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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第1話 レイディ・ロワール
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1-4 『使い走り』(2)

「今度、この船をワシが造るのさ」

「えっ?」


 シャインは船体をなぞる手を止めた。しかしこの小さな船からすぐに目を逸らすことができなかった。

 何故だかよくわからないけれど、とても気になる。海軍士官として船に乗る以上、そしてホープから教わったこともあって、シャインは設計図を読むことができた。


「王立海軍造船所で、しかも『あなた』がこの船を造るんですか?」

「ああ。そうだとも」


ホープが平然と答えた。けれどシャインの胸中には疑念が雲のように広がった。


これはアスラトルの街で一番の規模を誇る、王立海軍造船所でわざわざ造る船でないのは明らかだ。現に造船所では五つある船台が、すべて新造艦の建造のために使用されている。どれも大砲を大量に積載する、砲列甲板を備えた大型船ばかりだ。

 シャインは肩をすくめて頭を振った。


「考えられません。どうしてわざわざ新造するんですか? これぐらいの小型船なら商船を買い上げた方が経費も安くつくはずですし、今までそうしてきたはずですよ」


「だろう? でもこれは海軍本部が正式に発注した船なんだ」

「なんですって?」

「理由がお前にわかるか? シャイン?」


 ホープはまるでシャインを試すかのようにじっと見つめていた。年を経て落ち窪んだ老船匠頭の水色の瞳が意味ありげに瞬く。「お前さんならわかるはずだ」――ホープはそう語りかけている。


 シャインは小型船の正体を探るべく、改めて設計図と向き合った。

 印象深いのは飛魚のように長くほっそりとした船体だ。だが横幅は八・五リールと狭い。三層ある甲板の一番下は船の安定性を高めるため、石の重りを載せなければならないから、あまり物資は積めないだろう。船体が細いので揺れの影響が大きく乗り心地も悪そうだ。よって要人を招いて食事会等に使う客船でもないだろう。もとより客室の区割りがない。


 みればみるほど、この船が造られる目的は一つしか考えられない。


 そしてその目的にこそ、シャインは自分が惹かれていくのを感じた。乾いた喉が水を欲するように、この小さな船こそが、自分に必要なものだと感じた。一度はあきらめていたその望みが心の奥底で燻って、再び燃え上がるのではないかと思った。シャインの目には整然とした線で引かれた船の平面図ではなく、実際にエルシーアの碧い海を、白い翼を羽ばたかせて駆ける彼女の姿が見えていた。


 もしも、叶うのならば。

 それを望むことを許されるのであれば。


 シャインはゆっくりと設計図から目を上げた。頬にかかる華奢な金髪を無意識のうちに振り払い、エルシーアの海を思わせる青緑色の瞳で真っ向からホープを見据える。生来持つ品のよい顔立ちのせいで、シャインは温厚な青年のように見られがちだが、ホープへ向ける眼差しは、それらの先入観を裏切る鋭利な刃物の煌めきそのものだった。


「ふん。その様子じゃわかったようだな」


 ホープが目を細める。シャインは静かにうなずいた。


「彼女は誰よりも速く走ることを使命に造られる船だ。違いますか。ホープさん?」


 老船匠頭はシャインの言葉に口元をゆがめただけだった。

 けれどシャインはホープのその笑みで、彼の試験に受かったことを察した。


「そうだ。彼女は誰よりも速く走れるよう設計された。『使い走り』の中で一番速い船になるのはワシが保証する」

「使い走り……?」


 聞き慣れない言葉が出てきたのでシャインはホープに問い返した。

 するとホープの落ち窪んだ水色の瞳が「えっ?」といわんばかりに見開く。


「なんじゃお前。海軍に六年もいて『使い走り』の船を知らんのか?」

「えっ、あ、その……!」


 シャインはうわずった声をあげて頭をかいた。


「六年といっても二年間は士官学校ですごしましたし、その後すぐにエルシーア領海の南端へ飛ばされましたから、まだ海軍の組織がよくわかっていないんです……」

「はっ! そんなもの学校なんぞで教えるわけなかろうが」

「えっ?」


 シャインはますます面喰らった。ただぽかんと口を空けたまま、両手で腹を抱えて笑うホープを見つめるしかない。


「『使い走り』を知らんとはな……はははっ……」


 目の端に涙を浮かべてホープはまだ笑っている。流石にシャインはむっとなった。自分がどんなにがんばっても、三十年船を作り続けたホープに知識でかなうわけがない。それが不意にとても悔しく思えて、シャインは膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。


「笑ってばかりいないで教えて下さい。ホープさん!」

「はっ……ははは……そう……そうじゃのう……」


シャインのいじましさを感じたのか、ホープがやっと笑うのを止めて、ふうと乱れた呼吸を整える。そしてこの何も知らない若者へ説教を垂れようとするかのように、ごほんと一つ大仰な咳払いをした。


「『使い走り』っていうのは、後方支援艦隊に所属する船のことをいうんじゃよ。お前が本国を離れていた時にも、新しい命令書や手紙に物資。それらを積んだ等級外の小さなスクーナーが来ただろう」


 シャインは大きくうなずいた。


「はい。そういえば、ホープさんに差し入れを頂いてました。お礼を言うのが遅くなってすみません。シルヴァンティーの新茶、美味しく頂きました」


「おお。ちゃんと届いたか」

「ええ」


「まあ『使い走り』とは、大砲を積んだ大型船に乗る連中が、彼等の仕事を皮肉っていう愛称みたいなもんだ。言葉は悪いが、彼等は命令を受けたら、どんなに遠い海でも最短航海日数で積荷を届ける。それは風を読み正確に船を操ることができる、一級の船乗りでないとできない仕事だ」


シャインはホープの言葉に深くうなずいた。そして改めて設計図に視線を向けた。この船は、彼女は、海を駆けることを何よりの使命として生み出される――。


「どうだ。気に入ったか?」


シャインは一瞬息を詰めた。ホープに胸の内を覗かれたような気がした。設計図から引きはがすように顔を上げると、ホープが口元をゆがめて再び笑っていた。


「ええ。とても」


 シャインは心の底から真意の言葉を吐いた。この気持ちはなんだろう。

 目を閉じれば何故か完成した彼女の姿が浮かび上がってくる。本当に自分はこの船が気に入ってしまったのだろうか。


「そうか。なら、お前に頼みがあるんだがな……」


 ホープの笑みが顔全体へと広がっていく。


「シャイン。よかったらワシと一緒に彼女の建造を手伝わないか?」

「えっ?」


「肩の完治まであとひと月ぐらいかかるんじゃろ? こんな湿っぽい所じゃなくて、ワシの家に来ればいい。造船所の方が気が紛れるじゃろう? それに外洋勤務に出ていた者は、希望すれば半年の休暇が申請できる。この新造艦の工期は半年じゃ」


「ホープさん……」


 確かにホープの言う通りだ。アイル号に乗る前、シャインは一年南方のリュニス方面を哨戒する警備艦に乗っていた。だから、半年休暇を取ってから任務に戻れば良かった。けれど何の目的もないまま、陸に半年も留まるなんて耐えられなかったのだ。

 よって、人員が空いていたアイル号への乗艦を希望したのだがこのありさまだ。


 シャインは差し出されたホープの右手を握りしめた。そしてそれを上下にぶんぶんと揺さぶっていた。


「それを今言おうとした所だったんです。ありがとうございます。ホープさん!」

「おいおいシャイン。わかったから、手ェ、離してくれんか」


 こうしてシャインは、王立海軍造船所の片隅に急遽設けられた船台で、自分が乗るべき船の建造に携わることになる。

 そう。完成したらこの船に必ず乗りたいと思ったのだ。

 シャインは今所属している外洋艦隊へ戻る気などさらさらなかった。

 その任務は領海内の不審船を取り締ることなので、限られた海域に留まることを常に強要されるのだ。


 よってシャインは特権を行使することにした。

 一年以上の長期航海に出た士官には、半年の休暇の他に、希望する船への転属願いを申請する事ができるのだ。


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