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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第5話 Judgment Day
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5-23 門前払い

 リーザの事は気になるが、彼女の体は心配ない。

 最近受け取った一番新しい手紙には、妹のファルーナと一緒に王都ミレンディルアまで出掛けて、その道すがら焼菓子やら名産品やらを食べ歩く小旅行を楽しんだと綴られていたからだ。実にうらやましい。


 海軍省を出たジャーヴィスは辻馬車を拾い、急ぎグラヴェール屋敷へと向かっていた。

 けれど屋敷が近付くにつれて、馬車から飛び下りたいという衝動が募ってきた。

 自分の目で事実を確認する。だからこそシャインの訃報は本当なのか、アドビスに会って話をききたい。けれど同時に真実から目を背けたい自分の気持ちもある。ジャーヴィスは馬車に揺られながら両手を組み目を閉じていた。


 どうか、何かの間違いであって欲しい。

 そう――祈りながら。


「軍人さん、グラヴェール屋敷でっせ」


 馬車が止まり黒い服を纏った年嵩の御者が扉を開いた。


「あ、ああ……」


 ジャーヴィスは軍服の上着を探り乗車代を支払った。

 馬車を降りたジャーヴィスの目は、あるものに釘付けになった。グラヴェール家の門はどこの屋敷でもそうなっているように、両開きに開く馬車専用の『大門』と、人間が出入りするための『通用門』が併設されている。


 その通用門の扉には、白い花びらの先から徐々に青味を帯びるエルシャンローズで作られた小さな花環がひっそりと飾られていた。花環にはしっとりとした光沢の黒いリボンがかけられている。紛れもなくこれは、グラヴェール家に不幸があり、喪に服していることを表すしるしだった。

 それを呆然と見つめるジャーヴィスの隣に、痩せぎすの辻馬車の御者が声をかけてきた。


「旦那で二十人目ぐらいですかね」

「……何がだ」


 吐息のような、自分でも信じられないくらい掠れた声でジャーヴィスは答える。

 御者はくすんだ緑の襟巻きを巻き直しながら呟いた。


「弔問客ですよ。海軍の軍人さんばかり。だから旦那もそうでしょう?」

「いや、私は……」


 ジャーヴィスは思わず否定した自分の言葉に唇を歪めた。

 まだだ。

 まだ私は真実を何も知らない。

 だから弔問客などではない。


「旦那、私はここでお待ちしてますから」


 ジャーヴィスは頭を振った。


「いや、いい」

「でもきっとお帰りの時に必要だと思うんですけどね」


 御者は確信を込めた強い口調で言った。

 どこから湧いてくる自信だ? 

 そう訝しみつつジャーヴィスが再び断りの言葉を口にしようとした時だった。


 グラヴェール家の通用門の前に人の気配がした。ジャーヴィスははっとなった。

 淡い白金の髪を揺らし、黒の長いドレスを纏った女性が門の内側に立っている。


「リオーネ様」


 呼び掛けると女性は陰りのある新緑の瞳を細めながら微笑した。かろうじて客人に対して笑みを見せたような、弱々しい微笑だった。


 ジャーヴィスはそんなリオーネの様子に嫌な予感を覚えた。いや、予感どころではないだろう。現に彼女は風の精を思わせる、ふわりとした普段の装束ではなく黒い飾り気のないドレスを纏っている。


「ご無沙汰しております。ジャーヴィスです」


 ジャーヴィスは通用門の鉄格子越しでリオーネに挨拶した。


「お久しぶりです。ジャーヴィス艦長」


 挨拶にこたえたリオーネの声はか弱く力がない。


「あの……実は、お聞きしたいことがあって、私は……」


 ジャーヴィスはシャインのことを訊ねようとしたが、とても自分の口から彼の訃報のことを言う事ができなかった。


「ごめんなさい。ジャーヴィス艦長」


 リオーネが申し訳なさそうに眉を寄せて口を開いた。


「いつもならあなたのご来訪を、アドビス様も私も、とても嬉しく思って、是非お話を伺うのですが……今はどうか、そっとしていただけますか」


 ジャーヴィスは唇を震わせながら、さりげなく視線を伏せたリオーネに言った。


「本当にあの人は……いや、グラヴェール艦長は」

「ごめんなさい」


 リオーネは堪えきれなくなったのか、黒い手袋をはめた手で口元を覆い、門から離れた。そのまま踵を返して屋敷の方へ足早に歩き去っていく。


「……」


 ジャーヴィスはリオーネを呼び止めようと思わなかった。

 リオーネの深い悲しみにうちひしがれた様子をみれば何があったのか容易に察する事ができる。理由は知ることができなかったが、やはりシャインの訃報は本当だったのだ。


「なんとまあ……お気の毒に。美人の涙はやはり堪えますな」

 ジャーヴィスは振り返って、背後に佇む御者を見た。


「ご当主の亡くなった奥方の妹さん。相変わらずお美しい」

 ジャーヴィスの顔を見て御者は馬車へ意味ありげな視線を向けた。


「お帰りになられますか」


 ジャーヴィスは溜息をついた。

 ここに留まってもアドビスやリオーネは自分に会ってくれないだろう。


「ああ。街に戻る」

 ジャーヴィスはゆっくりと頷いた。


「誰にもお会いにならないんですよ。だから弔問客は、皆あそこで門前払い」


 馬車の扉を開けながら御者が言った。ジャーヴィスはふと疑問に思って訊ねた。


「グラヴェール家は、跡継ぎの訃報を自ら発表したのか?」


 御者は戸惑ったようにジャーヴィスの顔を見た。


「それは私は知りませんがね。でも私が良く行く酒場の主人が、新聞の方に小さく載っていたとかいないとか……話してましたかね。あっ」


 ジャーヴィスは御者台の隣に腰を下ろした。


「旦那。ここはお客の座る場所じゃ……」


 ジャーヴィスは御者の手に数枚の金貨を握らせた。


「いつまでもここにいたらグラヴェール家の迷惑になる。さっさと馬車を出してくれ。そして、あんたが知っている範囲でいい。あの人……いや、シャイン・グラヴェールの身に何があったのか教えてくれないか」


「そう言われましても。私よりも旦那の方が詳しいんじゃ?」

「私はずっとジェミナ・クラス軍港に駐在していて、昨日アスラトルに帰って来たばかりなんだ」

「そうですか……しかし、私も詳しくは知らないですよ?」


 御者は馬車を再びアスラトル市街へと走らせた。


「丁度一週間前でしたかね。ほら『ノーブルブルーの悲劇』。あの事件を旦那は勿論ご存知ですよね」


 ジャーヴィスは小さく頷いた。

 御者は手綱を握り前方に顔を向けたまま口を開いた。


「あの事件のことでシャインさんが遺族に訴えられたらしいんですよ。理由は忘れちまいましたけど、驚きました。だってグラヴェール家といえば、代々海軍将校を輩出して、今の当主のアドビス卿なんか、エルシーア海賊を退治した英雄ですからねぇ。だけど聞いた話によると、シャインさんは司法局の出頭に応じず、グラヴェール屋敷の裏にある岬から身を投げてしまったそうですぜ」


「……そんな、馬鹿な」


 ジャーヴィスは思わず頭を振った。何か悪い夢でも見ているようだった。


「私は海軍省通りをよく流してるんですが、何度かあの人――シャインさんをお屋敷まで乗せた事がありました。若くして亡くなった当主の奥方に面差しがよく似てて、軍人とは思えない穏やかなご気性の方でしたね。でも、あの『ノーブルブルーの悲劇』で、亡くなったラフェール提督の代わりにファスガード号の指揮を執り、海賊と戦った話を聞いた時は、海軍一家のグラヴェール家の血が確かにあの方にも流れているんだなと思いましたよ。それなのに……」


 御者はおもむろに上着のポケットを探ると白いハンカチを取り出して鼻に当てた。


「何かうしろめたいことでもあったんでしょうかね。船乗りが岬から身を投げるなんて、海神・青の女王の救いを永遠に失うことじゃないですか。あの岬の下は深くて潮も早く、遺体が見つかる可能性は限り無く低いそうです。私が知っているのはこんなところで……」

「……」


 ジャーヴィスは両腕を体に巻き付けるように組んで前方を睨み付けていた。

 どうして。

 どうして、私はもっと早く、アスラトルに来なかったのだろう。

 ミリアスが休暇を願い出た時。その理由を知った時に。


 胸に激しく後悔の念が込み上げる。その悔恨の思いで息が詰まりそうだ。

 ジャーヴィスは無意識のうちに唇をきつく噛みしめた。

 まさか、あのシャインがこんな結末を選ぶとは想像もしなかった。

 これでは自分に非があることを、自ら認めてしまうことと同じではないか。


 ジャーヴィスは重い息を吐いた。

 シャインは決して周りに悟られないようにしていた。あの事件を気にしていることを。

 今思えばそれを知っていたのはジャーヴィスだけだったのかもしれない。


 南の孤島での海戦より帰港して数日後。軍港に停泊しているロワールハイネス号に花屋の請求書が届いた。それはあの事件で亡くなった者のために、シャインが献花をした花代だった。


『大丈夫だから』

 献花を終えて船に戻った彼はそう言った。


 ジャーヴィスはシャインの言葉を信じた。信じるだけの強さが彼にある事を知っていたからだ。

 そして何も起きなければ、時が彼の傷ついた心をいつか癒してくれるだろうとも思っていたのに。

 あの言葉は偽りだったのか。

 そうとは思いたくない。


「未だに信じられない。あの人が死んだなんて」


 御者は肩を落とすジャーヴィスを慰めるように静かに言った。


「死とはそういうものかもしれないですぜ。ある日突然、いつもいた人間がいなくなっちまう。そしてその存在をいつの間にか忘れてしまう」


 ジャーヴィスを乗せた馬車は轍の音を響かせながら、照りつける太陽の下、アスラトル市街に向かって走って行った。



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