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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-83 リュイーシャの想い

 シャインは口元をひきしめ、静かに首を振った。

 はっとツヴァイスが息を飲む。シャインに向かって差し出していた手を、どうするべきか迷うように一瞬握りしめ、それを緩慢な動作で下に下ろした。


「俺は、閣下のそのお考えを改めていただく為に、ここに来ました」

「……何?」

 ツヴァイスは訳が分からないというふうに、小首をかしげた。小首をかしげながらも、シャインの言う事を面白がるように口角をあげる。


「ツヴァイス司令。あなたはティレグを上手く説き伏せて、エアリエル号と戦わせました。ティレグがグラヴェール中将に勝てば、あなたは海軍として堂々と海賊退治の名目の下、ティレグを殺すつもりでしょう。もしもティレグが負ければ、それでもエアリエル号は無傷ではないから、これだけの火力を持つウインガード号なら沈める事ができる。違いますか?」

 ツヴァイスが黙ったまま目を細めた。物静かで穏やかそうな表情がにわかに陰っていく。

 シャインはさらに言葉を続けた。そんなツヴァイスに自分の考えを確信しながら。


「あなたは自らの保身のために――海軍省にあなたのやった裏切り行為が露見しないよう、あの人もティレグもこの海で葬るつもりなのでしょう?」

 しばしツヴァイスとシャインは、お互いの腹の中を探るように口を閉じて、言葉を発しなかった。一瞬だけ訪れた静けさの中で、さわやかな南風が青緑の海面をそよぎ、ウインガード号の白い帆をはためかせる、ぱたぱたという音だけが辺りに響いていた。

 やがてその音にまじって、くっくっとツヴァイスが小さな笑い声をたてた。

 可笑しくてたまらないように。

 口元を押さえ、肩を小刻みに震わせる。


「だから君はのこのこと……。まさか、あの連中の命乞いの為に、ここへ一人で来たというのかね?」

 シャインはうなずいた。

「ええ。閣下のやろうとしていることは、ただの殺戮です。どうして――」

 波がうねり船が揺れたので、シャインはよろめいた体を支えるために、咄嗟に雑用艇のマストに左手を伸ばしてつかまった。

 被さってきた束ねていない金髪を振り上げ、ツヴァイスの方に顔を向ける。

 薄笑いを浮かべているツヴァイスを説得できるかどうか、そんなことはわからなかった。

 でも自分の思いを彼にぶつけたかった。

 それを聞き入れてもらえなくてもいい。最悪、エアリエル号が離脱するなり、せめて一方的にツヴァイスにやられないよう、戦闘配備につけられる時間を稼げれば、自分の役目は果たされる。


「ツヴァイス司令。どうして今更多くの人達の命を奪う必要があるのです? あなたの正体を知る者は、あの人とヴィズル、そしてティレグとこの俺ぐらいなものでしょう。違いますか」

 ツヴァイスは微笑した。

「ああ……違わないとも。だがな、シャイン。私と取引しようなんて、試みるだけ無駄なことだ。私の正体を海軍省に、たれ込みたければそうしたまえ」

「……なっ……」

 シャインは胸の内をツヴァイスに看破されて息を詰めた。

 ツヴァイスはシャインを見下ろしながら腕を組み、どうしたものかといわんばかりに首を振った。


「確かに君が一生口をつぐんでいれば、私はこれからも海軍の軍人として、安穏とした生活を送る事ができるだろう。だが目的が達せられようとしている今、私にはもう海軍での人生など必要無い。私が海軍に留まっていたのは、あくまでもアドビスに対抗できるだけの権力と船を持つための、かりそめのもの。君の母上の心を傷つけ、あまつさえその命を奪った、あの男さえ地獄に送る事ができれば、私はそれで満足なのだ」

 ツヴァイスの言葉を聞いて、シャインはたまらなく心苦しさを覚えた。

 怒りにも似たその感情の所為で、頬がぴくぴくと引きつってくる。


「ツヴァイス司令。お言葉ですが……あなたのその考えは間違っています」

「何だと?」

 ツヴァイスが目を見開いてシャインを見つめた。

「閣下が友人として母のことを心配し、気にかけて下さった事は理解できます。うれしくも思います。ですが、母のあの人に対する想いをわん曲し、それをアドビス・グラヴェールを憎む理由にする、閣下のお心が間違っています」

「私が……間違っている?」

「はい」

 シャインは言葉少なく同意した。


「ツヴァイス司令。俺は息子として、母の心を苦しめる、あなたの行為を正さねばなりません。母は復讐など望んでいません。こんなに多くの人達の血を流してまで。だって、母はあの人を憎むどころか本当に愛していた。愛していたから、術者の禁忌を犯して自らの命を差し出し、あの人を救ったのです。そう俺に話して下さったのは、あなたではありませんか。ツヴァイス司令!」

 ツヴァイスは思わず船縁に手をかけ、それをしっかと握りしめた。唇をきつくきつく噛みしめ、虚ろな眼でシャインを睨んだ。


「俺より閣下の方が、ずっと母の気持ちをご存知のはずです。閣下が二十年ぶりに伝えて下さった母の遺言にも、あの人への思いを感じる事ができます。お忘れではないでしょう?」

 ツヴァイスは相変わらず微動だにせずシャインを見つめたままだ。

 シャインはその視線を静かに受け止め、リュイーシャの残した言葉をつぶやいた。


『オーリン、あなたは本当に私に良くしてくれた。だから、伝えてほしいの』

『アドビス様と私の小さなシャインへ、一緒にいられなくてごめんなさい、と。――そう伝えて下さい』



「……くっ……!」

 ツヴァイスが身を振りほどくように船縁から離れ、シャインから目を背けた。

 額に右手を当てて、高ぶった感情を抑え込むように空いた左手で肩を抱く。

「叔父上、叔父上!」

 シャインとのやり取りにみかねて、後ろで控えていた艦長のウェルツがツヴァイスの傍らへそっと近寄った。小声で話しかける。

「しっかりして下さい。いつまでこんな話を続けるんですか? エアリエル号が向きを変えてこちらへ動きだしましたぞ。それに、グローリアス号も近付いてきて、我々の背後に回ろうとしております」

 ツヴァイスは額に手を当てて、流れ落ちる濃い金髪を揺らしながら顔を上げると、ウェルツに向かって怒鳴りつけた。

「うるさい! 私が命じるまで待機だと言っているだろう!」

「ですが、叔父上」

「言う事を聞け。ウェルツ!」

 ツヴァイスの鬼気迫る形相に、ウェルツは仕方がないといった顔で、困ったように腕を組んだ。


「ツヴァイス司令、お願いです。母のためにも、もう戦いを止めて下さい」

 シャインは再び船縁にもたれるように手をつき、けだる気に顔を上げたツヴァイスへ呼びかけた。

 ツヴァイスは答えない。

 気持ちが揺れているのだろうか。おそらくずっと、盲目的にリュイーシャの事を思い続けたツヴァイスにとって、彼女が望まない行為を自分がすることなど、絶対に許せないはずだ。


「ツヴァイス司令。あなたがあの人を憎む気持ちは理解できます。俺もひょっとしたら、母の命を奪ったあの人を殺したい程憎んでいたかもしれない。けれど、俺にはそれができなかった。もう少しでできたのに、やはりできなかった……」

「シャイン」

 シャインは急に胸に込み上げてきたその感情を飲み下し、かろうじて声が震えそうになるのを抑えた。


「この航海服についた血はあの人のものです。あの人は俺を庇ってティレグに撃たれ負傷しました。けれど、多分助かると思います……」

 シャインは自分で口にしたその言葉を苦々しく噛みしめた。

 だが、アドビスが助かって欲しいと思う己の心に嘘はつけない。

 だからシャインは『助かると思う』と言った。


「アドビスは負傷したのか。君を庇って……?」

「はい」

 ツヴァイスは再び眉間をしかめ口を閉ざした。細められた紫の瞳は、ウインガード号へ近付いてくるエアリエル号と、ヴィズルのグローリアス号へちらりと向けられたようだった。

 シャインも二隻の位置を確認し、もう少し時間が必要だなと感じた。

「ツヴァイス司令。今の時点で、アドビス・グラヴェールに対するあなたの復讐は遂げられたことにはならない。けれどもう十分すぎるほど、この海には血が流れました」

「……」

 ツヴァイスは黙ったままだ。その隣にいるウェルツはそわそわと、腕を組んではそれを再び下ろす動作を繰り返している。

 シャインは舷側に立ち尽くすツヴァイスに向かって叫んだ。


「あなたが俺の母のためにという理由で――エアリエル号の人達やヴィズル達海賊の命を奪うのは、どうか止めて下さい。彼等にもそれぞれの故郷に、彼等の帰りを待っている人達がいるということを考えて下さい。大切な人を失う悲しみは、閣下が一番よくおわかりのはずです。ですから、どうか――」

 ツヴァイスが肩を落として、シャインを蔑むように息を吐いた。半ば伏せた瞳をシャインに向け、寂し気に――気弱な微笑を頬に浮かべた。


「君は私を買いかぶりすぎている。私は……私はね、自分のことだけで手一杯で、他人の苦しみや悲しみなんて理解できないよ」




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