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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第5話 Judgment Day
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5-32 【回想】リュニスへ至る道(2)

 協力者、という言葉を聞いて、シャインは一瞬安堵した。アドビスの言うリュニスへの潜入には自分一人で行くものとばかり思っていたからだ。

 だが同時に誰が協力してくれるのかと考えて、シャインの心は再び不安に揺らいだ。

 一体誰だ?

 海軍省の人間ではないだろう。アドビス自身が彼等は信用がならないと言っていたのだから。


 階段を降りて居間の奥にある食堂へ向かう。青い絨毯が敷いてある食堂は、白いクロスがかかった長机と、年代ものの木製の六脚の椅子が並べられている。壁の一面には小さな陶器の額に収められた、グラヴェール家の歴代当主たちの肖像画が飾られていた。彼等の多くは海軍の青い軍装姿なので、ここは通称『青の間』とも言われている。


「やっぱり『マルティーニャ』は別格だな。おい、けちけちしないで、もうちょっとグラスに注いでくれよ」


 食堂に足を踏み入れたシャインは、来客用の席に収まって執事エイブリーにワインを注がせている人物に息を止めた。


「エイブリー。これはいい。台所に行ってシシリー酒をとってこい」


 シャインが口を開く前に、後ろにいたアドビスがずかずかと客人の席に近付き、エイブリーを急かすように食堂から追い出した。


「ああ!? ちょ、まだ酒をもらってねえっていうのに!」

「これを出していいと私は言ってない。第一これは客に出す酒ではない」

「ちぇ! 特上の酒は自分用かよ」

「そうだ。お前に希少な酒を全部飲まれるわけにはいかぬからな」


 空になったグラスを残念そうに卓上に置き、客人は腰ほどまで伸びた銀灰色の髪をかき上げて、傍らに立つアドビスを恨めしそうに眺めた。


「……おや」


 客人の夜色の瞳が食堂の入口に立つシャインを鋭く捉えた。視線を合わせたシャインは、黙ったまま彼に近付いていった。

 ヴィズル――。

 口の中でその名を噛みしめながら。


「よお、シャイン。相変わらず冴えない顔してるが、元気そうじゃねーか」


 片手を上げてひらひらとそれを振り、ヴィズルは気さくな笑みをシャインに向けた。

 シャインは無言のままうなずいた。

 アドビスが何かに気付いてその場から離れ、さっさと当主の席へ腰を落ち着かせる。

 ヴィズルはそれを横目でみながら、口惜しそうに呟いた。


「酷いんだぜ、お前の親父は。客に水みたいなシシリー酒を飲まそうとしてるんだ。お前からも何か――」


 ヴィズルに近付きながら、シャインは右手に力を込めた。

 握りしめた拳を素早く引き、狙い過たずヴィズルの左頬を打ち据える。


「ぐはっ!」


 ヴィズルの体が椅子から派手に転げ落ちた。


「何しやがるんだ! いきなり!」


 青い絨毯の上に尻を付き、銀髪を振り乱しながらヴィズルが顔を上げた。

 シャインは僅かに肩を上下させて、握りしめていた右手を開いた。

 弾む息を整えて呼吸を落ち着かせる。


「ずるいぞ。君は、すべてを知っていたんだろう?」

「な、何の話だ? っツ! いきなり殴るから、口の中切ったぞ!」


 口元に手を添えて、ヴィズルが噛み付くように叫ぶ。

 それを剃刀のように鋭利な視線で睨みながら、シャインは言葉を続けた。


「いつからあの人と組んでいた? ヴィズル、君は常に俺の行く手の先にいた。今だってそうだろう? どういうことかすべて話してくれ。でないと俺は、君を信じる事ができない」

「……ふ、ふふ」


 ヴィズルは絨毯の上に座ったまま俯き低い笑い声を上げた。


「ふふふふふ……アドビス、本当にこいつをリュニスに送るつもりなのか?」


 銀灰色の髪を振り払い、ヴィズルはゆっくりと立ち上がった。


「ヴィズル。答えろ」


 シャインは再び右手を握りしめた。

 この一年、ヴィズルにはいろいろ助けてもらったし、恩もある。だが被害を被った事もあるし、海賊上がりの彼は、何者にも縛られない自由な生き方故に我が儘で気ままだ。それ故に何度か意見の衝突もあった。


「俺がいなかったら、シャイン。お前は司法局でとっくに殺されていただろうよ」

「……え」


 ヴィズルはひっくり返った椅子を元に戻し、そこに再び腰を下ろした。


「どういうことだ?」

「どういうことって……そうか、まっとうな市民であるお前は知るはずもないか。お前をしょっぴいた司法局の男は、その筋では有名な殺し屋なんだぜ? お前が裁判で証言するのを善しと思わないやつが、海軍省の中にいるんだろう。まあ、俺はやつの顔を知っていたから、市民の義務を果そうとしたお前に悪いと思いつつ、いろいろ邪魔させてもらったわけだ」


 ヴィズルは赤くなった右頬をさすり、シシリー酒を持ってきたエイブリーに、「悪いけどよー、ちょっと痛むから冷水を浸した布を用意してくれ」と言った。


「……そんな……」


 シャインはヴィズルの視線をひきはがすように顔を背けた。


「シャイン。ヴィズルの言う事は本当だ。手段は無茶苦茶だったが、そのおかげでお前はここにいるというわけだ」


 エイブリーの置いていったシシリー酒の瓶を掴み、アドビスは自分のグラスに酒をなみなみと注いだ。


「そうそう。おまけに、今度はお前をリュニスに連れていくために協力するっていうのに、酷ぇ奴だよ。いきなり俺の顔を殴るなんて。自慢の鼻が曲がったら恨むぞ、シャイン」

「……」


 シャインはヴィズルの隣の席に腰を下ろした。

 でもなかなか顔をあげる事ができない。

 アドビスもヴィズルも、さもすべては自分を守るためだったといわんばかりの物言いをする。事実そうなのだろうが、どこか割り切れない。胸の中がもやもやしてすっきりしない。すっきりしないのは、そこまで彼等が自分を気にする理由がわからないからだ。


 でも。確かに、いきなりヴィズルを殴ったのは悪い事だ。今までの理不尽な出来事に対する八つ当たりだったのかもしれない。シャインは胸のもやもやを何とか飲み下し、ようやく顔を上げた。


「……悪かった」

「ん?」


 ヴィズルがアドビスの所にあったシシリー酒の瓶を取り、それを空になったグラスの縁から溢れんばかりに注ぐ。


「いきなり殴って、悪かった」


 シャインはヴィズルの手からシシリー酒の瓶を奪い、自分のグラスに半ば程それを注いだ。急に喉の乾きを覚えたからだ。

 果実酒の中でもアルコール度数が低いこの酒なら飲める。

 けれど久しぶりに飲んだ酒はシャインの喉と胃に不快感を与えた。


「ここまで堕ちたらどんなこともできるような気がしてきた」


 はは、と、ヴィズルが乾いた笑い声を上げた。


「じゃ、俺と海賊稼業でもするか。お互いこの世にいない者同士だしな」


 酒の不快感に顔を歪ませていたシャインは、ヴィズルの言葉に息を飲んだ。

 そう。

 海賊スカーヴィズと名乗った彼は、表向き、一年前の海戦で死んだとされている。エルシーア海賊の生き残りは、あの海戦以来エルシーア海で誰も目撃されていない。その真実を知る者はここにいるヴィズルだけなのだろうが、彼自身も海賊スカーヴィズという名を喪失し、今は違う人生を歩んでいる。


「俺達がリュニスに行って失敗し、捕えられたり殺されたとしても、エルシーアは二人ともすでにこの世にいない人間だとしらをきることができます。ふふ……そうか。俺達を選んだのはすべて計算のうちですか。父上」


 寡黙なアドビスは会話に加わる事なく、じっとシャインとヴィズルの話を聴いていた。


「そうだな。リュニスが何を言ってきても、知らない振りができるな。確かにお前達に任せるのが最善のようだ」

「ちょっと待てよ、アドビス」


 冗談じゃないとヴィズルが声を上げた。


「俺はあんたの捨て駒になるつもりはないからな! 予定通り、シャインをリュニスに連れていったら後はもう関係ない」

「ちょっと待て。リュニスへは誰の船で行くんだ?」

「そりゃお前のロワールハイネス号しかねえよ。そうそう! 大事なことを思い出したぜシャイン!」


 赤かった顔を見る間に青ざめさせて、ヴィズルがシャインの腕を掴んだ。


「何をするんだ」


 ヴィズルが慌てたように席を立った。シャインの腕を掴んだまま。


「ロワールだよ! ロワール! お前、何日船に戻ってないんだ? もう一週間になるだろう。早く会いにいかねぇと、あのお姫さんのことだ。へそを曲げててこでも動かなくなるぞ」



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