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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第3話 月影のスカーヴィズ
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【幕間2】 船霊祭 -別れの挨拶-

「そう……ですか。なら、私も同じだわ」

 ディアナは一層深く息をついてから、唇の両端を軽く上げてシャインへ微笑してみせた。

「えっ」

「私の恋も、一方的な片思い」


 ディアナのその言葉をきいて、シャインは再び口元を結び、胸の中に重苦しい思いがじわりと広がっていくのを感じていた。


「本当に申し訳ありません、ディアナ様。でも……俺は……」

「どうか謝らないで、シャイン様」

 胸の前でシャインのマントの端を合わせながら、ディアナがゆっくりと首を振る。シャインの行為を咎めるように。


「海と船に恋していると言われた時のあなたの顔。とてもうれしそうでした。本当に愛していらっしゃるとわかったから、私、今はこの世界すべての海を、干上がらせてしまいたいと思ってますわ。でも、そんなことはできないから……」


 ディアナは恐る恐るシャインを見上げた。

 けれどそのすみれ色の双眸には、暖かな光が満ちている。


「このアスラトルの土地で、あなたの航海の無事を祈っています。そして、もし、あなたさえよろしかったら……これからも友人として、私にも海や異国のお話を、聞かせて下さいませんか?」

 シャインは深くうなずいた。

 ディアナがシャインの為に、自分の気持ちを抑えて話していることを察しながら。


「はい、喜んで。……次の航海が終わったら、少し長い休暇を取れそうなんです。貴女のご都合がよかったら、またロワールハイネス号に乗ってみませんか。任務ではないので、今度はゆっくりと話す時間もできると思います」


 ディアナは一瞬両目を見開き、まじまじとシャインの顔を見つめた。

 そしてマントの端を握りしめる手に力を込めてうつむいた。


「……ええ。それはとても、うれしいですわ」


 ディアナの声が少し震えている。もしかして、泣いているのだろうか。

 シャインは自分の無神経さに気付き、己自身に腹立たしさを覚えた。

 彼女の気持ちに応えられないくせに、今の言葉は、余計その心を傷つけてしまっただけではないのか。

 シャインはうつむいたままのディアナを見つめながら、どう声をかけようかしばし悩んだ。けれど何か言えば言うほど、虚しさが募ってくるような気がする。言い訳になってしまうような気がする。


「シャイン様」

「あ、はい」


 シャインが我に返るとディアナは再び顔を上げていた。

 背筋をすっと伸ばし、ゆるぎない瞳でシャインを見つめている。

 公爵令嬢としての気品に満ちた高貴な女性がそこにいた。


「夜も更けてきたので、私……そろそろ屋敷へ戻ります」

「ならば通用門までお送りします」

 だがディアナは首を横に振った。


「大丈夫です。供の者を控えの間で待たせているので、一人で行きますわ。でも……」

 ディアナはそっと手袋をはめた右手で、シャインが肩に羽織らせたマントの端を握りしめ、その柔らかな手触りを確かめるように左手で肩を撫でた。


「風が少し冷たくて……このマントをお借りしてもいいでしょうか」

 シャインは青緑の瞳を細めうなずいた。

 ディアナは一人にして欲しいのだ。無理もないことだが。

「今宵はいつもより冷たいですね。お風邪を召したら大変です。どうぞお使い下さい」

「ありがとうございます」

 ディアナはゆっくりとシャインに向かって頭を垂れた。


「シャイン様。今夜はいろいろとご迷惑をお掛けして、本当にごめんなさい」

「いえ、俺の方こそ失礼なことばかり申し上げました。どうかお許しを」

 今のシャインには許しを乞う言葉しか言えなかった。


「それでは、私はこれで……」

 ディアナは一瞬ためらいがちに目を伏せた後、袂を押さえていた右手をシャインへ伸ばした。

 別れの挨拶。

 シャインはそれを自らの手に受け、身を屈めてディアナの手の甲に軽く唇を寄せた。


「月明かりがありますが、足元にはお気をつけて」

 ディアナの手を離し顔を上げると、彼女が小さくうなずいた。

 月明かりが逆光となって射したため、その白い顔には影が落ちていたが、

まるで葉の上に浮かぶ夜露のようなしずくが、銀の睫からひと粒こぼれるのが見えた。

 見てしまった。

「……!」 

 だがディアナはすでに、シャインに背を向けて歩き出していた。自らの思いを振り切るように。

 噴水の前を通り過ぎ、青白いエルシャンローズの花を這わせたアーチ状の門をくぐりぬけ、その姿は庭園の木々の影に見えなくなっていった。



  ◇◇◇



 一方その頃。

 エルシーア海軍本部の門の前に、一台の馬車が停止した。御者の少年が御者台から飛び下りて、馬車の扉を開けると同時に、きんきんとした女性(複数)の声が夜の闇の中に響き渡った。


「もうーあんたのせいで、着くのが遅れちゃったじゃない!」

「まったく、ほんとにガキなんだから」

「ちょっとー私はガキじゃないわ! 何度言えばわかるのよ。オバさま方」


 御者の少年は慌てて扉の後ろへ飛び退いた。馬車の中から鼻息荒く、金髪の白いロングドレス姿の女性が降りてきたからだ。それに続いて、長い黒髪をアップにしてシャラシャラと金と銀のかんざしを差した、目鼻立ちのはっきりした黒いドレスの若い女性が。

 そして最後に馬車から降りてきたのは、燃えるように鮮やかな紅の髪の少女だった。彼女は先の二人よりもずっと幼い感じがするが、ゆるやかにうねる長いその髪を背中に流し、豪奢なレースをあしらった青緑のふんわりとしたドレスをまとっている。


「はい、ご苦労様」

 御者の少年は黒髪の女性から乗車賃をもらうと、そそくさと自分の馬車の荷台へと戻った。


「あんたたちは毎年こうして外の世界を歩いてるんでしょうが、私は初めてなのよ? あちこち見てみたいっていう気持ち……わかんない?」


 ロワールはクレセントに向かってつぶやいた。

 するとクレセントは、首にまいたファーの襟巻きの上から、露な二の腕を組み、ロワールを見下ろしながら答えた。意地悪い微笑をたたえながら。


「私達は観光をしにきたんじゃないでしょ? ロワール。あなたはグラヴェール艦長に会いたいんでしょ? もたもたしてたら彼、帰っちゃうわよ。それでもいいのー? えっ?」

「……うう……そっ、それは……!」


 ロワールは思わず拳を握りしめてうつむいた。

 シャインに会いたい一心で、ここまで来てしまった。だから会えなければ意味がない。

 クレセントとハーフムーンいわく、この船霊祭の夜は金と銀の月が一つになることから、大気に大いなる力が満ちあふれているらしい。その力を内に取り込み利用すれば、船の精霊は、自身が宿る船から離れて行動することができるのだ。それを知ったあの二人は、毎年船霊祭の夜に行われる、海軍士官達のパーティーに行っているらしい。――人の姿をとって。


「ねえ、ちょっとちょっと!!」

 そのときハーフムーンが、門の前で言い合うクレセントとロワールの元へ走り寄ってきた。

「クレセント。あれ、そうじゃない? あの馬車」

 クレセントは腕を組んだままちらりと門の内側に止まっている、黒塗りの馬車へ視線を向けた。


「ホント。アリスティド公爵家の馬車だわ」

「何? 何? 何が見えるの~?」


 クレセントの隣に並び、ロワールも門へ取り付くようにしてその馬車を見つめた。

 白い馬が黒い目隠しをされて四頭、時折鼻息を鳴らしながら大人しくたたずんでいる。黒い馬車の箱の両脇には、オレンジの光を放つ金縁で飾られたランプが灯されており、その扉の中央に小さく金色の紋章が描かれている。向かい合う双頭の獅子だ。


「ほら、ロワール。あれがグラヴェール艦長の婚約者よ」

 門の鉄格子を握りしめて見つめるロワールに、クレセントが上からささやいた。

「えっ、どれが」

「ほら、あの白いマントを羽織った銀髪で三つ編みの……」


 海軍本部の扉が開き、部屋の中の明かりが外へ溢れ出す。

 一人の白い正装姿の海軍士官が、足元まで届く長いマントを翻しながら、同じようなマントを羽織った銀髪の女性のために、カンテラを手にして足元を照らしている。

 馬車の前で待っていた黒い礼服姿の御者が畏まって扉を開けた時、カンテラを持っていた海軍士官が立ち止まったので、女性が馬車に乗り込む時、その顔が良く見えた。


「何かあったのかしら。……とっても思いつめた顔してる」

 ロワールは胸がちくりと痛むのを感じながらつぶやいた。

 間違いない。あれはディアナだ。

 ディアナはカンテラを持つ海軍士官の男性と一言言葉を交し、馬車の中へ入っていった。


「あれはグラヴェール艦長じゃないわね。婚約者のお帰りだというのに、何故見送りにこないのかしら」

 ハーフムーンがそう言った途端、ロワールはふと不安にかられた。

 シャインはすでに間借している下宿先へ、帰ってしまったのではないだろうか。


「馬車が出るわ。ロワール、こっちへ」

「きゃっ……!」


 クレセントが猫の子をつかむように、ロワールの襟首を掴んで自分の方へ引き寄せる。

 背の高い海軍本部の黒い鉄の門扉が開き、双頭の獅子の紋章がついた黒塗りの馬車が、白い四頭の馬に引かれて出ていく。

 馬車の窓には白いカーテンがひかれていたので、もうディアナの顔を見ることはできなかった。


「さて……と。じゃ、私達もこれからパーティー会場へ行くとしますか」

 涼しい顔でいうクレセントの隣で、ロワールはぜいぜいと喉を鳴らしていた。クレセントが思いっきり襟首を引っ張ったので、窒息しかけたのだ。

「何してるの、置いていくわよ、ロワール」

 クレセントとハーフムーンは連れ立って、馬車が出ていった門を通り過ぎて歩いていく。


「ちょっと、待ちなさいよ。ここから入っていくんじゃ……ないのっ」

 普段走るという行動はしないので、たわむドレスの裾と格闘しながらロワールはなんとかクレセント達に追いついた。

「あの門は馬車専用。通用門はこっちよ。さあ、ついてきなさい」

 ハーフムーンが首に巻いた長いファーをゆすりながら、優しく微笑んだ。



 馬車専用の門から十メートルほど歩いた所に、鉄製の扉があった。

 慣れた様子でハーフムーンが、その扉の中央に付けられたレリーフへと手を伸ばす。それは盾型の枠に錨が浮き彫りにされており、その下に訪問客がノックするための丸い鉄の輪がぶら下がっている。

 ハーフムーンが数回それを打ち鳴らすと扉が開き、青い海軍の軍服姿の男が、目を見開きながらロワ-ル達をながめた。


「これはこれはようこそご婦人方。ええと、どなたかの招待状は……お持ちですか?」

 そう言いつつも、四十前の中肉中背の男は、ハーフムーンとクレセントの豊満な肢体に釘付けになっている。二人の顔をうれしそうに見つめながら、けれど視線はちらちらとファーの間から見える胸の谷間や、深いスリットが入ったドレスからのぞく太腿へと注がれている。もちろん後ろに控えているロワールは眼中にない。


「まぁ、今夜は船霊祭の夜だというのに、軍人さんはパーティーへ行かれませんの?」

 ハーフムーンがそっと男の腕に手をかけて身をすり寄せる。その鼻にかかった甘い声と、魅惑的な青い瞳に見つめられて男の表情がゆるんだ。

「そうなんですよ。他の野郎たちは楽しんでるっているのに、俺はここで門番なんですよ。悔しいったらありゃしねぇ」

「それはとっても可哀想に」

 今度はクレセントが男の頬に手を伸ばした。


「私はクレセント号のフォーラス艦長にご招待頂いたの。艦長にお願いして、どなたかあなたと交替してくれそうな、士官を手配して頂きますわ」

 男はうっとりとクレセントを見つめている。まるで夢でも見ているみたいに。

「そいつは願ったりでさ、親切なご婦人」

 クレセントは男の無精髭を愛おしむように撫でながら、黒い睫を伏せて微笑した。


「じゃ、フォーラス艦長に会うために入らせていただくわね。あ、こちらの金髪の女性は、ハーフムーン号のリスト艦長のお知り合いですの」

 右をクレセント、左をハーフムーンに挟まれて、男はうんうんと何度もうなずいていた。

「どうぞお入り下さい。それにしても、やっぱり艦長っていうのは海軍の花形ですなぁ。こんなお綺麗なご婦人達とおつきあいできるなんて、いやぁ~うらやましい。俺もあやかりたいですわ」

「ありがとう。すぐ、あなたの身代わりになる、可哀想な方を連れてきますわ。そしてこれはほんのお礼」


 クレセントが男の頬へ唇を押し付けた。

 彼女はそうしながらも、ロワ-ルへ向かって左手を振っていた。今のうちに中に入れと言っているのだ。

 ロワールはそそくさとクレセントの横を通って、海軍本部の中へと入った。


「ありゃ、今、赤毛の女の子が入っていきませんでした?」

 男が身じろぎして後方を振り返ろうとした。それをクレセントは素早く制する。

「目の前に美女が二人もいるのに、何をおっしゃるのかしら」

「そうですわよ」

 ハーフムーンも傷ついたように潤んだ視線で男を見つめる。


「ややっ、これは失礼いたしました。ささ、どうぞお入りになって、楽しんで下さい……へへっ」

 クレセントとハーフムーンはしおらしくお礼を言い、その顔に人間離れした妖艶な笑みを浮かべながら男の側を通り過ぎて、シャンデリアとランプの光に溢れた室内へと歩いていった。


「ロワール、グラヴェール艦長に会えるかしら」

「さあ。でも、あの子のことは放っといても大丈夫よ」

 ハーフムーンがクレセントに向かって微笑する。


「私達は人の思いを感じることができる。それが愛しい人ならなおのこと。クレセント、あんたもフォーラスに会いにいくんでしょ?」

 いつも冷静なクレセントの白い頬に赤味が差した。


「じゃあ、ここで別れましょ、ハーフムーン。楽しい夜をお互い過ごしましょうね」


 クレセントとハーフムーンは階段の前で立ち止まった。ここは玄関のホールだが、上に上がれば大広間にいけるし、奥の通路を少し歩けば庭園へと出られる。どうやらクレセントは、自分の船の艦長と待ち合わせをしているらしい。

 それを看破してハーフムーンはうなずいた。


「ええ、あなたも楽しい夜を過ごしてね。クレセント」

「ありがとう。ハーフムーン」

 二人はお互いの顔を見つめにっこりと微笑した。

 そしてこの貴重な夜を大切な人間と過ごすべくその場で別れた。



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