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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第1話 レイディ・ロワール
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1-29 命令書の意味


 ◇◇◇


「針路このままを維持。総員を甲板へ召集して、右舷側へ並ばせてくれ」


 ウインガード号を見張りのエリックが視認してから三時間。

 風向きのせいでもあったが、シャインは敢えてかの船を追尾する針路をとった。

 ロワールハイネス号の任務はディアナ公爵令嬢をジェミナ・クラス港へ送り届けることだが、もう一つ――こちらは誰にも告げていない重要任務がある。


 ジェミナ・クラスへは五日以内に着かなくてはならない。

 理由はさっぱりわからないが、この命令を出したシャインの実父であり、参謀司令官のアドビス曰く、ロワールハイネス号の潜在能力とシャインの指揮能力が十分に発揮されれば、この目的は達成されるそうだ。


 ――いつもながら……本当に勝手だ。


 シャインは甲板で一人嘆息した。

 俺は失うわけにはいかない。

 この手に掴んだ唯一のもの。

 ここはやっと見つけた自分の居場所。

 彼女を失ったら世界は再び色を失い、何も感じない日常が繰り返される――。


 シャインは無意識の内に船縁を両手で掴み、前方に見えるウインガード号を食い入るように睨み付けた。

 ツヴァイスはシャインがジェミナ・クラス港へ五日以内に到着するか、見届けるために船を出したに違いない。

 それならば、彼にロワールハイネス号の姿をちゃんと見せる必要がある。

 そう考えたからこそ、シャインはウインガード号の後を追う針路をとった。


 本来ならありえないが、昨日アスラトルを出港したロワール号は、このままの速度なら明後日の夕刻にジェミナ・クラス港へ到着する予定だ。

 命令書に指定された日よりも一日早く港に到着する。ひょっとしたら妙ないいがかりをつけられるかもしれない。けれどこの海域にいる姿をツヴァイスに見せることができれば、そんなことは言えないだろう。


 目撃者がいるのは良い事である。

 しかも、自分たちが仕組んだ賭けに負ける様を見るのはどんな気持ちだろうか。


 アドビスはツヴァイスの言う事なら信じるだろう。いや。参謀司令部の情報網を駆使して、実はロワールハイネス号には彼の息がかかった密偵が乗っているかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、ロワールハイネス号はウインガード号の左舷後方へどんどん近づき並走した。金色の葉をリース状に丸くレリーフした飾りがついた砲門蓋がずらりと並んだ船腹は紺碧色に塗られている。


 ウインガード号は三層の砲列甲板を持つ軍艦で、『海賊拿捕専門艦隊』――通称・『ノーブルブルー』に属する船だ。この装飾はウインガード号を含め、『ノーブルブルー』に属する四隻の軍艦にしか施されていない。


 シャインはウインガード号へ敬意を示すため水兵達を右舷側に整列させた。自分自身も軍帽とマントを着用してウインガード号の後部甲板にある指揮所を凝視しその姿を探した。

 いた。

 黒い将官の軍服を纏った金髪の男が指揮所に立ち、同じようにロワールハイネス号を見つめていた。


「そういえば……『ノーブルブルー』は東方連国方面へ遠征に出ているそうですね。ウインガード号だけは船倉の改修工事のため不参加らしいですけど」


 シャインの隣に近づいてきたジャーヴィスがぽつりと漏らした。


「ふうん」


 シャインは関心なさげな声を漏らした。ジャーヴィスの唇が意外そうに引きつる。


「ふうん、って。……先月の海軍公報に載っていましたよ?」

「悪い。知らなかった」


 知らないなんてありえない。

 ジャーヴィスの顔にはそう書いてあった。シャインはそれをひと睨みで遮った。


「ツヴァイス司令官だ。全員、敬礼」

「はっ! 全員ウインガード号へ敬礼だ!」


 ロワールハイネス号の水兵達は一斉に右手の拳を額に添えた。

 ウインガード号の水兵達も左舷の船縁で整列し、水色の制服を纏った海兵隊が長銃を天へ向けて一斉に構えた。


 ロワールハイネス号はウインガード号の影になるため風を少し失ったが、それでもこの二等軍艦をやすやすと引き離した。

 すれ違い様にシャインはツヴァイスがこちらを見ていることに気付いた。

 その端正な顔に驚きの表情はない。

 まるでシャインが現れることを予期していたかのように、平然とした笑みを浮かべていた。

 返ってそれに不気味さを感じた。

 ロワールハイネス号が見る間にウインガード号を追い越すと、後方から遠雷のような破裂音が木霊した。

 ウインガード号が儀礼用に空砲を六発撃ったのだ。


「ウインガード号のメインマストに信号旗!」


 見張りのエリックが甲板へと叫んだ。

 ジャーヴィスがクラウスに命じた。


「艦長に内容を報告!」

「は、はい」


 クラウスは弾かれたようにウインガード号を凝視した。


「えと……貴船の…こう、航海……いや、あの」

「『貴船の幸運を祈る』だ」


 ジャーヴィスは右手の拳でクラウスの脳天を小突いた。


「後で信号旗の講義を私自らしてやるからな。クラウス、覚悟しろ」

「ずっ、ず、み、まぜん……」


 涙声でクラウスが叫ぶ。


「ジャーヴィス副長。ウインガード号へ返答してくれ」


 シャインはウインガード号から目を離さず口を開いた。


「はっ」


 ジャーヴィスが緊張した面持ちで振り返る。


「『港にて待つ』」

「……」


 ジャーヴィスは一瞬驚いたようにシャインを凝視した。


「そ、それでよろしいのですか?」

「ああ」


 シャインは頷き、そのまま海図室へと歩を進めた。

 ジャーヴィスが戸惑いながらクラウスにシャインの命令を復唱する声が聞こえた。

 すぐさまロワールハイネス号のメインマストの一番上に信号旗が翻った。




 ◇◇◇




「あれはどういう意味ですか?」


 ジャーヴィスの瞳は初めて会った時のように近寄りづらい敵意に満ちていた。

 シャインは海図室で吟味台に広げた海図で航路を確認しながら、予定通り明後日の夕方にはジェミナ・クラス港に着くことを確信していた。

 いや、何かトラブルがあったらロワールに頼んで、意地でも船を動かして間に合わせるつもりだ。


「ジャーヴィス副長。君は昨晩徹夜だった。今夜は俺が当直をするから休んでくれ」


 シャインはジャーヴィスの言葉を聞き流した。

 彼が何を気にしているのかがわからない。けれどジャーヴィスは真正面からシャインを見つめたまま口を開いた。


「ウインガード号の信号は慣例に則った儀礼的な挨拶でした。でもあなたは……個人的な伝言を返答しました」

「ああ、そういうことか」


 シャインはジャーヴィスの睨みから視線をさりげなく逸らした。


「ツヴァイス司令とは命令書をもらった時に海軍省で会ってね。ウインガード号でジェミナ・クラスへ戻ることを彼から聞いたんだ。ロワール号の行く先も同じだから、先に着いてお待ちしていますという返答をしただけだよ」


 シャインは一呼吸しジャーヴィスを見返した。

 ジャーヴィスはシャインの回答に納得したような、それでもまだ何か引っかかるのか眉間に深い縦ジワを寄せている。


「まだ何か気になることでも?」


 シャインは平静を装う自分を意識していた。

 ジャーヴィスは自分とツヴァイスの間に何かあると直感している。


「……お気を悪くされたのなら謝ります。ただ私は……ロワールハイネス号の足の速さについて、ツヴァイス司令官に何か尋ねられないかと……気になったので」

「えっ」


 ジャーヴィスは普段の彼らしくなく気弱なため息をついた。


「いえ、私の考え過ぎです。申し訳ありません」


 ジャーヴィスはシャインに向かって深々と頭を下げた。

 シャインは無言で海図に視線を落とした。

 指先で昨夜からの航跡を記した線を指先でなぞる。

 通常なら風に恵まれてもジェミナ・クラスへの航海は六日間かかるのだ。それを四日に短縮できた理由。


「ロワールハイネス号の足の速さは何かからくりがあるんじゃないかって、ツヴァイス司令に不審がられると?」

「……ツヴァイス司令だけではありません」


 静かな声でジャーヴィスが呟いた。

 シャインは海図から顔を上げた。ジャーヴィスの青い瞳は何かを案じるように険しい。


「あなたもロワールハイネス号の速度にこだわっていました」


 シャインは椅子に背中を預けた。


「当然じゃないか。俺は半年前――彼女が設計図の頃から、海に出た時のことを考えていたんだ。どれくらいの速度でこの碧海を駆けるのかずっと愉しみにしていたんだ」

「しかし、ロワールハイネス号の足の速さは、本当に『船の精霊レイディ』が宿っていたからです。でもそんな非現実的な事――あなたは、ツヴァイス司令に尋ねられたらそのように答えるのですか?」


 シャインは黙ったまま腕を組み、時折揺れる海図室の天井を見上げた。


「嘘を吐くつもりはないし、彼女のことを隠すつもりもない。ただ……君と話していて思い出した」

「えっ」


 戸惑うように真っ青な瞳をしばたいたジャーヴィスへシャインは頷いた。


「君が言っていた。ロワールハイネス号の破壊工作の目的は、船鐘に宿った『船の精霊レイディ』の力を試すためじゃないだろうかと」

「それは……」


 シャインは急に可笑しさが喉元までこみ上げてくるのを感じた。

 両手が高まった感情のせいで震えている。シャインはそれを無意識の内に頬へ添えた。


「そうか。そうだったのか」


 破壊工作の目的は違うとしても、ロワールハイネス号に出された今回の命令書の意味がわかった。

 シャインは椅子から立ち上がった。


「あの人は知っていたんだ。本船に――いや、あの船鐘に『船の精霊レイディ』がいることを。だから俺にジェミナ・クラスまで五日間で行くように命じたんだ……」

「なんですって?」


 シャインの言う意味が理解できない。

 そういわんばかりにジャーヴィスが立ち上がった。


「艦長。その話は初めて聞きました。本船は、ジェミナ・クラス港まで、たった五日で行かなくてはならなかったのですかっ!」

「あ、いやその……」


 シャインは我に返った。

 顔を上げるとジャーヴィスが普段よりも頬を上気させてシャインを睨み付けている。


「そんな命令が出ていたとは知りませんでした。艦長、もしも五日以内にジェミナ・クラス港へ着かなかった場合はどうなるのです?」


 暫し沈黙してからシャインはため息をついた。

 そこまでジャーヴィスに言うつもりはない。


「さてね。あの人の目的なんて俺にはわからないし、知りたいとも思わない。だけど――俺としてはロワールハイネス号から降りるつもりはない」


 シャインは海図室の扉を開いた。甘い潮の香りが風と共に流れ込んでくる。

 視線を船尾方向へ向けると、鮮やかな紅の髪の毛を靡かせながら、シャインに微笑むロワールの姿がそこにあった。


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