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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-76 戦闘

 エアリエル号の左舷側へロワールハイネス号が寄って行く。エアリエル号の船体は第二甲板の砲門蓋が外に向かってすべて開かれ、そこからずらりと近距離用の大砲がのぞいている。

 ひゅんと風を切る音がして、ロワールハイネス号にも、エアリエル号の甲板から流れ弾が飛んできた。


「うわあっ」

 シャインの後方で舵輪を握る航海士がうわずった声をあげる。

 ロワールハイネス号のクリームがかったミズンマストの帆に、弾丸が通り抜けて小さな穴が開いていた。

「リオーネさん、ここは危険です。船内に入って下さい!」

 リオーネはシャインの顔を見て、それからその隣に立っているロワールへ視線を転じた。

「シャイン、気を付けて行くのよ。あなたの船は私の風で早急にここから離脱させます。だから私達のことは心配しないで」

 シャインは感謝の念をこめてうなずいた。

「ありがとうございます、リオーネさん。ロワールをお願いします」

「わかったわ」


 シャインは後部甲板から、ジャーヴィスが待つ船首右舷側へ行くため階段にかけ寄った。

「シャイン」

 ロワールが階段を降りるシャインを呼び止めた。振り返ると、ロワールは海風に舞う鮮やかな紅の髪を指で払い、シャインにひたと視線を合わせた。

「あなたの声が聞こえる所で待ってるから。すぐにかけつけるから。私は今度は、どこにも行かないから!」

 シャインは微笑んだ。自分を迷う事なく見据えるロワールの一途な瞳が、何時になく愛おしいと思った。

 すべてが終わったら、必ず彼女の元へ帰る。

 それを強くシャインは思った。

「行ってくるよ。ロワール」

 じっと見下ろすロワールの瞳に語りかけ、シャインはきびすを返して、後部甲板の階段を一気にかけ降りた。



 ロワールハイネス号の各マストに上げられている帆から、水兵達が上げ綱をゆるめて風を逃がしている。

 ロワールハイネス号は吸い寄せられるように、エアリエル号の左舷側に寄っていった。海底には海賊たちが沈めた小船の黒い影が見えているが、喫水の浅いロワールハイネス号の航行にそれらの影響はない。


「おーし、引き寄せるぞ!」

 すでにロワールハイネス号の右舷側で待機していた5名の水兵達が、ロープの先端に四つの爪がついた鈎をつけ、それをエアリエル号の左舷側船縁へと放り投げた。鈎がしっかりと船縁に引っ掛かったことを確認して、ロープを引っ張り、エアリエル号とロワールハイネス号の間をできるだけ狭めていく。


 シャインは彼等の後ろを通り、メインマストをすぎ、フォアマストの前で、ジャーヴィスがシャインを待ちながら、同乗していた士官候補生から片刃の剣と短銃を受け取っているのを見た。

 ジャーヴィスは手早く腰のベルトにそれらを身に付けながら、エアリエル号のそそりたつ壁のような船体をじっと見上げている。

「準備はできたかい」

 シャインを見て、ジャーヴィスはうなずいた。

「私は大丈夫です。あなたは……?」

 シャインは航海服のポケットから銀色に光る銃を取り出し、ジャーヴィスにそれを見せてから腰のベルトにそれをはさんだ。

「あとブーツに短剣をいくらか仕込んでる」

「結構です」

 ジャーヴィスは軽くうなずいた。


「グラヴェール艦長。さ、接舷しましたぜ」

 野太い声が右手から聞こえてきて、シャインはそちらへ顔を向けた。

 四つの爪がついた鈎を、エアリエル号の船縁へひっかけ、それが結びつけられたロープを大柄な水兵が握りしめてシャインを待っている。

 ロワールハイネス号より、エアリエル号の甲板の方が二リールほど高いため、シャインとジャーヴィスはこれで体を支えながら、船体をよじ登らなければならない。


「グラヴェール艦長、ジャーヴィス副長。お気をつけて」

 ジャーヴィスに武器を運んできた士官候補生のバレルが言った。ジャーヴィスと同じような栗色の髪の、がっしりとした体格の少年だ。シャインはバレルの肩を軽く叩いた。

「ありがとう。俺達が行ったら、船を沖合いまで動かしてそこで待機してくれ。どのタイミングで迎えに来るかは、この船のレイディが知っている。船が勝手に動き出したら、それに逆らわない事。わかったね?」


 バレルは一瞬きょとんと目を見開いた。無理もない。船は勝手には動かない。

 船の精霊も、船乗りの間で語られる迷信のようなものだ。

 シャインの言う事は、バレルが理解できる常識の範疇を超えていた。

「バレル、とにかくここから離れろ。後は艦長の言う通りにしておけば間違いない」

 止まりかけた士官候補生の思考を再び動かすために、ジャーヴィスがわかりやすく言い直した。

 ぱっと、バレルの表情が明るくなる。

「了解しました!」


 シャインとジャーヴィスは顔を見合わせ、お互いに困ったように苦笑した。

 だがそれも束の間で、シャインははっと息を詰めた。エアリエル号の甲板で、船縁にもたれるように、仰向けに倒れた海兵隊員の姿が見えたからだ。

 剣を振り下ろされて頭を割られたのか、顔が真紅のペンキをかぶったように血で彩られている。

 これから自分達が乗り込もうとしている船では、海賊と海軍が相反する感情に支配されながら、愚かな戦いを繰り広げているのだ。


 アドビスも今、多くの海賊を血祭りにしているのだろうか。

 シャインは一瞬血の臭いを強く感じて口元を押さえた。すでに左手が汗ばんで緊張しているのがわかる。ふと顔を上げると、目を細めてジャーヴィスがシャインの顔を覗き込んでいた。

「大丈夫だ……行こう、ジャーヴィス」

 シャインは水兵からロープを受け取った。

「はい」

 ジャーヴィスはうなずいたが、彼の顔も青ざめていてその表情は硬かった。


 シャインはロープを左手に巻き付けて、その張り具合を確かめた。ロワールハイネス号の船縁の上に立ち上がり、一リールほど離れているエアリエル号の、突き出た大砲の上めがけて飛び移る。半ばしがみつくような体勢で着地し、ロープを引っ張ることで後ろに傾きかけた体勢を整え、シャインはそのままエアリエル号の傾斜した船体を登り、船縁へ体を持ち上げた。


 そして体を滑らせるようにして甲板に乗り込もうとした時、黒髪を振り乱し、円月刀を持った若い海賊と目が合った。海賊は黄色い歯を見せて、そばかすだらけの顔に、にやりと不気味な笑みを浮かべた。

「なんだぁ? お前は」

 異様な高揚感で興奮した海賊が、円月刀を振りかざしシャインの方へ駆け寄ってくる。シャインは船縁で腹這いになっていた体を、左手に力を込めてもち上げ、そのまま立ち上がった。

 ひゅっという風と共に、海賊が船縁に沿って円月刀を水平に薙ぐ。

 だがシャインはその場で跳躍して刀をかわすと、海賊の胸ぐらめがけて船縁から飛び下りていた。


「がぁっ!」

 海賊は後ろへと倒れ、甲板に後頭部を打ちつけてしゃがれたうめき声を上げた。シャインは海賊の胸を踏み付ける瞬間に、受け身をとって肩から甲板へと着地する。甲板を転がって体勢を整え、船縁に背中を押し付けた。怯えたウサギのように周りをうかがいながら、ベルトにはさんでいた銃を左手に握る。

「大丈夫ですか!」

 シャインの背後からジャーヴィスの声がしたかと思うと、彼は船縁を乗り越え甲板に立った。

 どきどき脈打つ鼓動を抑えつつ、シャインは黙ったままうなずいた。


「ああ」

「手を」

 だがシャインは左手に銃を握っているので、ジャーヴィスの手をつかめない。

 ジャーヴィスはしまったといわんばかりに顔をしかめ、銃を持ったままのシャインの腕を右手でつかんだ。

「すまない」

 シャインは立ち上がり、ふと足元に黒ずんだ血だまりがあって、一リールと離れていない所に、別の海賊が腹から血を流し、目を見開き虚空をにらんで倒れているのに気付いた。


「……」

 一ヶ月前、ファスガード号で海戦の指揮をとった時のことが思い出された。

 あの時は夜だったし、斬り込み戦もなかった。血の色はこれほど鮮やかではなかった。シャインは海賊の骸から視線をひきはがし、呆然と周囲を見回した。

 目の前の船首右舷側にはヴィズルの船、グローリアス号が接舷して、がっちりとかぎ爪のついたロープでエアリエル号を固定している。


 火薬の臭いがむせ返るようにたちこめ、剣と剣が合わされる金属音が響いている。薄く煙った靄の中で、たくさんの黒い影がうごめいている。

 水兵達は白いシャツ、海兵達は水色の制服――服装を統一していなければ、自分の味方はどちらかよくわからない状態だ。

 また一人、海賊か海軍かわからないが、うめき声を上げて誰かがくずれるように甲板に伏した。

 ジャーヴィスもシャインの腕をつかんだまま、信じられない思いでそれを凝視していた。ジャーヴィスの指にぐっと力がこもるのをシャインは感じた。


 ジャーヴィスはファスガード号で砲撃を喰らった際、シャインを庇って負傷した。その時の衝撃をショックを、再び思い出したのではないだろうか。

「ジャーヴィス、ヴィズルは船倉だと言ってたね。あそこから下に行けそうだ」

 シャインはつかまれた腕を揺すり、ジャーヴィスの注意をうながした。

「え、ええ……そうですね」

 一瞬遠くをながめていたジャーヴィスの瞳が我に返り、フォアマストの前にある小さな昇降口に注がれた。


「ひょっとしたら、錨鎖庫に繋がれているかもしれません。そっちから見てみましょうか」

 軽く頭を振りジャーヴィスは応えた。思い出したかのように、ようやくシャインの腕を放す。

「ああ」

 シャインとジャーヴィスは裂けて役に立たなくなった、フォアマストの主帆が、カーテンのようになびく下を通り、血でぬかるんだ甲板を歩きながら昇降口へと近付いた。上からのぞくと、暗闇に第二甲板へ降りる階段が見える。


「私が先に行きます」

 鋭い口調でジャーヴィスが言った。

「わかった。気をつけてくれ。海賊がいるかもしれない」

「はい」

 ジャーヴィスは油断なく右手に銃を構え、昇降口を降りて行った。シャインも続けて入ろうとして、ふと依然視界のきかない船尾方向を見やった。


 アドビスは今どこにいるのだろう。

 おそらく後部の舵輪がある指揮所だと思うが。

 若い時から戦いに明け暮れていたあの男のことだから、まだやられるはずはないだろうが。

 そんなことより、早くヴィズルを探さなくてはならない。

 シャインも左手に食い込むほど銃を握りしめ、薄暗い第二甲板へ降りて行った。




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