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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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【第4話・後日談】 ジャーヴィスの長い一日(5)

「大事な話ーー? あのジャーヴィス艦長自らが、この、オレに?」

 ええい、にやついた笑みを浮かべたままこちらを見るな。

 そのもみ手もうっとおしい。

「ああ。クラウスに聞いたんだが、お前、三日前にロワールハイネス号を、ジェミナ・クラス東の沖合いで見たそうだな?」

「ええ見ましたぜ。相変わらず、いい船影をしていて、俺も彼女みたいな船が欲しいですぜ~~」

 私は内心複雑な思いを抱きながら、シルフィードへ話しかけた。


「その時の状況を教えてほしいんだ。できるだけ詳しく」

 するとシルフィードは唇に浮かべていた笑みを消失させ、太い二の腕をえらそうに胸の前で組むと、私の顔をじっとみた。


「見たんだろう? シルフィード」

「――みましたけどねぇ……」

「どうした。何を勿体ぶっている?」

「いやぁ、そりゃお話してもいいんですけど。俺としては、艦長とお話している間、貴重な営業時間を割かれてしまいますんで」

「――何が言いたい?」

 シルフィードが口をすぼめた仏頂面のまま、ちらりと私をみやった。

「この塩辛を、艦長が30個ほど買ってくれたら、一切合切しゃべりますけど」


 こいつ――!


 私は思わず両手を握りしめて、シルフィードをにらみつけていた。


「あ、なんならジャーヴィス艦長自ら、売るのを手伝って下さってもいいですぜ? 今日は1個も売れなくて困ってるんですよ~~」

「シルフィード!!」

「じゃ、そういうことで、俺は商売を続けさせてもらいます。休みも今夜限りで、俺もいろいろと忙しいんですよ、ジャーヴィス艦長」


 時間がないのは私も同じだ。

 何しろリーザに22時までに帰船することを強く言われている。

 ああ。怒りで頭の中が真っ白になりそうだ。

 私は額を押さえ、空いた左手で航海服のポケットを探った。


「わかった。買えばいいんだろ! その塩辛50個、私が全部買ってやるから、さっさとロワールハイネス号の事を教えろーー!!」

 私はシルフィードの顔面に、1万リュール札を5枚叩き付けた。



  ◇




 ――にこにこ。にこにこ。

 満面の笑みをたたえながらシルフィードが口を開いた。


「ロワールハイネス号の事を話す前に教えて下さいよ。グラヴェール船長の身に何かあったんですかい?」


 実に面白くない。

 私の今月分の小遣いの半分以上が、腐りかけた塩辛50個と引き換えになるなんて。

 しかし今はシルフィードの握っている情報が必要だ。

 なにしろロワールハイネス号の手がかりは、一つも得られていないのだから。

 それに、ロワールハイネス号が見つかったら、その時にヴィズルに請求すればいいだろう。

 ――この塩辛の代金は!!


「それが、驚くなよ? どうも『また』、グラヴェール船長が行方不明になったらしいんだ。お前が三日前にロワールハイネス号を本当に見たのなら、ジェミナ・クラスへもう入港しているはずなのに、その姿がない」

 シルフィードがうつむいて、ゆっくりと息を吐く。

「……『また』ですかい。そいつは気になりますねぇ」

 塩辛を売り切ったシルフィードは屋台をとっとと畳んで、机代わりにしていた木箱の上に腰を下ろしている。


「お前がロワールハイネス号を見た時、どこか船に怪しいところはなかったか? ジェミナ・クラスへ入港する風に見えたか? どんな些細なことでもいいから、気になったところがあれば教えてくれ」

 シルフィードが頬杖をついたまま、再び息を吐く。


「……俺達はジェミナ・クラスへ入港する直前で、ロワールハイネス号とは結構距離が離れてました。けど彼女だって一発でわかりましたぜ。船体をエルシーアの海と同じような色に塗ってる三本マストのスクーナーは、彼女ぐらいなもんだ」

「ああ」


 私はシルフィ-ドの言う事に同意した。

 ロワールハイネス号はああ見えても、随分金をかけている船なのだ。

 同じ等級の船にファラグレール号があるが、彼女の船体は木造でその上から白い塗料を塗っている。

 しかしロワールハイネス号は木造の船体の上に、薄い銅板を張って強度をあげているのだ。これはグラヴェール船長個人の出資で。

 ま、色も彼の趣味なのだろうが、それを私がとやかく言ったところでどうしようもない。


「それで?」

「あ、ああ、ロワールハイネス号ですけど、彼女、一時停船をしてました。裏帆をうたせてましたから。それから……む、むむむむむ……」

「どうした? シルフィード」

 シルフィードは急に眉間にしわを寄せ、口をへの字にゆがめてうなっていた。

「船がいました。ロワールハイネス号の右舷側に! そう、二本マストのスクーナー船が寄り添うように浮かんでました。俺が見たのは、これだけですぜ、ジャーヴィス艦長」


 意味ありげにシルフィードが私の顔をのぞきこんでいる。

 お調子者の奴らしくなく、あまりにも真剣に見つめてくるので、私は思わず口を開いた。


「それが、どうした?」

「――どうしたって、ジャーヴィス艦長」

 シルフィードがのそりと木箱から立ち上がった。

「なんか……こう、ひっかかりませんか? 俺のカン違いかもしれませんけど」

「何に……?」

 シルフィードの暑苦しい顔を見つめながら、私は惚けたようにつぶやいた。


「ああ、もう。ジャーヴィス艦長、しっかりしてくださいよ! 誰がどう考えたって、ロワールハイネス号の隣に停船している、不審なスクーナー船が気になるでしょうがっ!」

「……」

 シルフィードにそう言われて、私の脳裏にはとある人物の顔が浮かんできた。

「なんだか、嫌な予感がするんだがなぁ……シルフィード」

 どきりと胸が疼いた。

 『二本マストのスクーナー船』。

 それに何やらきな臭いものを感じずにはいられない。

 私がため息混じりにそう言うと、シルフィードも同様に首をひねってうつむいている。


「ある船を思い出しますよ。俺は忘れようと努力しましたけどね。だけど、あの分厚い唇や、くるくる巻いた髪型とか、こう……目の前に今ちらついてるんですよ。ジャーヴィス艦長」

 私はゆっくりとうなずいた。

 シルフィードのたれた緑色の瞳が、まるで同情するような光をたたえている。


「まさかストームの奴。海賊稼業をまた始めたのか――?」


 ジェミナ・クラス付近を航行する船は多国籍で、その数も多い。

 二本マストのスクーナー船だって、商船や軍船や漁船と、それこそ星の数ぐらいいる。

 けれど、ロワールハイネス号と因縁のある二本マストのスクーナー船は、エルシーア海広しといっても、海賊ストームの乗るあの船しかない。


「ストームは確か……三ヵ月以上も前に、保釈金を払って留置所を出ているんですよね」

 シルフィードの言葉に私は深くうなずいた。

「ああ。その後の足取りは私も知らない。でもあの女は、海賊稼業をしていたとしても、今は一人でやっているはずだ。エルシーア海賊はあの海戦で、この海を去っていったんだから……」

 ふと三ヵ月前の海戦が思い出された。


「でもですね、ジャーヴィス艦長。俺は確かに二本マストのスクーナーは見たが、それがストームの船だった、って言える自信はありませんぜ。なんせ、距離があったし、ストームの船は拿捕しちまったから、ロワールハイネス号の隣にいたのはあの船じゃねぇ」

 確かにシルフィードの言う通りだ。

 ストームの船は海軍が没収した。彼女の身柄を捕らえた時に。

 ストームが海賊稼業をしていたとしても、また同型のスクーナー船に乗っているとは限らない。

 でも。


「……ストームの所へ行ってみてもいいかもしれん」

「なっ、なんですってー?」

 シルフィードの奴、すっかり顔が青くなってしまっている。

 無理もない。奴は一度ストーム一味につかまった事があるから、その時受けた仕打ちを思い出したのだろう。


「ジャーヴィス艦長。悪い事はいわねぇ。止した方がいい!! それにこんなに暗くなってからルシータ通りへ行くつもりですかい!?」

 私は心を決めていた。

 あてが外れるかもしれないが、ストームなら他の国の海賊とも交流があって、ロワールハイネス号のことを知っているかもしれない。


「――ルシータ通りは確かに治安の悪い所だが、高級娼館が軒を連ね、海軍の将官達や、上流階級の貴族が出入りしている店もあるそうだ。だから、あの場所を『おめこぼし』しているんだって、噂できいたことがある。だから普通に歩いている限りは大丈夫だろう」

「ジャーヴィス艦長……」

 私は絶句して口を開けたまま、こちらを見るシルフィードの襟首をつかんだ。


「ストームを誘き寄せるために、昔『海賊ジャヴィール』の噂を酒場で言いふらしたことがあったが、その店は何という名前だ?」

「えーと……『九匹の猫』亭だったかなぁ?」

「九匹の猫? いいや、そんな可愛い感じじゃないはずだ!」

 私がそう突っ込むと、シルフィードは気まずそうに微笑した。

「失礼いたしやした。『九尾の猫』亭でした」

「『九尾の猫』亭か。なんとも、海軍のお偉方が好みそうな名前じゃないか」


 『九尾の猫』とは、九本のロープを一つに束ね、作った鞭の通称だ。

 この鞭は、船上で軍規違反等をした者へ実施される、鞭打ち刑の時に使用される。なんとも野蛮だが、船の上では規律が守られなければ、ルールを破る者を放置すれば、あっという間に無法地帯と化してしまう。

 昔は些細な罪でもこの鞭打ち刑を実施する、サディスティックな艦長もいたそうだ。

 私の船では、こういう野蛮な刑罰を実施することがないよう、水兵達とよい信頼関係を築きたいものだ。難しいが。


 私はシルフィードから店への道順を教わり、彼と別れた。

 あの腐りかけた50個の塩辛は、ゴミ箱に捨てるよう指示して。



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