せた。
「禍乱家に邪魔した時に偶然を装って抜いてみた。悪く思わないでくれ」
「抜いてみた……ってこれまさか」
舞姫は震える口をただ開閉していた。
「から、ん様のお家に?」
「銀髪の少女が目の前にいた。丁度そなたの二つ下程の娘が」
「──っ」
本当にそれは銀なのか。もしかしたら銀髪の少女がまだいるかもしれない。
質問は沢山あるのに声が出ない。今すぐにでも禍乱家に行きたいのに体は全く動かない。
「ぎ、な、ど」
「はやる気持ちもわかる。だが落ち着け。いくらここで慌てても銀の娘が姿を見せるわけではあるまい」
「っ。申、し訳ございません」
水輝は銀色の髪を紙に包み、舞姫に渡した。
「銀……その少女はどうでしたか」
「健康そうだった。外見的に大きな傷もない」
健康に生きている。それは舞姫が何よりも聞きたかった言葉だ。だが
「大きな傷はない……ですか」
あれだけ重症を負って痕が残らないのは少し――いや、大分可笑しい気がする。やはり確認してからでないと安心して喜べない。
「明日、会えますか」
「そなたが望むというのなら頼んでみよう」
舞姫の頭にはもう水輝への怒りは残っていなかった。もし銀が生きているのならその体を抱きしめて謝りたい。
「お願いします。どうか会わせて下さい」
水輝に土下座をして舞姫は願った。
「わかった。舞が終わった後に私の部屋に来い」
話は終わり、下がっていいと言われたため舞姫は気を他へ行かせながら仕事に戻った。
「水輝様」
「縁か。盗み聞きするようになったとは」
「舞姫が狼狽えるなんて珍しいですから」
空間が歪み、そこから縁が姿を現した。
「それにしても水輝様は舞姫が約束を破ったこと、根に持っているのですね」
「根に?」
「大事なことを教えてさしあげないなんて」
水輝はピクリと眉を上げる。
「私が悪意を込めてああ伝えたと?」
この時点で縁は水輝に失礼なことをしでかしているが当の本人は意地悪そうに笑っている。
「舞姫は妹に会って幸せになれますかね」
「そこまでは私の判断ではない」
「ごもっとも」
舞姫に訝しまれないように縁は下がり、急いで離れへ向かった。
翌日、正午過ぎ。
「落ち着きなさいよ舞姫。注意が散漫しすぎ」
最後の舞の稽古を見ている縁は珍しく舞姫をとことん叱った。
「同じ間違いはするし謡は忘れる。足はもつれて扇は落とす」
溜息を吐く縁を見て舞姫は少し項垂れた。
「ごめん。早く銀に会いたくて」
「わからないわけではないけどあなたがこんな舞を見せてあちらの機嫌を損ねたら約束だって守られない。わかってる?」
「ええ」
昨日水輝が手紙を送り、面会を頼んでくれた。
「舞はあなたの命でしょう。舞って食い扶持を稼いで妹を守った。今もそう。妹に会いたいのなら舞いなさい」
舞姫が生かされているのは踊り子として重宝されているから。そうでなければただの役立たず。
縁はそう脅してきた。
「あの子も」
「ん?」
「あの子も見るかしら」
「さあ。でもあちらのお嬢様が銀のことを可愛がっているらしいから一目くらいは見ると思う」
可愛がられているのか。もしかしたら銀は禍乱家に残りたいと言うかもしれない。
「そうなったらどうするの」
縁の問いに舞姫は軽く苦笑する。
「あの子のしたいようにさせるわ。もう自由になったんだもの」
抱きしめて謝って大好きだと伝えられるだけ。舞姫はそれだけを願い舞台に上がり舞い始めた。
本当に銀だろうか。銀は舞姫の姿を見てどう思うだろうか。
泣いて喜ぶ? それとも見捨てたことを恨む? どちらでもいい。
(銀。ようやく会える)
舞姫はまだ見ぬ久方の妹を思って心の中で泣いたのだった。




