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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第5話 Judgment Day
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5-4 金属加工職人


 ◇◇◇


 ロワールハイネス号を後にしたシャインは、商人達が多くの店を構える<西区>の中心部に来ていた。東側はエルドロイン河が南北に街を貫き、一本の大きな石橋が架けられている。その橋を渡り終えて続く石畳は、四頭立ての馬車がすれ違える程大きな道である。


 この道を中心に、まるで魚の背骨のように、多くの横町が南北に走っている。これらの横町はそれぞれ扱う商品がわかるような名前がつけられていた。


 『貴金属通り』とか『ルゴール織り工房』とか『食器ならなんでもそろう道』とか、横道の入口にはそれぞれの看板がぶら下がっている。


 シャインは『職人通り』と黒いペンキで木樽になぐり書きされた通りに足を踏み入れた。

 建物同士が密集しあっているのと、すでに日暮れなので辺りは薄暗い。

 金属を金槌で叩く音が通りの前方から聞こえる。きっと金属細工師がまだがんばって仕事をしているのだろう。


 シャインは右手に持った黒い手提げ鞄を持ち直し、目的の店の看板を探した。

 内心祈りながら。


 その店は毎日開いているわけではない。そして営業時間もまちまちだった。

 午前中だけ営業していたり、あるいは夜遅くなってから一時間だけ開いていたりと、完全に店主の気分次第という客泣かせの店なのだ。


 シャインは思う。

 よくそれで商売が成り立つものだと。


 けれど『職人通り』とはその名の通り、『職人』という称号を持った凄腕の者たちが出している店で、彼等の作る樽だったり蹄鉄だったり剣なんかは、ほとんどがエルシーア王室御用達の品なのだ。


 王室、もしくは、その品質にこだわる金持ちが相手なら、営業時間なんかきめる必要はないなとシャインは考えた。彼等の受注だけで儲けはありそうだし、父アドビスもここに店を構える洋服店で服をあつらえたりしている。


「おっと。ここだ」


 シャインは真鍮の小さな看板に、こじんまりとした平たい青い帽子の絵が描かれた家の扉の前で足を止めた。店の扉はひし形の硝子がはまっていて、美しいレースのカーテンが下ろされている。やわらかいランプの灯がそこから溢れていた。


 シャインは安堵した。

 よかった、今日は営業中に来れたようだ。

 シャインは扉を軽く握りしめた拳で叩いた。


「フェイシェルさん。今晩は」

「……○△×~~!!」


 すると家の中から、首を締められかけたアヒルのような、妙な悲鳴が聞こえてくるではないか。


「フェイシェルさん、ど、どうかしましたか!」

 シャインはただ事ではないと思い、扉の真鍮の柄に手をかけてそれを思いっきり引っ張った。

「大丈夫ですか!?」

 扉はあっけなく開いたので、シャインの体は勢い余り前につんのめった。

 鞄の中にはこの工房から依頼された大事な商品が入っているので、こけて壊すなんてことになったら、たった四人で無理矢理ロワールハイネス号を動かして帰った航海の努力が水の泡だ。


 シャインは足を踏ん張って、なんとか倒れる事だけはまぬがれた。

 だが、目の前の光景にしばし言葉を失った。


 青味がかった石床の上に、エルシーア海軍の青い軍服を纏った二十代前半の青年が倒れていた。

 否、倒れていたという表現は少し微妙だ。

 彼の背中には、黒い深靴を履いた足がのっかっていて――いや、正確には踏まれていた。

 店主自らに。

 

「このマリエッタ様が鍛え上げた素晴らしい芸術作品を、たった1万リュールで買おうだなんて、なんて厚かましくて失礼で無礼で物の価値を見る目がないのかしら!」


 店の看板に描かれていたものと同じ、平たい青い帽子を斜めに被った二十代の若い女性は、右手に金槌を握りしめ、ぐりぐりと青年軍人の背中を踏み付けていた。


「そ、そこをなんとか! マリエッタ様!」

「ええい私の名前を気安く呼ばないで! 吐き気がするわ! 顔見知りだからって、金のない奴はお断りよ!」


 女性(店主)は、シャインが呆然と見る前で青年の襟首をつかみあげると、「ちょっとそこどいて」と言って、彼を店の外に放り捨てた。そして店の看板を金槌で叩き、閉店を宣言する美しい音色を響かせた後、ばたんと音を立てて扉を閉めた。

 白い作業用の手袋を外して、彼女は首にぶら下げていた鍵を取り出し、扉の錠を下ろした。


「ふう」

「……」


 シャインは彼女の邪魔にならないよう壁際に立っていた。


「ごめんなさい。すごい所、見られちゃった」


 先程の嵐のような剣幕はどこへやら。

 シャインに気付いた店主は、にこにこと満面の笑みを浮かべつつ、右手に持っていた金槌を近くの作業台に置いた。


「どうも、フェイシェルさん」

 彼女の機嫌を損ねないようシャインは挨拶した。


「マリエッタでいいわ。そんな……猛獣を前にしたように、怯えた顔で見ないでよ。グラヴェール船長」


 マリエッタは急に照れたように頬を染めた。どうやら先程の出来事が恥ずかしくなったらしい。


「誤解して欲しくないんだけど、私、いつもああじゃないのよ? あいつ――幼馴染みなんだけど、友達に自慢したくて、『金属加工職人』の称号を持つ私の作った短剣が欲しいってやってきたの。しかも、私が丸一ヵ月かけて作り上げた芸術品を、1万リュールに値切ろうとしたから、放り出してやったの」


 シャインは自分とほぼ同い年ぐらいの外見をしたマリエッタに深く頷いてみせた。


「マリエッタさんは金属職人の聖地、王都ミレンディルアで『金属加工』の『職人』の称号を最年少で獲得された方。俺だってあなたの鍛えた剣を手に入れたいと思った事がありますよ。でも――とても高価で手が届かない」


 シャインは鞄を両手に持ち愛想笑いを浮かべた。


「ありがとう。海軍一家のグラヴェール家の方に、私の作ったものを選んでもらえるなんて、とても光栄だわ」


 マリエッタは青い帽子の形を整え、嬉しそうに微笑すると一礼した。


「グラヴェール船長……いえ、シャインさん」


 マリエッタの琥珀色の瞳が鋭い光を帯びた。その視線は獲物を狙う雌豹のように、シャインの抱える鞄へと注がれている。


「は、はい」

「持ってきてくれたんでしょ。アレを」

「はい」

「お世辞はいいから、さっさと見せて」


 マリエッタは金属加工用の道具を箱にしまい、作業台の上を片付けた。

 シャインは例の黒い鞄から、木箱を取り出した。大きさは大人の握り拳ぐらいだろうか。

 マリエッタの強い視線に後押しされながら、シャインは木箱の蓋を止めていた紐を解き、箱を開けてみせた。


「うっわ~、本物だわ!!」


 マリエッタがまるで口付けでもするかのように身を屈め、箱の中に納められていた鉱物の塊を手にして覗き込む。


「『桃色白金』――すごい~本当に桃色の金よ! エルシーアでは絶対に採れない石。真珠が溶けたような滑らかな光沢。なんて美しいのかしら」


 マリエッタは惚れ惚れと鉱石を見つめ続けている。


「ご満足いただけましたか」

「もちろん。『行けない海はない』と豪語する、さっすがグラヴェール船長の船だわ!」


 シャインは脳内でそのフレーズはどこから湧いたものだろうかと思った。

 ヴィズルの横顔が浮かんだが、今はそれを無視することにした。


「『桃色白金』の入手は殆ど諦めてたの。どの商船にも声かけても、行先が『極東海』の先の島、って聞いただけで断られていたから」


 マリエッタの幸福に喜ぶ笑顔を見ながら、シャインは内心自分の無知さを今だからこそ笑う事ができた。通常の船ならきっとエルシーアの遥か東。未知の海域とも言われる『極東海』へ往復三か月で帰ってくることはできなかっただろう。

 『船の精霊』――ロワールがいるからこそ、生きて帰ってこられたのだと思う。

 そしてシャインがこの仕事を受けたのは、まさにロワールハイネス号の『船鐘』にまつわる情報を得るためだった。


「マリエッタさん。それでは俺との約束は覚えていらっしゃいますか?」

 ぴくりとマリエッタの頬が引きつる。


「覚えているわ」

「じゃ、俺の方の本題に入っても?」

「いいわよ。じゃ、船長の依頼の『一つ目』の方からね」




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