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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
201/332

4-89 水葬

 鮮やかな碧海が黄昏へと色を変える頃。その島は元の静寂を取り戻していた。

 周囲に響くのは風に吹かれてざわめく木々の葉と白い渚を洗う波の音のみ。

 それらに耳を傾ける限り、日中この海で海戦が行われたという印象は全く感じられない。

 けれど砂浜にうち上げられたおびただしい数の木材の破片や、岬の突端に浮かんでいる船――エアリエル号と拿捕されたウインガード号の傷ついた船体が、海戦の名残りを今も色濃く見せつけている。




 シャインはふと目を覚ました。

 そしてアドビスの枕元に座り込んだ姿勢で眠り込んでいた事に気付いた。

 顔を上げてサロンの中を見渡す。外の光は弱くなり、周囲が薄暗くなったのを感じる。

 その中で唯一の音――アドビスの小さな寝息が聞こえた。

 右肩が重い。

 シャインは肩の上に載せられていたアドビスの左手に気付いた。

 ふと思う。

 ――夢じゃない。

 アドビスとの対話は現実にあったことだと。この左手が教えてくれている。

 シャインは肩からアドビスの手をそっと外し、体の脇にそれを置いてから、音を立てないように気をつけて立ち上がった。


「……」

 

 一瞬、眩暈がした。

 シャインは立ち上がったまま目を閉じ、左手を額に当てそのままじっとしていた。

 三、四時間ほど眠って休んだおかげだろう。今は熱っぽさを感じない。

 そっと目を再び開けて部屋の中を見渡す。

 大丈夫そうだ。

 シャインは左手に母親の形見の指輪を握りしめていたことに気付き、それをはめてから、寝台で眠っているアドビスの顔を眺めた。

 こちらも大丈夫そうだ。

 アドビスの傷の具合を軍医に確認しなければならないが、容体は落ち着いているように見える。

 シャインはアドビスの左手を布団の中に入れてやってから、扉に近付き部屋を出た。

 エアリエル号の第二甲板に人影はなかった。だが前方の上甲板へ昇る昇降口の階段から、多くの人間がたてる足音が聞こえてくる。


 シャインは航海服の襟元を正し階段を上がった。

 エアリエル号の後部甲板に出ると、そこには島から木を切り出して作られた、急ごしらえのミズンマストが立っていた。予備の円材や帆桁も設置されているが、帆がまだ取り付けられていない。

 ピーピーと銀の呼び子を吹きながら、青い上着を着た掌帆長とおぼしき人物が、水兵達にメインマストの方へ集まるよう怒鳴る声がする。

 その声を聞きながら、シャインは中ほどにあるメインマスト横の左舷側の甲板に、帆布でくるまれた白い塊が幾つもあるのを黙ったまま見つめた。

 再び胃が締め付けられるような、重苦しい気持ちが込み上げてくる。

 全員が甲板に召集されている訳がわかった。

 これから死者を海神・青の女王の手に委ねる、水葬式が執り行われるのだ。


「グラヴェール艦長」

「シャイン」

 ジャーヴィスとリオーネの声だ。シャインは振り返り、二人の姿をみとめた。

 船の中央部――メインマストの前の空間には、軍帽を被り正装した中尉のサーブルやリュイットが立っていて、向かい側の右舷舷側には、水色の制服に長銃を携えた海兵隊員が整列している。

 シャインは左舷舷側の階段の近くにいる、ジャーヴィスへ歩み寄った。

「隣にいていいかい?」

「構いませんが……」

 ジャーヴィスの瞳が細められた。感心しないという風に。

「いさせてくれ。式が終わったら部屋に戻る」

「わかりました」

 ジャーヴィスは仕方なくうなずいて、体を右側にずらした。シャインがジャーヴィスとリオーネの間にそ体を滑らせると、今までざわめいていた甲板が静かになった。


 ジャーヴィスが立っている隣の階段から、紺色の軍服に金の肩章を光らせ、皮表紙のついた一冊の本を手にした、エアリエル号艦長ブランニルが、副長カーライトを従えて下りてきた。二人は階段の前に立ち、メインマストの前に集まっている水兵達と、舷側の前に立つ士官達をぐるりと見回した。


「全員、艦長に注目」

 船首から船尾まで良く通りそうな太い声で、ぴりっとした空気を漂わせながら、カーライトが角張った顔を水兵達に向ける。

 ブランニルが手にしているのは、エルシーア正教会が配付している聖典だ。

 この世界を創世した神々の話と教えが明記されている。

 神官が乗っていない船では、大抵船長や艦長がそれを兼任するので、聖典は必ず船に積まれているのだ。


 ブランニルは白い手袋をはめた手で聖典を開き、流々とした抑揚で祈りの言葉を唱えはじめた。そしてエアリエル号の船首にある鐘楼では、士官候補生が規則正しく船鐘を鳴らし、その深い鐘の調べが戦死者の魂を鎮めていく。

 甲板で整列している全ての人間達は、頭を垂れて今はただ祈った。


 青き御方よ、エルシーアを守り、恵みを授ける美しき大海を統べる御柱よ

 我らの同胞をその御手に委ねます

 どうか御身の優しきかいなに、我が同胞を抱きたまえ

 その冷たき優しき腕で、同胞たちにとこしえの安息と静寂を与えたまえ

 そして御身の御手より、再び故郷の海へと彼等の魂を運びたまえ

 再び帰らせたまえ 我が愛しき同胞たちを

 青き御方よ、青の女王よ

 御身の統べる海より我らの元へ、再び帰らせたまえ……



 ブランニルが聖典を閉じると、カーライトがこの海戦で死んだ者の名前を一人ずつ読み上げ、舷側から帆布にくるまれた遺体が海に沈められた。

 エアリエル号の死者は水兵と海兵隊を合わせて23名。海賊は18名。ウインガード号ではただ1人。

「オーリン・ツヴァイス中将。ジェミナ・クラス軍港司令官」

 ツヴァイスの名前が読み上げられた時、シャインの隣に立っていたリオーネが驚いたように体を強ばらせた。それを一瞥してシャインは、黙ったままツヴァイスの水葬をまばたきせずに見つめていた。


『君は、幸せになりたまえ。リュイーシャの分まで、必ず』

 ツヴァイスの声がまだ耳にこびりついている。

 彼のやり方は間違っていたが、彼は彼なりにリュイーシャの事を愛していたのだ。そしてシャインを自分の計画に利用しつつも、最後はその命を守ろうとした。

 大きな理由は自分がリュイーシャの忘れ形見だったせいだろうが、彼の思いを考えると憐憫の情が込み上げてくる。

 

「シャイン」

 リオーネがシャインの肩に手を置いた。

 柔らかい白金の髪を揺らし、心配そうにシャインの顔を覗き込む。

 シャインは物思いから我に返った。甲板はすでに解散が命じられて、ミズンマストの根元には船匠と掌帆長が再び修理を始めようと、床に置いてある道具箱の蓋を開けて工具を取り出している。


「大丈夫です。行きましょう」

 リオーネにそう微笑みかけ、シャインは顔をあげた。すでに日が暮れた宵闇の中、エアリエル号の右舷側に、少し離れた所に浮かんでいるロワールハイネス号の姿が見えた。

 シャインは当然のように、ロワールの姿を探した。

 いた。

 後部甲板の船縁の上に紅髪をなびかせて佇むロワールがいた。シャインがこちらを見ている事に気付いたロワールは、眩しい笑顔を浮かべて手を振った。

 シャインもつられて左手を上げた。心の中にロワールの思いがじわりと満ちていくのがわかる。

 ロワールはいつもそうやって、シャインの事を優しい思いで包んでくれた。

 一途に純粋に。

 そんな彼女は何者にも代えられない大切な者なのだ。

 シャインは改めてそれを深く心に刻み付けた。


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