4-49 アドビスの目的
「いつこの島に着いた。ツヴァイス」
カウンターに腰を下ろしてティレグは遠慮なくワインのビンを開けて飲む。
ツヴァイスは差し出された酒のビンを片手で断った。
この男の粗野な振る舞いはまったくもって好きではない。本当ならすぐにでもこの海賊を捕らえてアスラトルへ連れ帰り、仕置き波止場でつるし首にして、骨と皮がひからびてそれらがぶつかって、からからと鳴るまで放置したい。
けれどそんな不快さをおくびにも出さず、ツヴァイスは涼しい顔で答えた。
「さっきだよ。北の浜へウインガード号を停泊させている。ロワールハイネス号の姿は見なかったから、どうやらシャインは、夜明け前にいち早く島を離れたようだな」
「……そうなるな」
苦いものを噛み潰し、胸が悪くなったように、ティレグは床に唾を吐いた。
一刻も早くここから立ち去りたい。
そう思いつつ、ツヴァイスは猫なで声でティレグに話しかけた。
「それで、先程の続きを聞こうか? 船長がシャインと共に島を出たのは確かに面倒な事だが……他に心配事でも?」
ティレグがワインのビンの酒を一気に飲み干して、むせかえる臭いを周囲に吐き出しながらそれを机に置いた。
「……ヴィズルは俺達を裏切るかもしれねぇ」
「ほう……」
ゆったりと肘を机につきながら、ツヴァイスは片眉を上げてみせた。
「どういうことだね?」
ティレグはツヴァイスの方を見ず、じっと目の前の空になったビンを睨み付けている。
「ヴィズルがアドビスを憎んでいるのは、月影のスカーヴィズを殺したのが奴のせいだと思っているからだ」
「……そうなのだろう? あの男がスカーヴィズを手にかけたのだろう?」
「へっ……そいつが違うのさ」
「ほう。では誰がスカーヴィズを?」
机に右手を付き、ティレグがツヴァイスに向かって身を大きく乗り出した。
「俺なんだよ。俺がスカーヴィズを殺したんだ。そのことを俺は奴に……あのアドビスの息子にしゃべっちまったんだ」
「……」
ツヴァイスは黙ったまま銀縁の眼鏡をかけなおした。
それは確かにまずい。しかもヴィズルがシャインの船に乗っている事は、海賊たちが何人も目にして、口々に言っていたから明白だ。
「なるほど……君の心配ごとはよくわかった」
ツヴァイスの唇には余裕の笑みが浮かんでいる。ティレグはかえって不安が増したように、そわそわと落ち着きなく体を動かして立ち上がる。
「てめえ、よくそんな涼しい顔してやがるな! ヴィズルが裏切ってみろ! アドビスを潰すどころじゃねえ! 俺達がアドビスに捕まっちまう」
「座りたまえ」
動揺の欠片すらない、落ち着き払った薄紫の瞳がティレグを射抜く。ティレグは右手の拳を振り上げかけ、それを渋々下ろして再び椅子に座った。
「何のために私がここに来たと思う? 最初からヴィズルを当てにしていた訳ではない」
絶望感さえ浮かんでいたティレグの瞳に奇妙な輝きが生まれた。それをちらりと一瞥し、ツヴァイスは静かに椅子から立ち上がった。
「何、どのみちこの島がアドビスの墓場となる運命なのだ。ティレグ副船長。アドビスは後二日でこの島にやってくる。ヴィズルが裏切ろうと、シャインがアドビスの船と合流しようと、奴は必ずここへ来る」
ごくりと、ティレグが生唾を飲み込む大きな音が響く。
ツヴァイスは手袋をはめた右手で、椅子に座ったティレグの頬をつかむと、どんよりとしたその目が、自分の顔をちゃんと見るように引き寄せた。
「アドビスの目的はただ一つなのだよ」
「そ、そいつは……一体」
ツヴァイスは二十年前、この島で自分が目にした光景が、ふと胸に浮かんでくるのを止められなかった。
甲板に力尽き倒れたリュイーシャをその腕に抱いて、艦長室に消えたアドビスは、数分としないうちに部屋から出てきた。ただちに海兵隊を召集させ、ツヴァイスに船の事を頼んだ後、当直の者以外の水兵をすべて武装させこの島に向かった。
海賊達を屠る(ほふる)ために。
あの夜から二十年という歳月がすぎたけれど、相変わらず海賊に対するアドビスの憎しみは消えようとしない。ツヴァイスは確信を持って口を開いた。
「あの男は二十年前、月影のスカーヴィズを殺した人間をずっと探しているのだ。だからお前がここにいる以上、アドビスは必ずこの島に来るのだよ」
強く握ったティレグの頬が、手を通してぴくぴくと痙攣しているのが伝わってくる。頬の下でがちがちと歯が鳴っているのが聞こえる。
「アドビスが……俺を、殺しに来る……」
すっかり青ざめて血の気のないティレグの顔を見ながら、ツヴァイスは薄い唇の両端に笑みを浮かべつぶやいた。
「私の言う通りに動きたまえ。ティレグ副船長。そうすれば、私がお前を守ってやる」
ティレグが目で訴えかけてきた。
「本当にか……?」
「ああ。お前次第だがな」
ツヴァイスの銀縁の眼鏡の奥で、紫水晶のような瞳が凄絶に光った。




