5-17 真実を求めて
ミリーは彼を――シャインを見たことがある。
今から約一年前。
海軍省が『ノーブルブルーの悲劇』について、調査を始めたとされた頃。
ミリーの勤める花屋「緑の籠」に、大量の黒百合の注文があった。
大聖堂に一番近い花屋なので、葬儀の時に使われる黒百合の注文は珍しくないが、問題なのはその数だった。アスラトルでは死者の数だけ蝋燭と黒百合を供える風習がある。だから一般的に黒百合は死者の棺の上に一輪だけ置かれるのだ。
「ミリー、悪いけど西市場に行って黒百合を集められるだけ集めてきて。私は問屋に直接お願いしてくるから」
花屋の娘であるアルメが、慌てたようにミリーにそう言ってきた。
「集めるって、どれだけ?」
「多ければ多いほどいいわ。あと五十本必要なのよ。それで花が集まったら大聖堂の祭壇に供えて頂戴。納期は今日の16時」
ミリーはアルメに言われた通り必要な数の黒百合を仕入れ、大聖堂の祭壇にそれを飾り付けた。
一度にこんなに沢山の黒百合を扱ったのは、約一ヵ月前、海軍のノーブルブルーの軍艦三隻が沈められた時に行われた合同葬以来だ。
吹き抜けになっている高い天井がある祭壇の下で、半円を描くように黒百合を飾り付け、ミリーはゆっくりと立ち上がった。祭壇までは聖堂の入口から一直線に通路が伸びており、その両側には金を貼付けた大きな燭台がいくつも置かれている。燭台には蝋燭がすでに灯をともされているが、その光を意識すればするほど祭壇の黒百合の影が際立って見えるのだった。
また何かの合同葬かしら。
黒百合と蝋燭は死者の数だけ供えられる。
尋常ではない花の数。蝋燭の揺れる黄金色の炎。ミリーは背中に薄ら寒さを感じて両腕を擦った。
その時、大聖堂の出入口の扉が小さなきしみ声を上げて開いた。
大理石の真っ白な床に長靴の音を響かせて、誰かが祭壇の方へやってくる。
ミリーは祭壇から離れて通路の脇に寄った。
聖堂の中に入ってきたのは、ただ一人。
すらりとした背の、海軍の若い軍人。
ミリーは彼が儀礼用の純白の正装姿であることに気付いた。
父や兄が同じような軍服を纏っていたのを見たことがあるからだ。
祭壇にやってきた若い軍人は、ミリーの姿をみとめると、淡い月影色の金髪を揺らして会釈した。
ミリーも黙って頭を下げた。
「あなたがひょっとして、花を御注文下さった方ですか」
「はい」
言葉少なく軍人の青年は返事をした。
ミリーは彼が祭壇に飾られているおびただしい数の黒百合に、静かに息を飲むのを見た。蝋燭の揺れる光のせいかもしれないが、その横顔は纏う純白の軍服と同じくらい色を失い、薄い唇は動揺を抑えているかのように引き締められ、白手袋をはめた左手がぐっと握りしめられている。
「ありがとうございます。花を用意して下さって」
抑揚を抑えた声で礼を述べた青年は、努めて平静を保っているようだった。職業柄、葬儀の場に立ち会うこともあるミリーにはそれがよくわかる。
青年はぎこちなく左手を伸ばして、近くの黒百合を一輪手にした。
「すみませんが、これから神官長に祈祷をお願いするので、花代の請求書は船の方に届けてもらえますか」
ミリーはうなずいた。
「わかりました。では、届け先の船のお名前は……」
大理石のように青ざめた顔を上げて、青年はミリーをじっと見つめた。金色の睫毛の下から覗く、アスラトルではまずみかけない――鮮やかな青緑の瞳にどきりとした。
そこには深い海の底のように幾重にも感情を沈み込ませたような、ミリーでは到底見透かすことのできない『何か』を感じたからだ。
青年と視線が交わったのはほんの一瞬だった。彼は美しい瞳を伏せた。そこに浮かぶ感情を、ミリーに読まれるのを避けるかのように。
「……船名はロワールハイネス号。軍港の第三突堤に停泊しています。俺の名前は、シャイン・グラヴェール。ロワールハイネス号の艦長です」
この時会った海軍の青年が、父と夫が死んだ『ノーブルブルーの悲劇』の関係者であることを、ミリーは約半年後に知る。
海軍省の出した最終報告書に、父アースシー・ルウムの代わりにファスガード号の指揮を執った人物として、彼の名前が記載されていた。
けれど海軍省の調書は端的で、必要最小限の内容しか公開されなかった。それに納得しない兄は、独自にこの事件を調べると言い出した。
そこでミリーとミリアスは、父の死のことを知っているであろうと思われるシャインと連絡を取ろうとしたが、休職中の彼はすでに異国へ航海に出た後だった。
兄ミリアスは彼が逃げたのだと憤慨した。あるいは、事件のことを遺族に語らないように、しばしアスラトルから離れるよう海軍省の圧力がかかったのではないかと言った。
ミリーには兄の憤りが理解できる。
海軍省は船が沈んだことのみだけを公開して、そこに至る原因については何も語ろうとしない。
二百人以上が亡くなった大きな事件なのだから、きっとアリスティド統括将自らが情報操作しているに違いない。兄はそう確信している。
「……」
路地から石畳の大通りに出たミリーは、花の入った籠を腕に抱えながら夕焼けの空を眺めた。
本当のことが知りたい。
何故あの人と父が死ななくてはならなかったのか。
遠い遠い海の彼方で、二人はどんな思いを抱いて死んでいったのだろうか。
目に滲んできた涙を右手で振り払い、ミリーは小さく嘆息した。
一年以上経った今頃になって、涙が出るなんて。
二人の訃報を聞いた時はただの一筋も流れ落ちなかったのに。
茜色の雲が、アスラトルの中心部に立つ大聖堂の丸天井をかすめるように、ゆっくりとたなびいている。
「えっ」
ミリーは人気もまばらな大聖堂の門扉をくぐる黒服の人物に目を奪われた。大聖堂はエルシーア国の守護神でもある、太陽を司るアルヴィーズを奉っているので、かの神が地平線に隠れてしまう日暮れに参拝する者はほとんどいない。だから余計に気になったのだが。
ミリーは駆け出していた。
後ろ姿しか見えなかったが、黒い服を纏ったその人物は確かに『彼』だとわかった。幼い娘が語った風貌とその姿は明らかに合致していた。
シャイン・グラヴェール。
彼こそが、ミリーとミリアスの抱く疑問に、唯一答えを提示できる人物だった。




