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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第3話 月影のスカーヴィズ
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3-12 ロワールの憂鬱

「ねえシャイン! あれ、一体なんなのっ!?」


 鼻息荒いロワールの興奮した声が聞こえたかと思うと、同時に彼女の姿が現れた。

 シャインは執務机いっぱいに広げた海図の中から、必要な物を選んでいる最中だった。

 それは両腕を大きく広げたサイズで、十数枚。

 ロワールぐらいの小柄な子供……いや、少女なら掛け布団にできるぐらいの大きさだ。

 外洋に出たせいで船は時折大きく左右にゆれているが、シャインは器用に体の重心をかえて見事にバランスを保っている。


「……あれじゃあ、わからないよ」


 一度仕事を始めたら、周りが見えなくなるシャインだったが、相手は船の精霊ロワールである。

 彼女が怒るとどうなるか、そのおそろしさはわかっているので、返事だけはした。視線は相変わらず、海図に向けたままであったが。


「もうー、こっち見てよ!」


 それが気に食わないロワールは、どんと海図の上に両手をつき、のぞきこむようにシャインの顔を見た。

 彼女と目を合わせたシャインは、あきらめたように顔を上げた。

 話を聞いてやらない事には、自分の仕事をさせてもらえないということを悟ったからだった。


「で、一体どうしたんだい」

 シャインは目的の海図を引き抜き、椅子の上にそれを置いた。


「……なんであんな航海士を乗せたの?」

「航海士って?」


 まだシャインの関心は海図の方にあった。

 必要ではないそれらをくるくる巻いて、紺のリボンで縛る。

 そしてやっと穏やかな青緑の瞳をロワールへ向けた。


「……ほら、あの銀髪のすかした男よ」

 ロワールは両腕を抱え込み、うんざりした面持ちでつぶやいた。

 体全体から嫌悪感がありありと漂っている。

「ああ、ヴィズルのことか」

 きっ! とロワールが水色の瞳を細めてシャインを見た。


「名前なんてどうでもいいわ。私、あんな粗野で野暮で失礼な人が、私の舵を握っている事が許せないのっ!」

「ロワール……」

 シャインは嫌な予感を感じた。

 なんとかなだめないと、こんな外洋で勝手に船を動かされたら大変だ。


「ロワール、何怒ってるんだい? ヴィズルが君に何かしたのかい?」

 なにかあったから怒っているのだろう……そうわかっていても、聞かずにはいられないシャインだった。

「――私はどーせ、ガキですよーだ」

「……え?」


 ロワールは執務机に両手をついて、そのままうなだれた。

 肩を流れるゆるくウエーブした紅毛が、はらりと垂れて顔を隠す。

「……わかってるわよ。言動も容姿もまだまだ子供だって。だから、改めてそう言われると腹が立つの。そうでしょ? シャイン」


『そういう所が、子供っぽいと思われる原因だろうな』


 シャインは一瞬そう考え、はっとして口元を押さえた。

 ロワールは人の心を読む事が出来る。

 自分までこんなことを思っていると知れたら、どんなヒステリーを起こすだろう。

 だがロワ―ルは、そんな余裕がないほど落ち込んでいるようだった。

 まったくいつもの彼女らしからぬ状態だ。

 シャインはそっと右手を伸ばして、彼女の細い肩の上に置いた。ロワールは一瞬身を小さく震わせて、おずおずと顔を上げた。


「俺はそんな君が好きなんだけどな。誰が何と言おうと、それが君のありのままの姿じゃないか。俺は自分を偽る君を……見たくない」

 ある意味、この言葉はロワールの子供っぽさを肯定したことになる。だが彼女はそうとらなかった。

「……ごめんね、シャイン。あたし……つい……悔しくて」


 ロワールはシャインをちらりとみると、そっと瞳を伏せてうつむいた。

 その白い顔には、いつものちょっと小悪魔的な微笑が浮かんでいた。

 それを見たシャインはほっとして、ロワールの肩から手を放した。


「君の気持ちもわからなくもないさ。誰だって、気にしている事がある。ま、ヴィズルは少し口調がきついけど、悪いやつじゃないよ」

「どうかしら?」

 ロワールは両腕を組んでつぶやいた。すっかりいつもの彼女だ。


「腕は確かだ。ロワール……今回の航海はちょっと長くてね、どうしても、彼のような経験ある航海士が必要なんだ」

「……そうなんでしょうね。わかってるわ」

 ロワールは意味ありげに、シャインの椅子の上に置かれた海図を見た。


「どこに行くの? もうすぐエルシーアの領海をすぎちゃうわよ」

「どこ、か。……これからジャーヴィス副長に説明するんだ。一緒にここにいて聞けばいい」

 シャインはロワールの視線に気がついて、椅子の上の海図を取った。

 だがロワールは小さく微笑むと、ゆっくりと首を横に振った。


「私はどこにいても、あなたの話を聞けるからいいわ。私がいたらシャインも気になるでしょ? ごめんね……忙しいのに邪魔しちゃった」

「構わないさ。そうだ、ジャーヴィス副長との話が済んだらお茶にするよ。その時になったらまた……来てくれるかい?」

「いいわよ」


 ロワールはうれしそうにうなずくと、そのままかき消すように姿を消した。

 シャインはそれを名残惜し気にしばらく宙を見つめていた。

 やがて、小さくかぶりを振ると、中断された仕事にかかるべく、手にしていた海図を机の上に広げた。

 しかし次の瞬間、シャインはある事に気がついて、その事実に少なからず驚いた。


「ちょっと待て。ヴィズルがロワールを子供扱いしたってことは、彼は、彼女が見えるってことか?」



 ◇◇◇



 それから十分後。

 いつもの快活な表情は消え失せ、まるで二日酔いの頭痛に悩まされたような顔をしたヴィズルが、艦長室にやってきた。

 本当に頭が痛いのか、こめかみに手をやり、眉までしかめている。

 シャインは執務席に座って、じっとヴィズルを見つめていた。


「正午の天測の時間がずれると、正確な船位置が出せない。一体、君ともあろう人が何をやってたんだい?」

 ヴィズルの方が、何度も外海を航海していることを知っているからこそ、シャインは厳しく彼に言った。

「申し訳ない……さぼるつもりじゃなかったんだが」

 うなだれるヴィズルに、シャインは理解の色を示した。


「わかってる。そんなに上(甲板)は、忙しかったのかい?」

 ヴィズルは首を振った。

「違う……レイディ・ロワールと、話をしていた」

「なんだって?」

 シャインは先程のロワールの話を思い出して、ヴィズルを凝視した。

 これがジャーヴィズなら、もっとマシな嘘をつけと、野次られていただろうが。


「君も船の精霊と話ができるのか」

 シャインの言葉に、ヴィズルはやっと笑顔を見せた。

「ああ。しょっちゅう見えるわけじゃないがな。だけど、かなり気の強いレイディだな? あのお姫さんは。夕焼けのような長い紅毛や、こまっしゃくれた顔はかわいいが、ちょっとガキっていうのが惜しいぜ。もう三年もすれば、落ち着いてきて、俺好みになるにちがいないんだが」


 シャインは大きく表情を崩さなかったが、内心は動揺していた。

 間違いない。ヴィズルはロワールが見えるのだ。

『船の精霊が見える者は、船乗りが天職』と、アバディーン商船の船の精霊、メリィが言ったように、ヴィズルには船乗りの素質があるらしい。


「そうか……災難だったね、って言っとくよ」

 シャインは額にかかる前髪を払い、ヴィズルに微笑してみせた。

「すまない、今後は気をつける。でないと……副長が怒りまくって、俺を船外へ放り出すだろうな」

 さっそくジャーヴィスと何かあったような口ぶりだ。

 シャインは目を細め、うんうんとうなずいてみせた。

「ジャーヴィス副長なら、やりかねないな」

 シャインの声が冗談とは思えないほど低かったので、ヴィズルは一瞬真顔になった。


 コンコン……!


 艦長室の扉を軽くノックする音が響いた。

「誰だい?」

「……ジャーヴィスです」

 噂をすればなんとやら。


「なんて奴だ。もう来やがった」

 ヴィズルが舌を出して、肩をすくめるのをシャインは見た。

「……入ってくれ」

「失礼いたします」

 ジャーヴィスはいそいそと艦長室へ入って来た。

 ヴィズルを一瞥するその瞳は、呆れ果てたように光っている。


「――用が済んだら、持ち場へ戻ったらどうだ」

「言われなくても出ていくぜ」


 ヴィズルは噛み付くように言うと、きびすを返して出て行った。

 その背中を見送ったジャーヴィスは、やれやれとした表情を浮かべ、再びシャインの座っている執務席へ近付いた。

「追い出してしまいましたが……よかったでしょうか?」

 シャインは肯定するように、黙ってうなずいた。


「話は終わっていたけどね……でも……」

「なんです?」

 シャインは前に立つジャーヴィスを見上げた。

「少し君は……ヴィズルに厳しすぎないか?」

 ジャーヴィスはふん……と、息をはいた。その瞳は何時にもまして、冷たい輝きを放っている。


「えらくあの男の肩を持ちますね。これが普通の軍艦なら、懲罰ものですよ」

 暗にシャインを批判しつつ、ジャーヴィスは小脇に抱えていた、紺色の表装が施された書物を執務机の上に置いた。航海日誌ログである。


「本日正午の船位置は記入しておきました。海図室の海図にも記入済みです」

 こういう所はさすがジャーヴィス、だ。

 最初からヴィズルを信用していない、ということだろうが。

 シャインは航海日誌を広げた。


「……ありがとう。クラウス士官候補生は、だいぶ、船位置の計算を出すのがうまくなったみたいだね」

 今日の航海日誌の記入は彼の字だった。

「まだまだ……検算を二度も間違えました。ま、外洋へ出る航海ですから、いい訓練になるでしょう」

 ジャーヴィスはそう言うと、眉間に寄せた眉の緊張を解いた。


「それでは、今回の命令の内容をお聞きしましょうか?」

「わかった。じゃ、そこの椅子に座ってくれ」

「はい」

 シャインは執務机の右側の鍵がかかった引き出しを開けると、中から青い封筒を取り出した。

 そして、ジャーヴィスの向いの肘掛け椅子に腰を下ろすと、さも憂鬱そうに両手を組んだ。


「……また、やっかいな命令じゃないでしょうね?」

 幾分不安を帯びたジャーヴィスの声に、シャインは気弱な笑みを浮かべた。



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