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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
194/332

4-82 シャインの賭け



 ◇◇◇



「本当に一人で行くんですか?」

「ああ」

 正気の沙汰じゃない。

 愕然とした表情を浮かべ中尉のサーブルがシャインに言った。


 水兵達がエアリエル号の船尾に積載されている小型の雑用艇を海に浮かべてくれたので、シャインはサーブルと共に、それに乗り込んだ所だった。

 雑用艇の船底に格納されているマストを立てて、すでに帆が装着されている二つの帆桁を取り付ける。サーブルが上げ綱を引っ張って帆を引き上げると、それは風を受けてバタバタと波打った。


「ありがとう。後は一人で大丈夫」

「そうですか。では、お気を付けて……」

 サーブルは雑用艇から離れ、エアリエル号の甲板から下ろしてあった縄梯子に手を伸ばして足をかけた。

 シャインは雑用艇の船尾に腰を下ろして、舵柄を左手で握りしめる。


 その時だった。意志を持ったような激しい風が吹き込んできたのは。

 その風が止んだかと思うと、エアリエル号の下の海面が大きく波打ち始め、シャインの乗った雑用艇も木の葉のように左右に揺れた。


 ごぼごぼと碧海の底から白い泡がいくつも浮いて、辺り一面真っ白に水が濁る。

 海底の砂が巻き上げられたらしい。

 さらに海面を見ていると、大きくごぼっという音がして、ぷかりといくつも木材の破片が浮いてきた。

 大小さまざまなそれらは、あきらかにエアリエル号の下に沈んでいた船のものだ。

 まるで何年も海底に沈んでいたようにそれらは脆くなっており、波に揺られて流されて、エアリエル号の船体にぶつかるとあっさり砕けて再び沈んでいった。


 シャインは雑用艇の舵柄にしがみつきながら、船から振り落とされないように体を支えてそれらを見ていた。ヴィズルの術者としての力を思い知りながら。

 ヴィズルが沈船に宿っていた精霊を解放した結果、魂が抜けた船はあっという間に朽ちて、船体はばらばらに壊れた。精霊達は消滅して船も死んでしまった事になるが、これでエアリエル号は、ここから離脱する事ができる。


「……」

 ロワールはどう思うだろう。

 利用された挙げ句、消滅してしまった彼女達の事を同じ船の精霊として。

 シャインは複雑な思いを抱きながら、雑用艇の舵を握りしめた。

 北東約三百リールの所にいるツヴァイスのウインガード号の所へ行くため、南から吹いてきた風を雑用艇の帆に受ける。片手しか使えないので、風があまり強くないことにほっとした。


「風向き……変わったな……」

 ずっと北から吹いてきたそれは今、南に回っている。エアリエル号にとっては追い風になる。この風が変わらないうちに船を動かすことができれば、離脱もすんなりと上手くいくだろう。


 一方ウインガード号は、風向きが変わったためか砲撃を中止し、船の向きを変える作業に追われているようだ。

 シャインの読みは違わず、ウインガード号は今、船首を風下に落とし、船尾をシャインの方へ向けてエアリエル号から少しずつ遠のいている。

 小さく風下で一回転して方向転換し、南風を受けながら、今度は左舷側の砲門をエアリエル号へ向けるつもりなのだろう。そして大砲の命中率を上げるため、エアリエル号との距離を少し詰める気だ。


 シャインは舵柄を片手で握りしめ、できるだけ風をこぼさないよう帆に受けながら、ウインガード号へと向かった。砲撃が止んだ今、かの船に近付くにはまたとない好機だ。

 シャインはウインガード号が船尾を向けている間に、その距離を二百リールまで縮める事ができた。

 ウインガード号がゆっくりと白い帆を日光に反射させながら弧を描き、今度は確実に南風を帆に受けて、西へ進み出す。


 パンと破裂音が雲一つない空に、海上へ響き渡った。

 シャインが雑用艇で帆走して近付いていることに気付いたため、見張りが長銃で撃ってきたのだ。


 ウインガード号は西へ進む事をやめ、各マストの帆桁の両端についている転向索を引っ張り裏帆をうたせると、一時停船する動きを見せた。

 そして左舷側の上甲板とその下の第二甲板の大砲約20門が、一斉に砲門窓から押し出されるのをシャインは見た。再び撃つつもりだ。


 シャインはエアリエル号はどうしているか、後方を振り返った。

 やっとミズンマスト以外の二本のマストに主帆と、船首の舳先に三枚の三角帆を張ったようだが、まだ動き出してはいない。今ウインガード号が砲撃すれば、確実に被弾してしまうのは明白だ。


 シャインはエアリエル号とウインガード号との間に雑用艇を帆走させていた。距離は百五十リールを切り、ウインガード号の甲板でこちらを指差す水兵達の姿が何人も見える。

 見知った人間が沢山いた。昔一緒に食卓を囲んだ海兵隊長のグラハムや、副長ウインスレットのひょろ長い姿も見える。

 彼等はやはりツヴァイスの協力者だったのだ。

 シャインはそのことにいくばくか失意を感じながら雑用艇を操り、ウインガード号の船尾へと向かった。


 ウインガード号と百リールほど距離を開けて並走し、船首側から船尾側へと進んでいく。

 甲板にいる人間は、あくまでエルシーア海軍だとわかる格好をしていた。

 白い半袖のシャツを着た水兵達。紺色の航海服をまとった士官達。

 それが余計にシャインには腹立たしく思えた。


 左舷側の舷側から水兵達が容赦なく、シャインの船に向けて発砲する。

 それらを避けながら、ツヴァイスを見つけるのは難しくなかった。

 士官達の場所は指揮所のある船尾楼と決まっている。

 ツヴァイスはつばのある黒い帽子を目深にかぶり、黒い将官服の上に濃いワインレッド色の裏地をつけた黒いマントをはためかせ、艦長ウェルツと共に二重舵輪の傍らに立っていた。


「ツヴァイス司令! 話があります。聞いて下さい!」

 シャインはツヴァイスの姿を見つけて呼びかけた。

 その後をシャインの雑用艇がたてる白い航跡をなぞるように、水兵達が撃った銃弾が海面をえぐって水飛沫が舞う。


 ツヴァイスがシャインに気付いて左舷側の船縁に駆け寄った。

 ウェルツがとがめるようにツヴァイスの腕を取る。だがツヴァイスはそれを振りほどいて、甲板を指差しウェルツへ怒ったように命じた。


「私がいいというまで発砲するな。待機させろ!」

 ウェルツは嫌々ながらといった様子で、副長のウインスレッドを呼び寄せツヴァイスの命令を伝えた。

 シャインはウインガード号の船尾まで雑用艇を走らせ、そこでくるりと船を反転させると、再びツヴァイスが佇む指揮所の下まで戻った。

 上げ綱を緩め帆から風を抜いて速度を落とし、行き足で波間に漂いながら船を止める。


「シャイン。君はすでにアスラトルへ帰ったと、私は思っていたんだがね」

 ツヴァイスが柔らかい口調で親しげに呼びかけてきた。


 シャインはその声に惑わされる事なく、そっと雑用艇の座席から立ち上がって視線をツヴァイスに向けた。ツヴァイスはシャインとの再会を喜ぶように、うっすらと唇に微笑を浮かべている。だが度の入っていない銀縁の眼鏡の奥の鋭い瞳は、まばたき一つせず冷たい輝きを放ち、まったく笑ってはいない。


 ツヴァイスは二重舵輪がある指揮所の階段を下りた。そしてミズンマスト前まで歩き、左舷側の船縁に再び近付いた。目の前にいるシャインを見下ろしながら、ゆったりと口を開く。


「アドビスと合流してエアリエル号に乗っていたのか。おや、航海服が血で汚れているが、大丈夫かね?」

「ええ」

 シャインは短く返事をした。ツヴァイスが安堵するように胸に手を置き、肩をそびやかすのが見えた。


「それはよかった。さ、シャイン。そんな所にいないでこちらへ来たまえ」

 ツヴァイスは右手を上げてシャインへ差し出した。

 眼鏡の奥の紫の瞳が一瞬鋭い光を放つ。


「そこに君がいると大砲が使えないのだよ。早くしないと、海賊船が逃げてしまう」






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