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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-39 『月影』の最期

「てめぇ……さっきから黙って聞いていれば!」

 シャインはティレグの睨みを受け流した。銃で彼を制してはいるが、隙をみせればすぐにでも掴みかかってくるだろう。

 シャインはティレグとの距離を常に計っていた。必要以上に近寄らせてはならない。


「お前が一番怪しいからだ。お前はスカーヴィズがエルシーア海から去ることに反対だった。だから彼女を裏切り、宿敵ロードウェル側について、それなりの見返りを、奴からもらおうとする計画だったんじゃないのか?」

「……」

 ティレグがまるで心の中を見透かされた人間のように、その動きを止める。

「てめぇ、なんでそんなことを知ってる。誰から聞いた。名前を言え!」

「名前か? ああ、それならよく知ってる。お前だ、ティレグ」

 ティレグは両手をつんつんはねた赤銅色の髪の中に入れてかきむしった。

「どういうことか、ちっともわからねぇ!」

 シャインは軽くため息をついて口を開いた。あくまでも推測の域だが、ティレグを追い詰めるには十分な効果があるはずだ。


「俺はお前の独り言を確かに聞いた。薬で眠らされて船倉に閉じ込められていた時にね。お前は俺が眠っていたと思っていたみたいだったが、しっかり聞かせてもらったよ」

 ティレグがわなわなと唇を震わせている。

「“あの夜、すべてを俺が手に入れるはずだったのに”」

 シャインは目を細めて付け加えた。

「それをぶち壊したのは、俺の母が起こした大嵐のせいだった。どうだ、違うかい?」

「てめぇ……やっぱり、てめぇだけは……あの時その細い喉をかき切ってやるべきだったぜ!」

 ティレグの足が一歩前に踏み出される。

 シャインはすかさず撃鉄を起こして銃口をティレグに向けた。

「けっ、てめぇに俺を撃つ度胸なんてあるもんか! その首へし折ってやる」

 ティレグの両腕がシャインに覆い被さろうと伸びてきた時、シャインはティレグを見据えたまま、自分でも驚くほど冷静に引き金を引いていた。

 銃口から白い煙が舞ったと同時に、狙いを定めていたティレグの左手に穴が開いた。

「うがあああっ!」

 ティレグが右手で左手の手首を掴み、その大柄な体を二つに折る。

 シャインは苦悶に顔を歪ませるティレグを見ながら、背後の扉の向こうの音に耳をそばだてていた。


 十秒……。


「く、くそっ……」

 ティレグがシャインに撃ち抜かれた左手から、真紅の液体をだらだらと流しているのが見える。


 二十秒……。


 かすかに聞こえるのは、大広間の快活な弦の調べと少しはずれた海賊たちの歌声。


 三十秒……。


 ティレグが唸る。

 シャインはまだうっすら煙が上がる銃をティレグの胸に突きつけたまま、安堵する自分を感じていた。

 銃声は聞こえなかったのか、誰もここへ来る気配がない。

 誰も来ない。

 大広間の馬鹿騒ぎのせいで銃声に気付かなかったのだ。


「くそっ! 馬鹿共が!! ぐうう……」

 悔しさと左手に穴を開けられた痛みで、ティレグの顔はさらに赤黒くなっている。シャインはそれをひややかに見つめながら口を開いた。

「さて、そろそろ真実を話してもらおうか。今までのように誤魔化そうとすれば、その時はお前を撃つ」

「うう……」

 ティレグの額に浮かぶ汗の玉の数が増えた。撃たれた左手の失血のせいもあって、赤黒い顔がだんだん青ざめていく。

「へっ、へへ……。こんなことしたって、無駄だと思うぜ……」

 シャインを脅すことをやめて、なんとか機嫌を直させようと愛想笑いをへらへらと浮かべている。

「それを決めるのは俺だ」

 シャインは銃口の狙いを胸から、酒樽を一つ抱えていそうなティレグの下腹部へと変更した。かちりと撃鉄を起こす。

 ティレグの前に立つシャインは、その自身の髪の色より顔色を白く青ざめさせていて、碧緑の瞳の中には、生命をこの手で奪うことへのためらいの感情が一切浮かんでいない。

 死人のように冷たい表情の中で、唯一ほのかに赤味がさしている薄い唇から、ティレグを誘う言葉が紡がれた。

「腹を撃たれたら、確実に助からないらしい。しかし死ぬまでとても長く、苦しいそうだよ……試してみるかい?」

「あ、ああ……」

 狙いを定められる銃口を見つめながら、ティレグが一歩、また一歩と後退し、シャインがその分だけ距離を詰める。

「ま、待ってくれっ、撃つな!」

 膝が震えたのか、ティレグがバランスを崩してその場に尻餅をついた。

「話す! 話すから!! 俺は確かに、スカーヴィズの言うことに納得いかなかったんだっ。ロードウェルがいなくなったエルシーア海をどうして捨てるようなマネをしなくてはいけねぇ! それが嫌だったんだよ!!」

 ティレグは座り込んだままシャインから顔を背けて、暗い床の一点を睨んだ。

 しばし、台所で火にかかった鍋が立てる湯気の音だけが辺りを包む。


「俺はあの女――スカーヴィズに言ったんだ。エルシーア海を捨てて東方連国へ行くなら、あんた一人で行ってくれって。あんたが頭の座を俺に譲ってくれれば、こっちは上手くやるからって。だが、あの女はうんと言わなかった。

『ティレグ。そんなことをすれば、またエルシーア海賊はバラバラになって、昔のようになってしまう』と言いやがってな!

 だから、俺はあの女を見限った。剣の腕は立つし頭も良い。黙って立っていれば月の女神のように綺麗な女だった。だが、奴――アドビスと付き合うようになってから、スカーヴィズはすっかり駄目になっちまった。俺達の頭じゃねえ。ただのつまんねぇ女になっちまったのさ。スカーヴィズはよ。俺は、そんな女になったあいつが許せなかったのさ」


 ふんと鼻で笑い、ティレグはシャインを見上げた。


「実に簡単だったぜ。あの女を殺すのはよ。アドビスが自分の船に帰ってから、スカーヴィズはずっと船長室で飲んでやがった。酒の瓶を運んだのは俺だから、薬を混ぜるのは雑作もないことだった。ただ、即効性だと酒を持っていった俺が疑われる。少なくとも手下達が会合の行われるアジトへ行ってから、効くように加減した。

 やがて夜になり、まさにこの大広間で最初で最後、エルシーア海賊の主だった船長達が一同に介して、会合が行われようとしていた。だが、スカーヴィズだけが来てねえ。

 当然だ。あの女は今頃船長室で血を吐いて死んでいるころだからな。

 俺は迎えに行ってくると言いつつ、それを確認するために船に戻った。


 船長室にはろうそくの灯りが灯っていた。俺が扉を開けると、真正面にスカーヴィズが立っていやがった! まだくたばっていなかったのさ。波打つ銀の髪を振り乱して、それがどす黒い色をした顔まで垂れ下がって……唇の両端から血を滴らせながら、俺の顔を見たんだ!

 ああ、あの形相といったら……! 俺はあの夜のスカーヴィズの顔が、忘れられねぇ……」


 ティレグは顔一面に冷たい汗を流しながら、ぎょろぎょろと目玉を動かして、大きく身を震わせた。

「おい、ちょっと酒を飲ませてくれ。体が寒くて……気分が悪い……」

 こんな話を聞かされる身にもなって欲しい。

 気分が悪いのはこっちの方だ。

 シャインは前髪を揺らして首を横に振った。

「――続きを。酒はそれからだ」

「頼む!! 酒がねえと……酒がねえと恐ろしくて話せねぇんだ!!」

 ティレグは膝をついたまま両手を上げ、それを無精髭で埋まった両頬につき立てる。

「怖ぇえんだよ、頼むから! しらふじゃ話せねぇっ!」

 突き立てた指に力が入り、それがティレグの頬をえぐっていく。恐怖のあまり自我を保てなくなっているのだ。

 赤い筋がティレグの頬を彩る。

 こちらまで狂気にあてられた気がして、胸の奥にいやな塊がこみ上げてくる。

 シャインは足元に転がっていた、ティレグの持ち込んでいた酒の瓶を見つけ、足を伸ばして軽くけった。

 酒の瓶はゆっくりと、うなだれるティレグの前に転がっていく。

「ありがてえ! ああ……」

 目にも止まらぬ早さで酒ビンにとりついたティレグは栓を抜くと、それを一気にあおる。太い日焼けした喉が上下に大きく動き、針金のような無精髭に、あふれた酒の雫が滴る。

「はぁ……はぁ……まだだ……まだ、酒がたりねぇ……」

「続きを」

 ティレグの願いを打ち砕くほどの冷酷さでシャインが言い放つ。

 それを肌で感じたティレグは、ううとうなった。

 小さくため息を一つついて、嫌々ながら口を再び開く。


「とにかく、スカーヴィズが薬の入った酒を、いくらか飲んでいたのは確かだった。足元はおぼつかなく、真っすぐ歩けなかったし、その声……。

 俺を一緒に地獄へ連れていくんじゃないかと思うほど、しゃがれた声だった。

スカーヴィズはよろめきながら、俺に短剣で斬り付けてきた。代々、頭の証とされているブルーエイジの短剣でな。

 この俺が死にかけた女に負けるわけがねえ。俺はスカーヴィズから短剣を奪ってその胸に突き刺した。

 あんな苦しげな表情を、いつまでもさせたくなかったからよ……。

 中途半端な所で酒に毒が入っていることに気付いたから、あの女は余計苦しむことになっちまった」


 青ざめたティレグは空になった酒のビンの口を傾けて、残った酒の雫が落ちてこないかと眺めた。


「その後……あの人……アドビス・グラヴェールが船に乗り込んで来たんだな」

 シャインの言葉にティレグはうなずいた。


「ああ。まったくアドビスには驚いた。奴が来るなんて思ってもいなかったからよ。部屋に入ってきたアドビスは、床に倒れているスカーヴィズを見たかと思うと、いきなり俺に斬り付けてきた。奴が剣を抜いたかと思った途端、俺は右手に熱いものを感じたが、その時はここから逃げることで頭が一杯で、まさか小指を切り落されたとは思っても見なかった。

 その一撃をかわした俺は船長室から逃げた。アドビスがすぐ追ってくるだろうと思ったが、奴は追ってこなかった。

 俺はすぐさまボートに乗って島へ戻った。ロードウェルに忠誠を誓う条件は、スカーヴィズを殺すことだったが、アジトに戻るころには大方の筋書きはできていた。

 アドビスがスカーヴィズを殺した。そういう風にしておけば、何もかもが上手くいく。俺がスカーヴィズを殺したことがバレれば、手下共が俺の寝首をかきに毎晩やってくるからな……」


 ティレグは酒の酔いが体に回ってきたのか、先程よりかは落ち着きを取り戻した様子でシャインを見上げた。歪んだ唇の間から、下の歯が何本か欠けた黒い空洞をのぞかせて笑う。

「だがこんな話ヴィズルに聞かせたって奴は信じねえぜ。なんせ今まで奴を守り、育ててやったのは、この俺だからな」

 ティレグの笑いは自信に満ちていた。

 その理由はわかっている。

 ヴィズルは何も知らないのだ。

 ただ盲目的にティレグの言葉を受け入れ、それが真実だと思っているだけ。

 二十年もの間、彼に欺かれていたことを今の瞬間も知らずにいる。

「それはどうかな」

 シャインは目を細めた。

「これからヴィズルの所へ行って、お前の口から同じ話をもう一度してみるのはどうだ」

 ティレグはへへへと薄笑いを浮かべて、首を振った。

「ヴィズルの邪魔をするわけにはいかねぇ。奴は今、とても忙しいんだ。アドビスと戦う準備のためにな」

「それではなおのこと、ヴィズルの所へ案内してもらおうか」

「嫌だね」

 重く風を切る音がかすかに聞こえたかと思うと、シャインは顔面に向かって投げ付けられた空の酒ビンを、身をよじってかわした。

 同時にしゃがんでいたティレグが立ち上がり、熊のようにシャインに覆いかぶさる勢いで突進してくる。


 ――駄目だ。

 シャインは引き金を引くことを、やっとの思いで自制した。

 駄目だ。

 ティレグを今殺すわけにはいかない。

 スカーヴィズを殺したのは自分だと、あの男自身の口から言わせないと、ヴィズルの誤解を解くことはできない。一生。


 不意打ちの心構えはできていたし、元々酒を飲んで足元がふらついているティレグの拳を見切るのは容易かった。

 昔は剣の腕を買われていたであろうティレグは、今は悲しいかな、ストームの言う通り、ただの飲んだくれと化している。

 シャインは手首をひねって銃身を回転させると銃の筒の部分を握った。突っ込んできたティレグを、まるでダンスの足さばきをとるようにやりすごし、空をかいて前のめりになった彼の背後に回りこむ。

 そして、針山のような髪が生えている後頭部へ、銃の台座で殴りつけた。

「ああ……ああ……」

 ティレグはしばし動きを止めて大きくうめいた。緩慢とした動作でシャインの方へ振り向いたかと思うと、充血した目を見開いて敵意も露ににらみつけてきた。

 何かの執念に憑かれているとしかいえないほどの凄まじさに、今度はシャインがゆっくりと後ろへ後ずさる。ストームが教えてくれた、外へ出る勝手口の扉まで静かに後退した。

 近付いてくるティレグから視線を外すことができず、シャインは震える手で銃をポケットにねじこみ、扉の握りを探した。

「絶対……殺してやる……小僧……」

 血まみれの、手のひらに空洞が空いたティレグの左手が伸びてくる。

 シャインは勝手口の扉を外に向かって押し開けた。

 ごおっと耳障りな音と共に、潮の臭いが混じった風が中へ入り込み、シャインの束ねていない髪を荒々しく乱す。

 一瞬それに視界を遮られたシャインは、払おうと左手を顔の前にかざした。

「……!」

 赤い塗料の缶の中へ突っ込んだようなティレグの手が、シャインの手首を掴んでいる。

 ティレグはひきつった顔を、酒臭い息がかかるほど近くシャインに寄せたかと思うと、にたりと凄絶な笑みを浮かべた。

 次の瞬間、ティレグの血走った目がぐるりと裏返って白目になり、大きな体がどさりと床にくずおれていくのを、シャインは呆然と見つめていた。

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