蜘蛛の巣に囚われた蝶
紫には一部始終見えていた。それでも脳と心臓が凍りついたように何も考えられず、ただ魔姫に大人しくなすがままにされるしか無かった。
「そろそろ解いてもいいかな」
魔姫が指を鳴らすと異能は即座に解除された。辺りにはこの二人以外誰もいないが珠を壊さずにどうやって異能を解除したのだろうか。紫は意識が戻った途端魔姫から離れようとしたがそれより先に魔姫に鎖を首に巻きつけられて動けなくなった。
「うっ」
「逃げないでくれ。あまり傷をつけたくはないんだ」
あんな連れ去り方をして言えたことじゃない。だがいくら紫が破壊神を操れたとしても魔姫には勝てないだろう。
「ここもマフィア?」
前の廃虚やアイラに連れ去られた奴隷部屋、更に船の研究所とは何かが違った。
「ああそうだよ。お前が以前見ていた場所は全て仮。場所が場所だから作らなきゃならなかったんだ。下を見てご覧」
促されてガラスになっていた窓から下を覗いて――紫は後悔することになった。
「本当はガラスなんて脆いから使いたくないんだけど。精神を削るには充分だと思わない?」
「う、海」
「うん? 海は苦手なのかい?」
紫の立っている所は脱出が確実に困難だと分かる程地上から掛け離れた高さに位置する塔の一部屋。それに加えて陸地などほとんどない、塔を安定に立たせる以外で後は果てしなく海が続いている。
「ここはどこだろうね。もしかしたら外国かもしれない……マフィアと名前がついてるからね。日本ではあるけれどとても遠い所かもしれない。そんな中でお前はどれだけ飛んでいられるかな?」
魔姫が軽く鎖を引っ張ってこちらへ来いと命令する。
「私はお前を必要している。だからマフィアの中ではずっと私の傍にいた方がいいよ」
「どういう意味?」
「こういう意味さ」
魔姫がある部屋の前で立ち止まり、紫をチラと見た後中へ入っていった。
「――っ!!」
魔姫は部屋に入る前に鎖を外してくれたが、そんなことをしても紫は動けなかった。
動いたら――そこにいた者達に殺されそうだったから。
「お待たせ。仕事を終わらせてくれて助かったよ」
高堂茜。相模当道。アイラ・ナール。大山秀。そして氷河。
全員の目が紫を限りなく恐怖へ陥れた。
「あまり睨まないであげな。目で殺されるために呼んだわけじゃないんだから」
人はあまりに緊張し過ぎるとネガティブ思考になるのだろうか。紫は考えたくないことまで思い出してしまった。
マフィアの異能者はこの六人。非異能者なら何百人といるが、探偵社より少ない異能者の数。
たかが六人。この六人だけでマフィアは探偵社を潰せるくらいの実力を持っているのだ。
破壊神を使っても全員を殺せないくらいに。
(無理だ。私にはできない。マフィアを潰すことなんてできない)
「魔姫様。失礼ですが未だ仕事が片づいておりません。それにあまりここに長居したくないので早急に」
「同意」
茜の言葉にアイラが重ねる。茜が殺意を込めて睨んでもアイラは馬鹿にしたように笑う。そんな二人を見て秀が大きく溜息を吐いた。
「魔姫様の前でくらいやめろって言っただろうお前ら。当道さん、助けて」
「茜。忠誠を誓うものの前で安易に感情を出すな」
「……ちっ」
構えていた銃を渋々下ろして茜は首の痣を強く掻く。
「探偵社のようでそうでないだろう」
呆然としている紫に魔姫はそう言う。
「ああそうだ秀。これを返そう」
「え? ああ鎖ですか。でも正直アイラがいない時に渡してほしかったな」
その鎖が紫に使われたと知るとアイラは魔姫を睨んだ。
「悪かったよ。人形を傷つけて。手っ取り早い方法だったのさ」
「ボスを睨むなってアイラ」
「うるさい」
態度が悪くても魔姫はあまり気にしていないようだ。ただ仕方なさそうに肩を竦ませた。
「紫が死にそうにならない程度なら遊んでもいいよ」
そんなことを言ってしまったらアイラは確実に紫を徹底的にいじめ――いや、拷問し出すだろう。山梨の一件で治癒が完了したが、以前のように目を抉られて爪を一枚ずつ剥ぎ取られて――それだけでも終わらない気がするのはきっと気の所為ではないはずだ。
「それで?」
「まだ完璧に準備ができていないから紫を見張ること。アイラだって四六時中付いていることはできないだろう。それともう一つ。極力危険な芽を取り除いてほしい」
魔姫は不敵に笑う。
「戦争ですか」
「戦争? いいや、戦うまでもない。根絶させればいい。不意打ちを突くのは難しくないだろう?」
今異能を使えたら。周りを蹴散らせるこの力を使えたら。そうは思えど恐怖で口が開かない。体が動かない。家族を守るにはこの心は弱すぎる。
破壊神を呼べばいい? 魔姫に封じられてしまう。
飛んで逃げれば良い? ここがどこかもわからないのに延々と飛び続けられるわけがない。
無理なのだ。仮拠点に行かされたのはまだ完全に異能者として認められなかったから。認められる前から絶望させればきっと異能を捨ててしまうと魔姫は考えたから。
もう本当に――今度こそ本当に助けは来ないと紫は完全に理解してしまった。
「アイラ。紫を連れて行っていいよ。ああでも加減がわからないと困るから秀もついて行け」
「加減くらい」
「わからねえだろ。それでこの前何人殺した」
「ちっ」
「他ももういい。合図はまたするからその前に仕事を終わらせてしまえ」
それだけ言って魔姫は部屋を出ていってしまった。




