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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-98 新たなる船出

 ジャーヴィスとリーザの結婚式が済んでから、シャインはロワールハイネス号を商港へと移した。

 あの南の島の海戦より一ケ月以上がすぎ去っていた。

 右手首の骨折もすっかり完治したので、シャインはそろそろ出港の準備を始める事にしたのだ。


 リオーネはそんなに急いで海に出る必要はないだろうとシャインを諌めた。

 だがシャインは真面目な顔でリオーネに言った。

「ロワールが船で待っているんです。いつになったら航海に出るのかと」


 ロワールハイネス号は海軍から借りているが、人員まで借りるわけにはいかない。

 そして情報を求めてあちこち航海するのだから、何か積荷を積んで交易した方がいいに決まっている。

 商船なら交易許可書があれば友好国への港の出入りが優遇されるし身元の保証にもなる。

 

 海軍を辞めて商船に乗る未来を考えたことがある。

 それが現実となって目の前に現れた。

 軍籍は残してあるが、一年後、自分がどちらの人生を選択するか。

 或いはそれ以外の選択になるのだろうか。

 何はともあれ、『船鐘』からロワールを救い出し、悪しきブルーエイジの存在を無にする方法を探し出さなければならない。

 

 シャインは貯金で個人の海運業の事業を興し、その準備に忙しい毎日を送っていた。

 ロワールハイネス号は中型のスクーナー船なので、最低15名程で操船する事が可能だ。足はべらぼうに早いし、そこそこ船倉に荷物を積む事もできる。

 船を動かす水夫の手配は船匠のホープが相談に乗ってくれたので、何とか人数を揃えることができた。

 それから元ロワール号の水兵だった、見張りのエリックが船に残ると言ってくれた。


「いろんな海に行ってみたいんです。艦長、いえ、シャインさん。あなたの船は、自由な海を自由に行くことができるんだから! 俺も連れて行って下さい。役に立ってみせます。それに俺も操船を覚えたいし……」

 シャインはエリックの乗船を二つ返事で了解した。彼のような有能でいい動きをする熟練水夫がいれば、他の水夫たちにとっても良い刺激になる。

 船と水夫が揃えば、後は儲けが出そうな積荷を探すだけだ。

 水夫たちも給金が払えなければ去ってしまう。だから交易で利益を上げなければならない。

 だが全くの素人であるシャインには、何をどこに運べば高く売れるかその知識が乏しかった。

 そして肝心の『船鐘』についての情報も皆無に等しかった。

 ロワール自身も自分がどれくらい前から『船鐘』にいたのか覚えていないからだ。

 

 こういう場合は、商船の船長達が集まる酒場で情報収集するに限る。情報を制する者が物事を制するということをシャインは知っている。人々の噂話を聴くことは決して無益ではない。


 シャインは一人、夕暮れの問屋街を歩いていた。すでに取引の時間は終了しているため、人影はまばらで閑散としている。シャインの目的は問屋街の裏手にある盛り場だ。

 その時だった。


「誰かを探しているのかい?」

 

 シャインは半ば驚きながら振り返った。

 声を掛けられるまで人の気配に気付かなかった。

 シャインは男を凝視した。只者ではないと思いながら――。


 男は二十代後半でシャインより少し背が高く肌の色が浅黒かった。がっちりした体型で、シャインと同じような綿の白いシャツに黒のズポン、黒のブ-ツを履いている。

 肩を超す程度の長さの黒髪に、夜光石のような深い青色の瞳が精悍な印象を与える年上の青年。

 シャインは息を飲んで青年を凝視した。


「なっ……ヴィズル!?」

 青年――ヴィズルは、大きめの口を歪ませて人懐こいが不敵な笑みを浮かべた。

「やっぱりお前かシャイン。こんな所で何やってんだよ。しかもその格好。商船の船長にでもなったのか?」

 青年は間違いなくヴィズルだった。

 シャインは軍服ではなく、濃緑の上着の襟を正して、意味ありげにヴィズルを眺めた。


「ああ、海軍はちょっと休職中なんだ。一年休んでいいらしいから、商船の真似事をしてみようと思って。君こそ何でここに? ひょっとして、またどこかの船を襲おうと思っているんじゃないだろうね?」

 ヴィズルは肩をすぼめて首を振った。

「俺も海賊は廃業した。いや、船長をクビになったというか。ま、そんな話はどうでもいい。今は船を探しているんだよ」

「船って、航海士の職かい?」

「いや違う。足の速い船だ。いい儲け話があるんだ」

 シャインは思わずヴィズルの話に引き込まれた。

「俺は今、ロワールハイネス号に乗せる積荷を探しているんだ」

「何? ロワールがいるのか。そいつはいいぜ! お前の船に行こうじゃないか。詳細は歩きながら話せる」


 シャインとヴィズルは連れだって、問屋街から十分ほどかかる商港に向かって歩き出した。周囲は夕闇が迫り、露店商や屋台があちこち呼び込みをする声が響いている。


「積荷はジェミナ・クラスで積むのさ。東方連国のレディアスって街は今、エルシーアの工房で作られる金細工の装飾品が流行って、飛ぶように売れているんだ。俺はレディアスの宝石商五社と契約してるんだが、できたらもう一隻足の早い船で多くの積荷を積んで運びたいと思っている。ロワールハイネス号なら文句ないぜ。しかもお前がいるんなら俺の船についてこれるだろう」


「儲けはどれくらいだ」

 ヴィズルはふふんと鼻で笑って片手を広げてみせた。

「5万リュール?」

 シャインは眉間をしかめて答えた。ヴィズルがげらげらと笑ってみせる。

「500万だ。破格の運賃だろ? だが積荷の価値はたった100万リュール程だ。いかにレディアスの宝石商があこぎな商売をやってるか……わからんでもないが、どうだ、シャイン。俺と組むか? ちゃんと契約書を作って、報酬の取り分は二分するが」


 シャインは差し出されたヴィズルの手を見つめながら思案した。

 あまりににも話が上手すぎるような気がしないでもない。

 けれどヴィズルは先の海戦でシャインを助けてくれた。そのまま逃げてしまうことも可能だったのに、自ら痛手を負うリスクを覚悟して、ウインガ-ド号に乗り込んでくれた。

 シャインは差し出されたヴィズルの手を握りしめた。


「水夫はそろっている。いつでも出港できるよ」

「ようし、そうこなくてはな」

 ヴィズルはがっちりとシャインと握手を交した。


「出港は今夜。上げ潮にのってジェミナ・クラスへ向かうぜ。俺の船はグローリア号だ。お前の船と同じスクーナー船だが、ロワールより断然速いぜ」

 シャインはヴィズルの手を握りしめながら、負けじと不敵な笑みを浮かべて言い返した。

「そうかい? ロワールは海に出たがっているからね。彼女に全てを任せたら、おっそろしく速いよ」

 ぎりぎりとお互い握りしめる手に力が入る。

 ヴィズルは口元を歪ませながら薄笑いを続け、シャインもよく切れる短剣のように冷たい微笑を目元にたたえながらしばし睨み合う。


 握りしめた手を先に解いたのはヴィズルの方だった。

 ヴィズルは人差し指をシャインに突き付けて声高らかに言い放った。

「こうなったら勝負しようじゃないか、シャイン! どちらがジェミナ・クラスへ早く着くか。早く着いた方が、儲けの取り分が3分の2で、負けた方が3分の1だ」

 シャインは了承した印にうなずいてみせた。

「望む所だ。こうなったら、しっかり稼がせてもらうからね」

 にやりとヴィズルがうれしそうに笑ってみせた。

「ようし、じゃ今から競争開始だ。こんなはずじゃなかったって、お前に絶対言わせてやるからな!」

 恐らく面が割れないように髪を黒く染めているのだろう。それを翻してヴィズルは商港の右手へと駆け出した。

「それは君の方だよ!」

 シャインは反対の左手へと駆け出した。


 すっかり夜の帳が降りた闇の中。突堤に停泊している船が、めいめい白い停泊灯に明かりをつけだした。

 ここから四隻走り抜けた先に、ロワールハイネス号が停泊している。

 積荷さえ手配できたらいつでも出港できるよう、食料などの積み込みは昨日のうちに終わらせてあるのだ。

 後はロワールと乗組員に事情を話して、ヴィズルの船より早くジェミナ・クラスへたどりつけばいい。

 シャインは頭の中で、今夜の上げ潮は何時だろうかと考えた。

 ロワ-ルハイネス号のほっそりとした船体が見えてきて、シャインは急いでタラップを駆け上がると、舷側でたたずんでいた水夫達に声をかけた。

「すぐさまジェミナ・クラスへ向けて出港する。この上げ潮にのって外海に出るぞ!」

「い、今からですかい! 船長」

 泡を食った水夫達とエリックが、信じられないといった形相でシャインを見た。


「事情は外海に出たら説明する。早く係留索を解いて錨を上げてくれ。それからロワール!」

 シャインは数歩で後部甲板へ上がる階段を駆け上がった。

 そこにはミズンマストの白い停泊灯に照らされて、舵輪の前でたたずんでいる船の精霊の姿があった。

 ロワールはさっと長い紅髪を手に絡ませてそれを振り払うと、水色の瞳を細めて待ってましたといわんばかりに満面の笑みを浮かべた。


「私の準備はできてるわ。さ、舵輪を握って、シャイン。あなたの望むまま、私は海原を駆けてあげる。どこまでも……あなたと一緒に」

 シャインはロワールにうなずいてみせた。

 金の覆いが被せられた舵輪の柄に右手をかけ、外海へと続く暗い海に視線を向ける。


「錨を上げました! グラヴェール船長」

 船首で巻上げ機を動かしているエリックが振り向いて叫んだ。

 ロワールが港から出るために、船をゆっくりと前進させる。ロワールハイネス号は海面を滑りながら外海に向かって動きだした。

『君にはグローリアがいるように、俺にはロワールがついててくれる』

「だから君には絶対負けないよ、ヴィズル」

「えっ、今何か言った? シャイン」

 船を前進させていたロワールが、不意に振り向いて怪訝な顔をした。

 シャインは頬に風を感じながら首を振った。

「何でもない。さあ、行こう!」

 ロワールハイネス号の向かう暗い海の上空には、金の月ドゥリンと銀の月ソリンがひっそりと昇り、静かに降り注ぐ月光が、水面をきらきらと青白く輝かせていた。




【第4話】碧海の彼方(完)



              ・・・第4話・後日談へと続く。







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