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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第2話 かけがえのないもの
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2-2 ジャヴィール海賊団

「ふん、ふん、ふん……、ふふふふふん……ふん……?」

 航海長シルフィードはロワ-ルハイネス号のフォアマスト(一番前)の後ろにある、海図室の窓枠をごしごしと磨いていた。

 軽快に鼻歌を口ずさみつつ。

 ロワールハイネス号は処女航海を終えたばかりの新造船だ。索具も甲板もすべてが真新しくて美しい。

 シルフィードは船首に背を向け、船尾方向へ顔を上げた。上甲板をふらふらしながらこちらへ歩いて来る小さな姿が視界に入ったからだ。


「どうしたんだ? クラウスよぉ~?」

「ああっ! 航海長マスター、ここにいたんですか!」

 十八才という年齢よりずっと子供じみて見えるクラウス士官候補生が、よたよたとこちらにやってきた。

 そのか細い腕で、よくもまあ持っていられるのだろうかと考えてしまうくらい、大きな帆布製の白い袋を抱えている。


「よっと!」

「おい……大丈夫か?」

 どすっ! といかにも重そうな音を立てて、クラウスは袋を甲板に下ろした。

 そして袋の口を開くとがさがさと何かを探し始めた。

「何やってんだ?」

 シルフィードが問いかけた時だった。

 クラウスが袋から白い包みを両手で持ち上げて取り出した。

「<航海長用>……っと、これだーー! これ、マスターの分です。集合は十分後、メインマスト前です。急いで下さいねーー!」

 クラウスは白い包みをシルフィードへ押し付けるように手渡した。

 確かに手書きのメモが貼ってある。


『シルフィード専用』


「あっ! 何なんだこれはよっ! ……って、おいクラウス!」

「どっこいしょーーーっ!」


 クラウスは気合いと共に例の大袋を持ち上げると、踵を返して後部甲板へと降りる扉を開けてへ入っていった。

 先程よりあまりふらふらせずに歩いているように見えるのは、気のせいだろうか。

「どっこいしょ、って……まるで、おばさんだぞクラウス。それで、このやたら重い包みは何だよ?」

 シルフィードは、包みを持ったまましげしげとながめた。

 急げと確かクラウスは言っていた。何が入っているのかと訝しみながら包みを開く。


「……服か? しかしこいつは――海軍の制服、新しくなったのか?」




 ◇◇◇




 十分後。

 ロワールハイネス号の中間部分に当たるメインマスト前には、乗組員十五名がぞくぞくと集まっていた。

 水兵達はお互いの格好を見て爆笑しあっている。

「なんだよエリック、お前、最高!」

「お前こそ、そのヒゲ面と合わせてみたら、本物の海賊だぜ~」

「みろよ、この半月刀。こんな野蛮な武器……俺、持ちたくないぜ……」



「みんな集まったようだな。後は、艦長だけか」

 嵐の中でもよく通る声だ。その主を知っている水兵達は、雑談をやめてマストの前にさっと整列した。

 シュルシュルと甲板をこするマントのきぬ擦れの音と共に、声の主――副長ジャーヴィスが姿を現した。


「ふ……副長……」

「……なんだ?」

 ジャーヴィスは普段の濃紺の航海服ではなく、全身黒ずくめの姿だった。

 貴族好みの白い羽根飾りがふんだんにくっついた幅広の帽子に、シルクの襟飾りをつけ、金の豪勢な刺繍がほどこされた黒の上着をまとっている。

 帽子の落ちる影のせいか、冴え冴えとした青い瞳は何時にも増して険しい光を放っている。

 ジャーヴィスはぎろっと、水兵たちを見つめた。

 みんな平静を保っているようにみえるが、実は必死になって笑いをこらえているのが明らかに分かる。

 シルフィードは吹き出すまいと顔を上にあげているし、クラウスは下を向いて口元をおさえている。その双肩が小刻みにゆれていた。


「ジャーヴィス副長。まるで、海賊の、親玉、みたいですね」

 にやけた顔を隠す事も無く、シルフィードがつぶやいた。

 それが合図かのように、水兵達がどっと笑い出した。


「それはーー言うなーー! 私だって、命令じゃなければこんな格好、絶対にしないっ! 意地でもするものかっ!!」

 何時もは怒鳴っても表情を激しく崩さないジャーヴィスが、全身を震わせて絶叫した。


「お前だって何だ! シルフィード! そんな、筋肉を強調するような服を着て恥を知れっ! お前こそ海賊そのものじゃないかっ!!」

 ジャーヴィスは普段冷静な自分を忘れ、シルフィードに向かって右手の人差し指を突きつけた。

 シルフィードは隆々とした二の腕の筋肉が見える、情熱的な赤い皮のジャケットを素肌の上から着用し、同じ素材の黒いズボンと黒のショートブーツ。腰には大振りな剣を差していた。

 シルフィードの緑の垂れ目が、笑いのせいでさらに目尻が下がる。


「副長もいい筋肉してるのに、見せれないのがそんなに悔しいんですか……いいっーーー!!」

 ジャーヴィスは無言でシルフィードの顔面を殴った。

 正確に言えば、拳ではない。

 ジャーヴィスの被っていた極楽鳥の羽根がふりふりしているあの帽子でだ。

 その羽根がシルフィードのタレ目を直撃していた。

「酷いですぜ! ジャーヴィス副長! 俺はその格好がお似合いだと褒めたのに……」

 シルフィードが痛みのあまりに流れ出た涙を手で拭いながら呟いた。



「ジャーヴィス副長。すごい、海賊の頭……イメージ通りだよ」


「がぁっ……!」

 聞き慣れたその声に、ジャーヴィスは更に自分が冷静さを失いそうになるのを感じた。

 すべての元凶。

 彼が上官でなければシルフィードと同じ目に合わせているのに。

 ジャーヴィスはやけになって叫んだ。


「グラヴェール艦長! この格好は何のためか説明して下さい!!」



 ◇◇◇



 ジャーヴィスの絶叫は甲板中に響き渡っていた。

 それを聞きながらシャインはメインマスト前に集まった水兵達の顔を見回した。

 彼らはそれぞれの個性に合わせた商船の水夫風の服を着ている。

 いや、商船の水夫にしてはいささか派手でくだけすぎかもしれない。

 けれどそれらはシャイン自ら見立てて選んだものだ。


「やあ、全員集合しているね。ええと……」

 シャインは先程から凍てつく視線を放っているその主――ジャーヴィスの方を向いた。

「ロワールハイネス号はアスラトルへ帰る前に、新たなる任務を受けることになった。その概要はジャーヴィス副長には話してあるけど、皆にはまだだったからこうして集まってもらった」

「グラヴェール艦長」

「何だい? ジャーヴィス副長」

 極楽鳥の羽根飾りを揺らしながら、ジャーヴィスが普段よりもずっと低い声で発言する。


「今回の任務は海賊を捕らえることだとお聞きしていますが」

「ああそうだ。最近エルシーア近海に出没している『海賊ストーム』という連中を捕らえるように命令を受けた。ただし、あくまでも連中の居場所をつかんで、奴の船に海兵隊を乗り込ませることが我々の仕事になる」

「……海賊ストーム? 聞いたことない名前ですね~」

クラウスがつぶやいた。

「そうだなぁ……」

 二の腕を組んでシルフィードが天を仰ぐ。

シャインも同感だ、といわんばかりに軽くうなずいた。


「確かに。だがこの半年の間、エルシーアの商船が十隻ほどやられているらしいんだ。『海賊ストーム』は、二本マストのスクーナー船に乗っていて、砲を積んでいないので船足が速く、ジェミナ=クラスの警備船が追いつけないそうだ。そこで後方の足の速い船、まあロワール号の事になるんだけど、我々なら海賊ストームの船に追いつくことができる。そう海軍省は考えたみたいなんだ」

「そこまでが私も聞いている範囲の話です。でも、何故我々が海賊の格好をしなくてはならないのか、わからないのですが」

 ジャーヴィスが納得いかない様子で口を開く。

 ちょっとショックから立ち直ったらしい。


「何故って……それは勿論必要だからだ。ストームの船を見つけるためにね」

「えっ?」

 ジャーヴィスはシャインの言う意味が良くわからないのか、疑問に満ちた表情を浮かべた。

 それを見ながらシャインは肩を竦めた。

「ストームについてわかっているのは、このジェミナ=クラス港を拠点にしているということだけだ」

「……」

「だから、考えたんだ」

 シャインはジャーヴィス同様、疑問で一杯のため黙りこくっている水兵達の顔を見ながら言葉を続けた。


「探す範囲が広いということは、それだけ探索も時間がかかる。だから、こっちがストームを探すのではなく、ストームに我々の存在を示す方がてっとりばやいと思ったんだ」

「あの――グラヴェール艦長」

 コホンと咳払いをしてジャーヴィスが発言の許可を求めるために右手を上げた。

「それは……具体的には、どういうことをするつもりなのですか?」

 シャインは徐にジャーヴィスの隣に立つと、黒いマントで覆われたその左肩へ右手を載せた。


「具体的には――我々はこれから、このエルシーアで最大の海賊勢力になる! 片っ端から商船を襲っていけば、嫌でもストームは姿を現すはずだ。獲物を全部横取りされるのだから、普通、文句の一つでも言いに来るだろう?」


 ロワールハイネス号の甲板はみるまに静まり返った。

 その沈黙の理由は、これから海賊をする、と言われて全く抵抗がない人間の方が皆無だからだ。

 シャインは自分を見つめる水兵達の表情からそれを察した。


「皆、すまない。誤解しないでほしいんだが、実際我々は海賊をするわけじゃない。必要なのはこのエルシーア海で“海賊ジャヴィール”というのが荒し回っている、というウワサなんだ。ストームをおびき出すためには、噂だけで十分なはずだ」

「………そうだったんですか……よかった」

 水兵たちにほっとしたような、安堵の表情が浮かんだ。彼らの中には昔商売をしていたが、海賊に船を襲われ多額の借金を作ってしまい、ついに一家離散した者もいた。


 士官候補生のクラウスが甲板に座ってへたりこんでいた。

「よかった~。海軍に入れた息子が、実は海賊になりました。なんて父様が知ったら勘当されちゃう」

「そういえば、お前の家はお茶の問屋をやってたんだよな」

 シルフィードがクラウスに話しかけた。

「はい。何で僕が海軍に入れられたのか、実はよく分からないんですけど」

「……」

 シルフィードが黙ったタイミングで、ジャーヴィスが沈黙を破った。


「艦長、あなたのしようとすることは分かりました。ですが、“海賊ジャヴィール”っていうのは?」

 眉間に縦ジワを作り、心なしか口元が引きつっているジャーヴィス。

 シャインはそんなジャーヴィスの様子に、おや? と顔をしかめた。

「本名を使うわけにはいかないだろう? 君が、この『ジャヴィール海賊団』の頭領なんだから」

「はぁっ!?」

 硬直するジャーヴィス。その顔は血の気が引いて蒼白になっている。

「しかしっ、あなたは私の上官なんですよ! 頭は私ではなくて、あなたがなるべきだと思いますがっ!」

 ジャーヴィスの言い分はよくわかる。

 シャインは首を横に振った。

「まあね。けれど今回俺は表舞台に立つ訳にはいかなくてね。商船の人達の協力も必要だから、遠慮させてもらったんだ」

「でも――」

「もう決めたことだ」

 シャインは鋭くジャーヴィスに言った。

 ジャーヴィスの心境は察するが、この役目は彼にしか務まらない。

「――り、了解いたしました」

 ジャーヴィスが顔を俯かせ、渋々了承の言葉を口にした。


「それでは早速皆には、ジェミナ=クラスに上陸して『海賊ストーム』に関する情報を集めてもらう。細かい指示は個別に後で出す。それから、この作戦は他言無用だ。例え海軍の人間でも一切話してはだめだ。全員わかったね?」

「はっ」

 ロワールハイネス号の乗組員は右手を額の前につけ、シャインに敬意を表した。

 シャインは同じように右手を上げて返礼した。

「よろしい。では、着替えてもらって結構です。指示あるまで待機とします。解散」


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