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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-73 罠

「艦長! ブランニル艦長!!」

 艦長室の観音開きの扉が勢いよく開かれたかと思うと、そこには息を切らせ、慌てて軍帽を小脇に抱えた副長カーライトの姿があった。

「何事だ。騒々しい」

 そうカーライトに向かって言い放ったのは、ブランニルと共に海図を眺めていたアドビスだった。


 アドビスは普段着ている黒い将官服に、儀礼用の金鎖を右肩から三本這わせ、同じく双肩に金の肩章をつけていた。手櫛で目にかかる程度の前髪をかき上げ、円筒形の黒い軍帽を被っている。軍帽の縁には金のラインが入っている。


 同じように、ブランニルも普段着ている色褪せた航海服ではなく、いわゆる大佐の正装をしている。紺のコートタイプの軍服に、襟元と袖口に銀のラインが三本入っており、アドビスと同じように、右肩から三本の金鎖が右腕の脇下を通してつけられて、それらは揺れるたびに小さく光を反射している。


 海戦時には、可能であれば士官は正装することが昔よりのしきたりだった。

 特に船を指揮する艦長はきらびやかな正装で、その自らの地位を他者に知らしめる事を善しとする風潮があった。勿論、軍服を着た士官は、遠くからでも目立つので格好の狙撃の的になる。それで命を落とした者も多くいる。


 だがそれを恐れず、船尾の指揮所で指揮する艦長や副長をはじめ、士官候補生たちの存在は、平の水兵達や航海長などの下士官達の士気を大きく上げるのだ。


「船です。本船の後方……北から一隻、東より二隻、西より一隻、いずれも、二本マストのスクーナー船が近付いてきています」

 アドビスはすかさず机の上の海図にそれらの位置を書き加えた。

「風向きは東から北に変わりつつあります」

「わかった。引き続き見張りを続け……」

 ブランニルがカーライトに指示を出そうとした時だった。


「カーライト副長! スク-ナ-船はこちらに、まっすぐ向かってきます! 北から来る一隻が、物凄い早さで近付いてきます」

 駆け込んできたのは中尉のサーブルだ。

 アドビスとブランニルは同じ考えを脳裏に浮かべ、一瞬視線を合わせた。

「船足が早いのは船体が軽いからだ。回避しろ。ブランニル、船の向きを南東へ」

「はっ! カーライト、下手回しだ、急げ」

 ブランニルとカーライト、中尉のサーブルは艦長室から飛び出した。

 アドビスはその背中を見送らず、ひたと海図をにらみつけた。

 ヴィズルのアジトの島は周囲を珊瑚礁で囲まれており、あまり近付くと喫水の深いエアリエル号は座礁して身動きがとれなくなってしまう。

 取りあえず南東へ針路変更を命じたものの、船足を落とさないと、浅瀬に乗り上げてしまうのは目に見えている。


 アドビスは急にざわついた甲板の声に、はっと我に返った。

 取りあえず艦長室から外に出る。

 エアリエル号は針路変更のため、船首を風下に落として南東へ旋回している最中だ。

「中将閣下、やはり火船です! 後方に近付いていたスクーナー船から火の手が」

 ブランニルが上の指揮所からアドビスに向かって叫んだ。

「針路変更後、風を帆から抜いて船足を落とせ! 島にこれ以上近付いてはならん!」

 そう叫び返しながら、アドビスは周囲に視線を走らせた。

 エアリエル号の前方数百リール先には、島に唯一上陸できる白い砂浜が広がっていた。こんもりと深い緑が生い茂る木々の間に、古びた石造りの小さな城塞が見える。


 エアリエル号を追い詰めるように現れた、四隻のスクーナー船以外、船影はない。

 きっと島の裏側で、海賊の乗る本船が待機しているはずだ。

 そう読んでアドビスは島を東回りに一周することを考えた。風向きから察するに、海賊達の乗る船は島の南か西側にいるかもしれない。そうすれば上手く背後から近付ける。

 東側だけ火船用のスクーナーが二隻いることから、エアリエル号を東へ行かせたくない意図が見えるような気がする。


 北風にのって、いがらっぽい臭いがアドビスの鼻を刺激した。吸い込むとぴりっと刺激が走る。今は左舷側から、火の手を上げてマストまで燃え上がったスクーナー船の姿が見える。もうもうと周囲に白い煙をまき散らしながら。

 後は東前方から近付く二隻と、西側の一隻。

 東側の二隻はまだ火の手をあげていないが、遠ざかる西側の一隻は、アドビスが見ている前でいきなり炎が現れた。


「中将閣下、左舷砲列に水兵達をつかせます。一隻を撃破したあと、東に船首の向きを変え、右舷砲台で残りの二隻も沈めます」

 落ち着き払ったブランニルの声にアドビスは大きくうなずいて、戦闘の指揮を彼に任せることにした。

「急げ! 総員下の左舷砲台につけ!」

 副長カーライトが声をからして水兵達に命じた。中尉のサーブルもリュイットも水兵達をせき立てながら、メインマストの後ろにある開口部から急いで第二甲板へと降りる。


 すでに戦闘準備には入っていたので、エアリエル号の砲術長モイドールは、船の中間部分に当たる十台の大砲をいつでも発射可能な状態にしていた。

 砲門蓋を押し開き、黒光りする大砲を乗せている台車が走り回らないよう、かませていた車止めの木片を外し、弾込めをして大砲の砲身を一杯に押し出す。

 一つの砲台には五名の水兵と士官候補生がついて発射命令を待っている。

 下に降りてきた副長カーライトから艦長ブランニルの指示を聞き、モイドールは大きくうなずいた。


「副長、標的は小さいが、なんとか左舷側はこれだけで当ててみせますぜ。手の空いている者は全部、右舷の砲台につかせてやって下さい」

 モイドールは砲門窓から外を見つめ、炎上するスクーナー船の距離を計り大砲の角度を調節した。

「わかった。こっちはまかせろ」

「お願いいたしやすよ、副長」

 カーライトがモイドールのがっしりした肩を叩き、反対側の右舷側に移動する。




 エアリエル号の左舷側の大砲十門が、船首側から順番に火を吹き、そのうちの二発が炎上するスクーナー船のフォアマストをへし折るのをアドビスは見た。一番最後に発射された弾が、スクーナー船の船首左舷側をかすめ、その船体を傷つけると、立ち上った水柱が炎上する船にかかり、じゅわっと音を立てて水蒸気の煙を吐き出した。

 スクーナー船は動きを止め、はや、船首部分が沈み始めている。

 よくやったと心の中でアドビスは思いながら、今度はエアリエル号の針路上にいる二隻の同じスクーナー船に視線を止めた。


「針路変更、船首を東へ!」

 ブランニルが後部甲板の指揮所から叫ぶ。

 島に近付き過ぎているため、一旦距離をとるためだ。そうすればあの二隻とはこのまますれ違うことになり、やりすごすことも可能だが、ぎりぎりまで操船のために海賊が舵をとっているかもしれない。スク-ナ-船に火種のついた火薬樽を仕掛け、エアリエル号とすれ違いざまに爆発することになったとしたら、たまったものではない。


「まだだ。ブランニル、もう少し船首を東に向けさせろ! 角度がきつすぎて、このままでは砲撃できんぞ!」

「は、はい!」

 アドビスは後方を振り返り、ブランニルに向かって叫んだ後、エアリエル号の巨艦が重たげにようやく東に向きを変えはじめたのを確認した。

 前方からスクーナー船はさらに近付いて来る。その距離は三百リールをきっている。

 アドビスは右舷の船縁から身を乗り出して、エアリエル号とスクーナー船の間が徐々に開いているのも見た。


 初めはぶつかると思ったそれが、十リール、二十リールと間が開いていき、エアリエル号は先頭を行く、二本マストのスクーナー船を右舷側にみながらついに射程距離に捉えた。

 その時、他の二隻がそうであったように、草やたき木を船倉に積載して油を染み込ませ、火種を放り込んでいたのだろう。そのスクーナー船も白い煙を船体にある穴という穴から立ち上らせ、ついに赤い舌を出した炎が覆ったのだ。


 もうスクーナー船には、舵を取っている者はいまい。

 西に流れる潮流を利用し、舵輪をロープでしばって船の向きを固定して、エアリエル号の針路をさえぎるように流したのだ。

 ヴィズルはこちらでその身柄を拘束しているが、彼の他にもこの海域に詳しい人物がいることを暗に感じさせるやり方だ。

 アドビスは吹き付ける熱気と、船から上がるいがらっぽい煙に目をしばたきながら、炎上するそれを見つめた。


 エアリエル号の足元の甲板が大きくうち震える。

 硝煙の臭いが強くたちこめ、右舷の第二甲板から次々と砲撃が、炎上するスクーナー船へ食らい付くように放たれる。

 いきなり船鐘を頭に被せられ、がんがんと激しく金づちで叩かれているような轟音が船上で轟く。

 エアリエル号の視界は、自らが放った砲撃の火薬の煙で一瞬覆われた。

 めきめきと右の方でマストが倒れる音、海水が火に当たって蒸発する音が聞こえたが、沈んだかどうかまではよくわからない。

 アドビスはそれを確認するため、右の階段を上って後部甲板へ行った。舵輪の前でブランニルが右手を額の上にひさしのように当てて、やはり食い入るように、時折咳き込みながら見つめている。

 アドビスも煙を吸って思わず咳きをした。大砲の火薬のせいだけではない。

 それにしては煙が多すぎる。


「煙幕か……ゴホッ、ゴホッ」

「どうやら、その通り、かもしれません」

 ブランニルとアドビスは船縁に寄って、風上へと顔を向けた。

 白い霞が徐々に薄くなり、未だ炎上を続ける元は船らしき塊が、エアリエル号の後方にあるのが見える。先程の砲撃で二隻ともマストを吹き飛ばされ、ただ潮の流れに乗って西へ流されているようだ。


「やりました……」

 額の汗を右手で拭い、ブランニルはほっと息をついて、遠ざかる火船を見つめた。アドビスも一難去った事に、一瞬安堵の表情を浮かべたが、次の瞬間、エアリエル号がめきめきという音を立てて、ぶるぶるとマストを震わせ、身の毛もよだつ恐ろしいその音に体を強ばらせた。


「島の浅瀬はもう少し内側に入った所にあるはずだ。こんな所で座礁するはずがない!」

 アドビスは信じられない思いでそう叫びながら、何かにぶつかりそれでも前進を続ける、エアリエル号の船縁にしがみついた。

「見張りは何をしている! 何が起きた! 報告しろ!」

 ブランニルがやっとの思いで身を起こし、慌てて船首のほうから駆けてきた士官候補生の少年に向かって怒声を張り上げた。

 甲板では船が何かの障害物にぶつかった衝撃で、操船担当の水兵達が体を支えきれず皆倒れている。


 甲板は決して平坦ではない。三本あるマストの近くでは、大きな帆を上げ下げするために、補助の滑車が幾つも甲板に固定されている。それらに頭を打ちつけて昏倒している者もいるかもしれない。

 アドビスはようやくエアリエル号が止まった事に気付き、そしてそれは暗礁か珊瑚礁か、何かに船体がはさまったことを確信しながら体を起こした。


 すぐに真下の海を見る。

 海の色は外洋より色が薄いが、妻リュイーシャの碧海色の瞳と同じ、きれいな青緑をしている。何とも信じられないが、これだけの深度があれば岩場に船体を擦ることなどまずありえない。

 否――。

 アドビスはゆるやかにうねる海面の下で、無気味な黒い物体が幾つも沈んでいるのを見た。

 おそらくこれが暗礁と同じ役目を果たし、エアリエル号の動きを封じ込めたのだろう。

 アドビスはぐっと唇を噛みしめ、目の前にいるブランニルに船が座礁した原因を告げようとした。

 その時、アドビスの視界に前方からやってくる一隻の船の姿が入った。中型で三本のマストに鮮やかな青い帆をあげた船だ。


「ブランニル」

「中将閣下!」

 ブランニルはアドビスに呼ばれて振り返った。

 その青い瞳は大きく見開かれ、彼は再び前方に視線を向けた。

「あれが海賊の本隊ですぞ、きっと。海兵隊を甲板に召集させます」

「そうしてくれ。各マストの檣楼トップに狙撃手も配備しろ」

「わかりました」

 アドビスはぎりと奥歯を食いしばり、数分の内にエアリエル号を射程に捉えるであろう、中型の武装船を憎々しげに睨みつけた。

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