2-11 秘めたる想い
「シャイン、セレディアがね、“ありがとう”だって」
「そうかい。結局会う事はできなかったけど。よかった」
今シャインはロワールハイネス号の真新しい舵輪を握っていた。
拿捕した海賊船を動かすために、シルフィードとジャーヴィス、8名の水兵を行かせたからだ。
そのおかげでロワール号には、クラウスと4名の水兵しか残っていなかった。とてもじゃないが、ジェミナ・クラスまでこの人数で戻るにはしんどすぎる。
そこでシャインは、今朝向かうはずだったボルウェルグ諸島へ行く事にした。おそらくそこにはまだリーザの手配したスクーナー船がいるはずだ。万一海賊に襲われる場合も考えて、補充要員を乗せているから、何人か借りられるはず……。
「シャイン、メインスル(中央のメインマストに上げる帆)だけじゃあ、先に行った副長たちに追いつけないわよ。もう一枚、上げましょうよ~」
シャインの隣に並んで立っているロワールが、ちょっと不満そうにつぶやく。
「無理言わないでくれ。この人数じゃあ、これが精一杯だよ……。こっちは、冷や冷やしながら舵を取ってるんだぞ」
ミズンマスト(最後尾)の突端に上げられている、風見用の旗をにらんだままシャインは答えた。他人事のように話しかけてくるロワールを少しうっとうしく感じながら――。
こっちは急に風向きが変わって船がひっくり返らないようにするため、その徴候を監視するのに神経をすり減らしているのだ。
「クラウスー! ウィルと一緒に、メインスルの上げ綱をもう少し張ってみてくれー」
片手を口元に添えてシャインは声を張り上げた。
クラウスがそれに気がついて、右手を大きく振った。
◇◇◇
ロワールは時折舞い上がる波飛沫に目をぱちぱちさせながら、隣で操船するシャインの横顔を見つめていた。
風が先程より少し強まっているせいか波も高い。
シャインは前方から来た波をその舵さばきで次々と乗り越え、また新たな波に備えて船体をなんとか安定させようと躍起になっているようだった。
「シャイン……、ね、助けて欲しい?」
「えっ?」
「私がボルウェルグ諸島まで、動かしてあげてもいいのよ?」
シャインはロワールを見ることなく、その青緑の瞳を真っ直ぐ前方に見据えながら首を振った。
「本当は、ありがたい申し出なんだけど……こんなことがない限り、俺が君の舵を握ることはないんだ。それとも、俺の操船は怖いかい?」
ロワールハイネス号が船首の舳先を海面すれすれまで突っ込ませた。白い波飛沫が一面に散ってそれは日の光を受けて水晶の欠片のように輝いた。
「ううん。ちっとも。だって、シャインが私を沈めるわけないじゃない」
「そう、努力してるんだけどな」
ロワールはじっとシャインを見つめた。
そこにいるのは半年前、ロワールハイネス号を造っていた時のように、きらきらと瞳を輝かせて海へ出る事を夢見ていたあの頃のシャインだ。きっと彼は、彼なりにこの船の出来ばえをいろいろ想像したはずだ。そして、実際自分が舵をとってみて、その成果を今、身をもって確かめているのだ。
――私が出しゃばったら、シャインの愉しみを奪っちゃうわね。
ロワールはほくそ笑んだ。
実際ロワールは自分も心がうきうきしていた。シャインの高揚感が伝染したのかもしれない。
海を駆ける事がこんなにうれしいと感じたことはなかった。
一緒にいられるとは思わなかったから余計に――。
ロワールは波と格闘しているシャインの横顔に再び視線を向けた。
普段は温和で誰にでも優しい顔を見せる彼だが、今は声を掛けるのをためらってしまうくらい集中している。
ずっとこのままでいたい。
ずっとこのまま一緒に海を駆けていけたらいい。
シャインとはまだ出会ったばかりで、知らないことが多いけど。
胸の奥がざわめく。
でもこれだけは確かなのだ。
永い眠りから自分を目覚めさせたのは――間違いなくシャインだということを。
◇◇◇
「おや? あの船はマリエステル艦長のファラグレール号じゃないか?」
ボルウェルグ諸島の島々の影から、白い三本マストの優雅なスクーナー船が姿を現した。
真珠を思わせる光沢のある船体が、日の光を受けて眩しいばかりに輝いている。その隣には、先についた例の海賊船がひっそりと佇んでいた。ファラグレール号のせいでそのみすぼらしさが、滅茶苦茶、際立っている。
シャインはロワールハイネス号をファラグレール号の隣へつけた。海軍の航海服姿のリーザが、こちらへ手を振るのが見える。肩まで伸びた黒髪と、艦長のみが纏う濃紺のケープが海風を受けて靡いている。
「お疲れ様でした、グラヴェール艦長。事情はジャーヴィス副長から聞きましたけど、彼に会うまで……心配してたのよ」
「申し訳ありません。まさか、あなたが来て下さっているなんて……」
「ま、初日ですからね。私も、手違いがあったらあなたに迷惑をかけるから、今日の荷物の転送は私がやろうと思ってたの。ま、すっぽかされてしまったんですけどね」
シャインはもう一度彼女に詫びた。リーザは気にしていないと微笑した。
「迷惑ついでに……実はお願いがあるのですが。マリエステル艦長」
シャインは先程捕まえた海賊“赤鮫団”を、彼女がジェミナ・クラスの軍港へ連行してもらえないかと頼んだ。ロワールハイネス号が海軍の船である事を、どこで誰が見ているか分からない。だからストームを捕まえるまで、できるだけ軍港に近寄りたくなかったのだ。
リーザは快くその頼みを聞き入れた。
「わかりましたわ。私が引っ張っていきましょう。あなたが来られないのは、ストーム拿捕の準備で忙しかったからと、言っておくわ。当然、海賊を捕まえたのはあなただから、ちゃんとあなたの名前で報告します。でないと、拿捕賞金を貰い損ねますからね。それが少額でも」
「拿捕賞金……?」
シャインはぽつりとつぶやいた。そんなこと夢にも思っていなかったのだ。
「ふふ、あんまり私達はそんな機会に恵まれないけどね。捕まえた海賊のランクや船、積荷の有、無によって、国からもらえる賞金のことよ。残念だけど今回の連中は小物のようだから、あんまり期待できないわね。うーん、グラヴェール艦長の取り分は額の1/3だから、5万リュールぐらいかしら」
「残りの2/3が他のみんなの分なら……ひとり4000リュール? はは、カンパルシータで一時間飲み明かしたら、無くなっちゃうくらい少ないね」
リーザはうなずいた。
「そうね。こっちも命張って、やらなくちゃならない場合もあるのにね。けれどお見それしたわグラヴェール艦長。ストームを捕まえる前に、いい予行演習ができたじゃない」
「……いえ、みんな頑張ってくれましたから。おかげで怪我人も出さずにすみました」
「ご謙遜を」
「運が良かっただけですよ」
シャインははにかんだ笑みを浮かべてリーザから視線を逸らした。
そう。自分は何もやっていない。
すべてはジャーヴィス達の勇気ある行動のおかげだ。
「マリエステル艦長。今日は本当にすみませんでした。明日は定期便がないので、次は明後日です」
リーザが顔にかかる黒髪に手を添えて押さえながら頷いた。
「わかりましたわ。今度こそ、よろしくお願いしますわよ」
リーザはちょっと意地悪そうな微笑を浮かべた。
無理もない。彼女は五時間以上もこの海域で待ちぼうけを食らったのだ。
「はい。次回はきっと。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
シャインは右手を上げて額に軽くつけるとリーザに暇を告げた。
◇◇◇
赤鮫団の船と海賊達をリーザに引き渡し、ロワールハイネス号はジェミナ・クラスに帰港した。
海賊の衣装から商船の船員姿に着替えた水兵達は、メインマスト前に集合して、シャインとジャーヴィスが上がって来るのを待っていた。どの顔も、今朝方の捕物の件で、興奮が冷めきってないのか上気している。そんな中でただひとり、どんよりと暗い面持ちの人物がいた。
「はぁ……ジャーヴィス副長すごかったなぁ……。全然海賊に怯まなくてさ、僕なんか、ほ……本物の海賊を見るのこれが初めてで……みんなの後ろにくっついているのが、やっとだった……」
これでも士官候補生。けれど、ロワール号の中で船乗りとしては一番の未熟者。クラウスは大きく、大きく、ため息をついた。
ふと思う。ここにいるのは、とんでもなく場違いではないのかと。
「気にするな。誰だって初めは、そんなもんさ」
大きな潮焼けした腕が、横からにゅっと出てきたかと思うと、それはぐしゃぐしゃと親し気に、クラウスの頭をかき回した。
「シルフィード航海長……でも」
見上げたクラウスの、大きな青い瞳はうるんでいた。
今にも大粒の涙が頬を伝いそうに、目の端にしずくが溜まっている。
「僕……怖くて。本当に怖くて。マスター、ストームもあんな感じかな。ストームの時も、さっきみたいにすぐ捕まえられるかな」
「それはわかんねえな。でもクラウス。お前の事は、ちゃんと俺が見ていてやるよ。だから、ストームの船に乗り込む時は、俺のそばに居な。そうすりゃあ、大ー丈ー夫ーだからよ」
シルフィードの真っ白い歯が、キラン! と光った。
彼はクラウスを安心させるように、その大きな手でバンバン肩を叩く。
ほっそりした体を、吹っ飛ばさないように加減しているようだが、はた目から見てもわかるくらい、クラウスは痛そうだ。
でも、敢えてクラウスは、それを止めて欲しいと言わなかった。ものすごくシルフィードが頼もしく見えて、痛みよりも、自分を勇気付けてくれる彼の、優しさがうれしかったのである。
「おっ、艦長と副長が来たぜ」
「はっ、はい」
クラウスは目を袖でごしごしとこすった。
シルフィードと共に、メインマストの前に整列する。
後部甲板の開口部から、商船の高級船員の格好をしたシャインが、後ろにジャーヴィスを伴って歩いて来た。少し緊張しているのかその表情が硬い。
◇◇◇
「みんな、今日はご苦労さまでした」
普段通りの物静かな口調で、シャインがねぎらいの言葉をかけると、水兵達は一応に軽く頭を下げた。
「当初の目的は果たせず、予想外の捕物があったけれど、みんなのおかげで海賊を捕まえる事ができました。その働きに礼をいいます」
「艦長……そんな気遣い、今さら無用ですぜ。それが俺達の仕事じゃないですか……なぁ、みんな」
「航海長の言う通りで」
「異議なし」
水兵達はめいめいシルフィードの言葉にうなずいた。その言葉にシャインは頬が上気するのを感じた。照れ隠しのため思わず俯く。
「ありがとう。それであの海賊を捕まえた事で、微少ながら拿捕賞金が出るんだけれど、ストームを捕らえるまでは受け取りに行けないんだ」
「ええーーっ!」
盛り上がったその場が一気に消沈した。拿捕賞金は臨時収入である。
だだでさえ安い給金が、上がるチャンスはめったにない。
水兵達の目がうらめしげにシャインに注がれた。
「おいおい、艦長をにらんだって賞金は手に入らないぞ」
その態度を良しと思わなかったジャーヴィスが、たまりかねて一喝した。
「まあまあ、ジャーヴィス副長。みんなの気持ちもわかるんだ。だからここはひとつ俺が今晩はおごるので、希望する者はみんなジェミナ・クラスへ上陸して息抜きをして欲しい」
シルフィードをはじめ、エリックなど水兵達は一瞬あっけにとられて、シャインの顔を見つめた。文字通り口をぽかんと開けて、自失している者もいる。
「それじゃ……駄目かな」
シャインは目を細めて、少し困ったように眉根を寄せた。
左右に分けた月影色の前髪が揺れて顔に陰が落ちる。
「とんでもない! みんな、喜んでごちそうになりますっ!!」
お調子者だが結構ちゃっかりしている、シルフィードが間髪いれずに叫んだ。
他の者も口を揃えて、是非そうしたいと、大きくうなずいている。
水兵達は現金なもので、先程までは葬式に出ているみたいに落ち込んでいたのに、もうそのことは忘れ、ジェミナ・クラスのどの酒場に出かけるか相談を始めている。
「みんな、ちょっと聞いてくれ」
ジャーヴィスが手を叩いて彼らを黙らせた。
「艦長の好意に甘えるのはいいが、我々はまだストーム拿捕作戦中であることを忘れないようにしてくれ。酔った勢いで、周りの人間に作戦を絶対に、口外するんじゃないぞ。自信が無い者は上陸するな。わかったか?」
「はいっ!!」
水兵達は一際大きな声で返事をすると、最高位の敬礼をシャインにした。
みんなのうれしそうな様子に、ようやく顔をほころばせたシャインは、微笑して軽く敬礼を返した。
「今晩は楽しんで下さい。ですが、副長の言う通り、言動には注意を怠らないように。船への帰艦は明朝10時までにお願いします。では、解散」
◇◇◇
「本当によろしいのですか?」
ジェミナ・クラスに上陸するため、雑用艇を下ろしている水兵達を横目で見ながら、ジャーヴィスがシャインに話しかけた。
「気晴らしは必要だよ。それに、思わぬ情報も入るかもしれないし」
「はぁ……そうですね……」
ジャーヴィスの懸念はシャインも理解している。情報収集のためとはいえ、リスクの高さはいなめなかった。酒が入れば当然口も軽くなる。
ストーム拿捕作戦はもう発動しているし、今日実際に海賊ジャヴィールは、商船に姿を見られているのだ。
ジャーヴィスはしかめっ面で何か思いを巡らせているようだった。
シャインは軽く嘆息すると真面目な顔でジャーヴィスに話しかけた。
「あんまり思いつめると白髪が増えるよ。君も上陸して、今夜は気分転換してくればいい」
「白髪って……私はまだそんなもの一本も生えていませんが」
くすくす。
シャインはこみあげてきた笑いを必死になってこらえた。その細身を前によじって、笑い声を立てないように。
「何がおかしいのかわかりませんが、艦長、あなたは事態を軽く見過ぎです。いいえ、緊張感がなさすぎです。こんな時に水兵達を陸に上げて、海軍省に我々がやっていることを知られたらどうするんです。あなたはもちろん、みんな、即刻クビになりますよ」
あまりにも真剣なジャーヴィスのまなざしに、シャインは笑うのをやめて、小さくため息を付いた。
「ごめん。気分転換をしたいのは、俺の方なんだ」
はっとジャーヴィスは息を飲んだ。
思わず右手が口元を押さえる。先程までシャインをにらんでいた、その鋭い瞳が明らかに動揺して宙を泳ぐ。
「そ、そうですよね。あなたはストームを捕らえるため、この数日働きづめでした。それに比べて私は――」
「違う違う」
シャインは片手を振り否定した。
「ロワールなんだ」
「えっ?」
意味が分からない。ジャーヴィスは口を半開きにしたままシャインを凝視している。
「ずっと俺が船を空けていたから彼女の機嫌が悪いんだ」
シャインはジャーヴィスを呼び寄せ小声で囁いた。
「相手をしないと、彼女、怒って勝手に船を動かすかもしれない」
「……」
ジャーヴィスがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
「そ、そうですよね。レイディ・ロワールもあなたを独り占めにしたいでしょうね。わかりました。邪魔者は退散することにいたします」
「あ、ジャーヴィス副長、待ってくれ」
急に踵を返したジャーヴィスをシャインは慌てて呼び止めた。
「すまない。副長の役目って言いたくないんだけど、できれば、誰かが羽目を外さないように気を付けて欲しい。それからこれを持って行ってくれ」
いたずらっぽい微笑を浮かべて、シャインはポケットから皮の小袋を取り出すと、強引にジャーヴィスに手渡した。その重みにジャーヴィスの顔がすまなさそうに曇る。
「8万リュールはあると思う。今月は出費がかさんじゃって、これだけしか持ち合わせが無くて……」
「いいえ、十分です。ありがとうございます」
ジャーヴィスは深々と頭を下げた。
シャインは気にするな、と言わんばかりに微笑した。
「副長ー。ボートの準備ができました」
クラウスが舷門から、二人のいるメインマスト前に来て報告した。
「わかった、すぐ行く。では艦長行って参ります」
シャインは頷いた。
「良い夜を」
「あなたも」
ジャーヴィスは舷梯に向かうとそれを伝って水兵達の待つ雑用艇へと乗り込んだ。
ひとり甲板に残されたシャインは、前髪をかき上げかぶりを振った。
「……そんなに怖い顔しなくても。俺はどこにも行かないよ? ロワール」




