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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第5話 Judgment Day
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5-33 【回想】リュニスへ至る道(3)

 上気していたシャインの頬もみるみる色が失せていった。ざっと記憶を辿り、アスラトルに着いてから七日目がすでに経過したことに気付いた。


「まずい。今日には船に戻ると約束したんだった……」


 船の精霊は船を愛する人の『想い』で生まれると言われている。それ故に寂しがりやの精霊も多い。けれど一番深刻なのは、誰も船に乗らない状態が長く続けば、人の『想い』で生きている彼女達は糧を失い、最終的には存在する事ができなくなって消失してしまうのだ。


 もっとも、一週間ぐらい船に戻らなかったことでロワールの身に何かがおきるわけではないが、いつまでも帰って来ないシャインにそろそろ堪忍袋の尾が切れてもおかしくはない。

 ヴィズルにひきずられるようにして、シャインは席を立った。


 脳裏にロワールのことが浮かばなかった自分の心境を呪った。

 彼女の建造に関わり、船に命を与える『命名式』で海神と船の精霊レイディに誓ったのだ。

 いかなるときも彼女を守ると。

 それなのに、今まで自分は何をしていた?

 彼女を置いて自分だけ生きる苦しみから逃れようとしていた。


 ロワールという存在をこの世に生み出した自分がいなくなったら、きっと彼女は自分の帰りを待ちわびながら消えてしまうというのに。

 ロワールの――ロワールハイネス号の喪失。

 この痛みだけは多分耐えられない。


「君の言う通りだ。ロワールの所に一旦行かないと、彼女は怒って口もきいてくれないかも――」

「待ちなさい。シャイン」


 立ち上がったシャインを、リオーネのしっとりとした、けれど厳しさの感じられる声が制止した。


「リオーネ、さん」


 シャインはリオーネの新緑の瞳が、射るようにこちらに向けられているのを見て声を強ばらせた。

 リオーネは料理を載せた小さな手押しの台車を、食堂まで自ら動かして運んできた。


「お願いだから、食事を済ませてから行って。でないと」


 肉を切り分けるための刃物を手にして、リオーネがにこりと微笑んだ。


「一生懸命作った料理が冷えてがっかりだわ。この一週間辛かったのは私も同じ。料理を食べてくれなかったら、私もへそを曲げて、あなたを屋敷から出しませんから。一生、ね。シャイン」

「……」


 普段大人しい人間の怒りはすさまじい。何時も怒っている人間と比べて、その機嫌が直る時間もずっとかかる。挙げ句の果てには、いつまでもその時の事を根に持っていたりする。リオーネはあからさまにそういうことを言わないが、ここは逆らわない方がいい。

 シャインとヴィズルは顔を見合わせ、すごすごと再び食卓の席についた。


「ほう。今日はリオーネの得意料理、ファルガ鳥と季節野菜の詰め合わせか。これは美味しそうだ」


 アドビスはリオーネの機嫌を直そうと、滅多に口にしないお世辞を言っている。シャインは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。思った通りリオーネはかなり本気で怒っている。その怒りを鎮めるには大人しく夕食を取るしかない。


「い、頂きます。リオーネさんが自ら焼いて下さるこの鳥、すごく美味しいんだ。ぜひ食べてくれ、ヴィズル」

「え、ええっ!?」


 シャインは笑みを浮かべながら、机の下でヴィズルの足を蹴った。


「あ、ああ……! これは確かにうまそうだ。ファルガ鳥ったら、どこだったかなー串焼きがうまい店があって、また食ってみたいと思ってたんだよなぁ~」


 はははは。

 シャインに調子を合わせてヴィズルが乾いた笑い声を上げた。


 にこにこ。にこにこ。

 肉を切り分ける刃物をすらりと右手に持ち、リオーネは極上の笑顔をシャインに向けた。


「残さず食べなさいね。鳥さんの命で私達が生かされている事を忘れてはだめ。まして、食べ残して廃棄するなんてもってのほか。いいわね?」


 リオーネが焼いたファルガ鳥は丸一匹。

 男性四人が食べても十分すぎる程の量がある。

 おまけに鳥の腹の中には、香辛料で味付けをした野菜などの具が詰められている。


「無理だ。ぜってー、無理」


 肉を噛みしめながらヴィズルがつぶやくので、シャインは再び彼のすねを机の下で蹴り飛ばした。


「うう……シャイン、おぼえてろよ」


 ぎろりとヴィズルが睨み付けたが、シャインはうれしそうに新しい肉のかたまりを切り分けるリオーネから皿を受け取った。


 食べないと外に出られないのだ。

 外に出られないということは、今夜中にロワールの所に行けないのだ。


「リオーネさんの機嫌が直れば、料理が残ったって大丈夫なんだ。だから、がんばってもう少し食べてくれ、ヴィズル」

「……」


 自分の皿を空にして、口元をナプキンで拭いたアドビスが席を立った。


「アドビス様、どちらへ?」

「うむ。私は書斎に戻る」

「あっ、汚ったねーのアドビス! 料理はまだ残ってるぞ」


 アドビスがちらりとヴィズルとシャインを見た。


「お前達若い者がしっかり食べろ。鳥もよろこぶだろう。何しろ最後の晩餐だからな」


 含み笑いを残してアドビスは食堂を出ていった。


「さあ、二人とも。まだ食後の口直しがあるから、しっかり食べてね。果樹園のブドウで冷たいフィーリー(ゼリーのようなデザート)を作ったの。エイブリー、持ってきて下さる?」


 それを食べ終わるまでは、席を立つ事を許しません。

 リオーネの麗しい顔にははっきりとそう書いてあった。

 グラヴェール家の夕食が終わったのは三時間後の夜10時のことだった。

 食べ過ぎでシャインとヴィズルがしばらく動けなかったのは言う間でもない。


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