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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第2話 かけがえのないもの
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2-1 新たな任務

挿絵(By みてみん)




 ロワールハイネス号がジェミナ=クラス港に着いた日より二日が過ぎた。

 シャインは同軍港に錨泊しているウインガード号の艦長室を訪れていた。


「ツヴァイス中将閣下がお待ちです」

 シャインより背の高い歩哨の海兵が、重厚な作りの扉の前から体を横にずらして場所を譲る。

 ウインガード号は船齢二十年を迎える歴史ある二等軍艦で、シャインがこの船に乗るのは初めてだ。

 シャインは船内を好奇心を抑えながら眺めた。

「グラヴェール艦長。そんな所にいつまでもつっ立っていないで、部屋に入りたまえ」

 艶のある低いツヴァイスの声でシャインは我に返った。

「申し訳ありません。今、参ります」


 シャインは扉を開いてくれた歩哨に一礼して、いそいそと艦長室の中へ足を踏み入れた。

 船尾の大窓の前にある執務席には、黒い将官服に身を包んだツヴァイスが座っていた。

 背後の窓から入る光のせいで顔が影となり、その表情を咄嗟に伺うことはできない。

 けれどシャインが部屋に入るとツヴァイスは席を立ち、薄い唇に笑みを浮かべて自ら出迎えた。


「夜明けと共に風が弱まってしまって、やっと入港できたのだよ。ロワールハイネス号は二日前に着いていたから待ちくたびれただろう?」

「いえ。それも任務のうちですから」

 ツヴァイスの機嫌は良さそうだった。


「まずは座りたまえ」

「はい」

 シャインは執務机の前の応接用の青い長椅子に腰を掛けた。

 机を挟んだ対面へツヴァイスが腰を下ろす。そして茶色の革を張った書類入れを机の上に置いた。


「――見事だった」

 書類入れに船乗りにしては優美な指を伸ばして、ツヴァイスが呟いた。

「ロワールハイネス号がジェミナ=クラス港へ四日間で到着した証明書類だ。まずはこれを君に渡しておこう」

「ありがとうございます」

 シャインはツヴァイスから差し出された書類入れを受け取った。開いて中身を確認する。

 そこにはグラヴェール参謀司令官宛てで、シャインが命令書通りに任務を遂行したことを確認したという内容でツヴァイスのサインが入っていた。


「確かに。今回の任務はこれで完了ということでよろしいでしょうか」

「ふふ。用心深いな」

 ツヴァイスが可笑しそうに眼鏡の奥の瞳を細めて笑う。

 シャインは反論のため口を開きかけたが、ツヴァイスの右手がそれを制した。

「君の心境を考えると当然のことだ。私が君の立場だったら、ロワールハイネス号の艦長へ勝手に任命したくせに、指揮能力がどうのこうのという理由で、試験を受けさせられることに腹を立てるがね」

「……」

 シャインは口を閉ざした。おおよそ自分の気持ちはツヴァイスと同感であったから。


「まあ、君は私の予想を裏切って見事に任務を果たし、自らの手でロワールハイネス号の艦長となった。前評判通り、彼女は『使い走り』の中で一番の快足を誇る船であったわけだ。しかし」

 ツヴァイスは言葉を切り、徐にシャインへ意味ありげな視線を向けた。


「君は疑問に思わないか? 何故、アドビスがあんな命令を君に出したのか」

 ツヴァイスの夕闇色の瞳が銀縁の眼鏡の奥で鋭く光る。

 シャインは無言で首を横に振った。

「参謀司令とは六年ほど顔を合わせていないので、その意図が何かと問われても俺には見当もつきません」


 そう。十四才で海軍士官学校に入学して以来、手紙のやりとりは元よりアドビスとは一切会っていなかった。ロワールハイネス号の処女航海の命令書を受け取った時、六年ぶりに会話を交わしたのだ。

 それが会話といえるのなら――だが。


「そうか。なら、私が教えてやってもいいが」

「……」

 シャインは無言でツヴァイスを凝視した。

 彼もアドビスと同様、何を考えているのかよくわからない。


「ロワールハイネス号の速さは尋常ではない。けれど彼女の性能を引き出すことができたのは、シャイン、君だからだろう。いや、君でないとできなかったというべきか。アドビスは――それを確かめたかった」

「……」

 ツヴァイスの夕闇色の瞳はひたとシャインへ向けられている。

 いや、彼はシャインの顔を通して別の誰かを見ているようにも見えた。

 まるで目の前の幻影を追い払うように、その視線を無理矢理振り払ったからだ。


「さて」

 ツヴァイスは長椅子の背もたれに背中を預けて優雅に足を組んだ。

 再び皮肉屋を思わせる表情で口を開く。

「察しているとは思うがね。私はロワールハイネス号の秘密に気付いている。正確には、彼女に設置されている『船鐘』(シップベル)だがね。あれは見事な細工だな。大抵の船鐘は真鍮製だが、あれは銀で地金を覆っている。まるで何かを隠すかのように」

「……隠す?」

 小さく鼻でツヴァイスが笑う。


「あの『船鐘』について、君は何を知っている?」

 シャインは肩をすくめた。

「何も知りません。ただホープ船匠の話によれば、あの鐘をロワール号につけるよう海軍省から注文があったそうです」

「ほう」

 ツヴァイスは同意という意味ではなく、確証を得た様子で相槌を打った。

「それを命じたのは誰かね?」

 シャインは首を横に振った。


「わかりません。俺が知っていることはこれだけです。反対に閣下にお尋ねしてよろしいでしょうか。あの船鐘はなにかいわれのあるものなのでしょうか? でなければ」

「でなければ?」

 ツヴァイスの眼鏡の奥の瞳が鋭く光った。

「アイル号はあの『船鐘』のせいで何者かの襲撃を受けたのです。俺はそれを狙った賊と対峙しました」

「そうだったな。アイル号の襲撃事件はアスラトルの諜報部が調べているらしいが、調査は難航しているときいた」

 ツヴァイスは頬杖をつきながら小さく嘆息した。


「もっと詳しい話をしてもいいが、実は……ちょっと私も厄介事を抱えていてね。ジェミナ=クラスの人員だけでは手が足りない。よって少しでもいいから……手伝ってくれる人材が欲しいのだ」

 ツヴァイスは伏せていた瞳を上げ、意味ありげにシャインを見つめた。

「勿論、アスラトル軍港に属する君は、私――ジェミナ=クラス軍港司令の命令は無視できるがね。でも、アスラトルの発令部に『依頼書』を出しておけば、君に私の仕事を手伝ってもらえることはできる」

「……」

 シャインは思案した。


「確かに、急用の命令は受けていません。それをアスラトルの発令部にご確認いただければ、閣下の仕事を手伝うことはできると思います」

 シャインはそう答えるしかなかった。

 下手にツヴァイスの頼みを断ると、気分屋で有名な彼の事だ。ロワールハイネス号が四日間でジェミナ=クラスへ着いたのは間違いだったとか言い出しかねない。

 ツヴァイスはアドビスとの賭けに負けたのだから、本当は内心腸が煮えくり返っているかもしれない。

 シャインの懸念通りだったのか。そう答えるとツヴァイスが実に晴れやかな微笑を口元に浮かべた。


「そう言ってもらえると非常にありがたい。では、私の仕事が片付き次第、あの『船鐘』について知っていることを話してあげよう」

「ありがとうございます」

 シャインは静かに頭を下げた。

 ツヴァイスがロワールハイネス号の速さについて、何か言ってくるとは思っていたが、シャインもまたロワールのことを意図的に口にしなかった。



 船の足が速かったのは『船の精霊レイディ』が『船鐘』に宿っていたからです。



 そんなことを言えば、ツヴァイスは勿論、アドビスまでもが、ロワールを利用するかもしれない。

 ツヴァイスが『船鐘』について、今すべてを話してくれないのは、彼もシャインのことを自分の敵となるか、手駒になるのか見極めようとしているのかもしれない。

 だからシャインはツヴァイスの申し出を敢えて受けることにした。

 自分の求める情報を得るには、こちらも妥協しなければならない。

 自分の知らない所で何か大きな力が動いている気配を感じる。それに不本意ではあるが関わってしまった以上、今後のためにも自分で情報は集めておいた方がいい。

 それが彼女――ロワールを守ることになるかもしれない。


「本当にすまないな。君の指揮能力を疑うような『賭け』をした非礼を先に謝ろう」

 ツヴァイスは徐に席を立つと、シャインに向かって深々と頭を下げた。

 シャインは慌てて自分も立ち上がった。

「ツヴァイス司令。もうこの件は終わったことです。どうか顔を上げて下さい」

「ありがとう。君は……アドビスとはあまり似てないな。寧ろ」

 ツヴァイスがシャインの顔を覗き込むように一瞬見た後、後ろに身を引き再び腰を下ろした。

 何か想いが過ったのか口元に右手を添え、その視線は足元に注がれている。


「ツヴァイス司令?」

 呼びかけるとツヴァイスがはっと我に返った。

「あ、ああ。すまない。ちょっとここ数日、気になる報告をいくつか受けていてね。あまりよく眠れないのだ。それよりも本題へ入ろう。君に手伝ってもらいたいことなのだが、とある海賊を探してほしいのだ」

「海賊……ですか?」

「ああ。実は半年ほど前からなのだがね。エルシーア海の東の方で、不審な海賊船団が目撃されている。襲われた商船も十隻を超えていて、早急に手を打たなければ被害が増す一方なのだ。それで調査の結果、どうもこのジェミナ=クラス港に、その海賊船団の一味が出入りしていることを突き止めた」


 海賊ときいてシャインは思い出した。

「閣下。実は――俺も気になることがあるのです」

「何かね?」

「はい。今回ジェミナ=クラス港への処女航海で、ロワールハイネス号に海賊が水兵として二人、乗り込んでいたのです」

「何だと?」

 ツヴァイスの眉間が瞬時に曇った。


「閣下が調査している海賊との関係はわかりませんが、彼らは『月影のスカーヴィズ』の一味と称し、ロワールハイネス号の処女航海を失敗させるのが目的だと言っていました」

「その海賊はどうしたのだ? 捕らえたのか?」

「申し訳ありません。彼らは海に飛び込んで逃亡しました。でも俺は彼らの船長が乗っていると思われる船を見ました。砲列甲板は二層・28門の大型の武装船でした。ご報告を忘れてしまい申し訳ありません」


 ツヴァイスが片手を上げ小さく微笑した。

「貴重な情報だ。私が調べている海賊船団と関連があるかもしれない。エルシーア近海は我々の庭だ。そんな船が闊歩していることは許されない。それにしても、波乱万丈な処女航海だったのだな。君の船にはディアナ様が乗っていたはずだ」

「はい。ディアナ様の御身を危険に晒したことは事実です」


 ツヴァイスが腕を組んでシャインを見つめた。

「けれど君は海賊の不意討ちを阻止し、期限内にジェミナ=クラス港へ到着した。君の指揮能力は十分に発揮されたのが良くわかった。ではなおのこと、私の探している海賊を捕まえてほしい」

「はい」

「そして申し訳ないが時間がなくてね。できたら一週間以内に捕まえて欲しいのだよ。その海賊自体は大物ではないが、情報屋として動いているみたいなのでね。時間がかかれば海賊船団の連中に警戒され、行方をくらまされる恐れがある」


「しかし、一週間ですか」

 シャインは思わず絶句した。

 ジェミナ=クラス港は、エルシーアの北の玄関に当たる巨大港だ。

 軍港と商港が隣接しており、そこを出入りする船は毎日数百隻を超える。

 シャインの懸念を察したツヴァイスが肩を竦めて頷いた。


「落ち着きたまえ。先程言ったが、探してほしい海賊達はジェミナ=クラスを拠点としている。探す範囲は広いが、現時点でわかっている情報は君にすべて提供する。必要なものがあれば申請したまえ。用意する」

 シャインは安易に喜べないと思いつつ頷いてみせた。

「ありがとうございます。閣下のご期待に添える結果が出せるか、あまり自信がないのですが。では早速ですが、その海賊の名前と特徴を教えて下さい」


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