4-34 昔話
ストームの口から出た話は、先程から本当に驚かされっぱなしだ。
胸の奥で呪文のようにそう繰り返し思いながら、シャインはふと耳をそば立てた。灰色の冷たい石で組まれたこの牢屋は、牢屋の向側にある通路の天井に近い所に採光のための小さな窓がいくつも開いているため、ほんのり薄ら明るい。ちらりと通路の方へ視線をやったシャインを見て、ストームが相変わらず薄笑いをたたえたまま口を開く。
「大丈夫だよ。当分誰もここへは来ないから。今日の午後の見張りは、あたしが受け持ちだからね。さて、日没まで時間はたっぷりあるから、話をしようか」
シャインは立ち上がり、牢屋の錆びた鉄格子に近付くと、そこから左手の通路をのぞいた。
スト-ムの言う通り人の気配はない。
シャインは再び腰を下ろして胡座をかいた。
「聞かせてくれ。あんたが知っている“話”ってやつを――」
ストームは承諾した証拠に、その分厚い唇をゆがめて目を伏せた。
◇◇◇
「昔、エルシーア国の北の山々からは、金や銀といった貴金属、そして術者が泣いて欲しがりそうな力を秘めた、魔鉱石を山師達が採掘していた。山師が集まれば小さかった集落もやがて都になり、今の王都ミレンディルアができた。山々から掘り出されたその貴金属は船に積み込まれ、エルドロイン川を下り海へ出る。
今から二十年前。そのお宝を頂こうと、世界のあちこちから海賊を生業とする者達が、たくさんこのエルシーア海へ集まり、まさに海賊の全盛期を迎えていた。
エルシーア海賊は大きく二つの勢力に分かれていてね、南のアスラトル近海を縄張りとする『月影のスカーヴィズ』派と、北のジェミナ・クラス一帯を支配していた『隻眼のロードウェル』派だよ。
ちなみにあたしはスカーヴィズの方に属してた。あんたのように若い二十代の娘だったねぇ。あの頃のあたしは。父親に借金のカタにたった15万リュールで娼館に売られてね、すごく悔しかったよ。死ぬ思いでそこから逃げて、アスラトルを出る船に密航した。ま、それがスカーヴィズの船ガグンラーズ号だったんだけどね」
「……俺はあんたの身の上話を聞きたいんじゃないんだが……」
シャインは少しうんざりとしてつぶやいた。
ストームが勢いづいて自分の事ばかり話されても困る。だからすかさず釘をさしたのだ。
むっとするストーム。
「まったくせっかちな男だね。あんたは二十年前、どれだけエルシーア海賊が栄えていたか知らないくせに。まあ、いいさ。あたしはスカーヴィスの船に何時もいたわけじゃないからね。もっぱらこのアジトの島にいて、漁村の集落のふりをしながら、時にはその酒場にやってきた、海軍の連中を相手にしたこともあったよ」
ストームは昔日の栄光をその厚ぼったいまぶたの上に浮かべているのか、しばし目を細めて中空を見つめていた。
「……じゃ、前置きはこの辺にして、スカーヴィズの事を話そうかね。エルシーア海賊はさっき言ったように、南のスカーヴィズか、北のロードウェルか、そのどちらかを頭としていた。だがね、ロードウェルは実に強欲な男で海賊の『奪い取る』ってことしか頭になかった。商船が航路を通らない日があれば、白昼堂々と客船を捕まえ、乗客から金品を奪い、貴族の娘をさらってその身を奴隷船に売っぱらったり……まあ、後先考えずに好き勝手なことをやってたよ。
スカーヴィズはロードウェルを嫌ってた。奴のやり方のお陰でこっちは大迷惑をこうむったからね。ジェミナ・クラスから出て行く船をあれだけ襲えば、商船はおろか客船も、護衛船を同行させて船団を組むようになっちまった。
簡単に商船へ近付くことができなくなって、ロードウェル派の海賊船はどんどん南下してきた。アスラトルの近くで見るようになって、挙げ句の果てに目の前で、あたしたちの獲物をかっさらっていったこともあったよ。
流石に頭にきたスカーヴィズは何度かロードウェルに抗議したらしいが、あの男に何を言っても無駄だと、彼女はアジトの酒の席であたしに言った。
薄々みんなそれは思っていたよ。ロードウェルが隙あらば、スカーヴィズのアスラトル一帯の海賊船も自分の傘下に収めようとしているってことをね。
あの日……ちょうど彼女が殺される夜の一ヶ月前。
『ロードウェルもエルシーア海軍に片付けてもらうことに決めたよ』
アジトのスカーヴィズの私室には、酒を持ってくるよう命じられてそこにやってきたあたしと、スカーヴィズに付き従う副船長の『赤熊のティレグ』だけがいた。副船長は……ティレグは知ってるね」
シャインは「今更何を?」と呟き、皮肉を思いきりこめた視線でストームを見た。
「ティレグは……若い頃から酒に目がなくてね。けれど刀の扱いにかけては、スカーヴィズの次に強い使い手だった。今は酒の力で手下達を威張り倒す、ただの飲んだくれだがね」
ストームはふうっと大きく息を吐いた。なんだかとても気疲れしているような、そんな重苦しい雰囲気をシャインは感じた。
「今は、ってことは昔はそうじゃなかったのか?」
「……そうだね。酒は飲むが飲まれることはなかった。いつからだろうね? 酒が切れたティレグは、自分の影におびえる小さな子供みたいに、おどおどして人をそばに寄せつけないんだ。……と、話がそれちまったね」
シャインは気にしていないと首をふりながら、三日前、ヴィズルの船の甲板で、顎を二倍に腫らして自分をにらみつけるティレグの顔を思い出していた。
「ええと、そのスカーヴィズの部屋で、あたしは彼女の計画を聞いたのさ。あたしはアジトを守る女達の面倒を見る頭だったから、スカーヴィズは一目おいてくれてたんだろうね。詳細を要約すると、ロードウェルに和解の意思を伝え、スカーヴィズのアジトの島で、今後のエルシーア海賊のあり方を話し合いたいともちかける。勿論、ロードウェルの手下の船長達も同席させる。そして、連中に酒を飲ませて酔わせ……あらかじめアジトの位置を教えたエルシーア海軍にロードウェル達を一掃してもらう。だが、スカーヴィズの描いた筋書きは、見事に狂っちまった。計画実行のあの夜に」
「それはどうして?」
シャインがそうたずねると、ストームは意味ありげに目を細めた。
「スカーヴィズの計画が、ロードウェルに漏れていたのさ。スカーヴィズが、手下の誰かに内容を話したかどうかは知らないけど、誰にも言っていないのなら、彼女の部屋で話を聞いたのはあたしとティレグだけになる。誓って言うけど、あたしじゃないからね!」
シャインの疑うような視線を見たストームは、両手の拳を握りしめて大きく肩を震わせた。シャインの返答次第では、飛びかかってきそうな勢いだ。
「も、もちろん……疑ってなどないさ……」
シャインはストームをなだめるように、穏やかに答えた。ストームの言うことは本当だと思うから。ストームは金の事しか興味を示さないが、意外に義理堅い所がある。過去、スカーヴィズに助けられたストームが、彼女をおとしめることなどできるだろうか。考えるまでもない。
「実は、スカーヴィズが計画をあたし達に話してくれた時、こんなことも言っていたのさ。
『ロードウェルを一掃したら、このエルシーア海を離れるつもりだ。海軍はどんどん大きな船を作り、私達の自由を奪って行く。東の海はまだ未開拓で、新たな可能性に満ちた希望の場所だよ』ってね。けれど……よく考えてみたら、この言葉がスカーヴィズの運命を決めちまったんだろう」
「それは……」
シャインは黙ったままストームを凝視した。辺りに誰もいないと分かっていても、ストームはちらりと通路を目線でうががい、そっと声を潜めた。
「スカーヴィズのこの提案に、反対だった人間がいたのは間違いない。だからそいつはスカーヴィズを裏切り、ロードウェルに寝返るための土産として彼女の計画を奴に教えた。
だって考えてみてごらん? ロードウェルという邪魔者がいなくなれば、それこそあたし達の天下じゃないか。エルシーア海の覇者になったのに、何故それをあっさり捨てて他所の海に行かなければならない? あたしはがく然としたよ。ティレグだって、スカーヴィズに考え直すよう何度も説得してた。けれど彼女の決意は固かった。きっと……あんたの父親、アドビス・グラヴェールと敵対することを避けたかったんだろうと思うよ」
「……」
スカーヴィズとアドビス。初めはお互いの利害の為に組んでいた二人だったが、いつしか惹かれあうものを感じていたのかもしれない。
その証拠にスカーヴィズは自分が留まればアドビスと敵対することを確信し、エルシーア海から去ることを決めた。一方アドビスは、スカ-ヴィズのアジトを海軍が急襲する計画を知り、それを彼女に知らせるために、単身引き返している。
「俺も、そう思う……」
シャインは言葉少なげにつぶやいた。
「そこで問題なのは『誰が』スカーヴィズを裏切ったか? ということになる」
ストームの声は慎重さを増し、牢屋の中にそれが響かないように、さらにさらに低くなる。
「もちろん、ロードウェルと和解のための話し合いは、この島で行われた。どんな手でスカーヴィズがロードウェルと約束を取り付けたのかは知らないが、話は何時の間にか、このエルシーア海賊を一つに束ねるに至って、その頭領はスカーヴィズが務めることに決まっていたみたいだよ。だけど、今になってそんなことどうでもいい事だってわかった。だって、ロードウェルはスカーヴィズが自分をハメようとしていることを知っていたんだから。だから、奴は彼女を殺すつもりだったんだ。――ティレグを使って」
「……まさか……」
突然出てきた具体的な名前に、シャインは驚きを隠そうともせずつぶやいた。
ストームが何故か浮かない表情のままその様子をじっと見ている。
「どう考えてもティレグしかいないんだよ。スカーヴィズの計画の話を知っているのはあたしと副船長のあいつだけ。しかも、ティレグはロードウェルを潰した後、スカーヴィズがエルシーア海から去ることを反対していた」
「何か……推測ではなく、はっきりした証拠はないのか?」
ストームの表情が暗いのは、そのせいだろう。
証拠がないから確証が持てない。シャインは歯がゆいまでのいじましさを感じて、膝の上にのせていた左手をぐっと握りしめた。
「それがわかれば苦労しないよ。ただね、あの夜。アジトのこの建物の二階に大きな広間があるんだけど、スカーヴィズは自分の船の船長達と、ロードウェルの船の船長達の前で演説をするはずだったんだ。けど、時間になっても彼女は姿を見せなかった。それでティレグが船までスカーヴィズを迎えに行ったんだよ。しかし、ここへ戻ってきたのはティレグ一人。しかも転げそうな勢いで走り込んできた。
『アドビス・グラヴェールが船長を殺しやがった! 海軍の船が外にいるぞ!』
って、叫びながらね……」
シャインは思わずため息をついた。
あらゆる面からいってティレグが怪しいのは間違いない。
けれど肝心な所はわからずじまいだ。
「本当にティレグが……スカーヴィズを殺したと思うか?」
シャインの問いにストームは再び眉間をしかめた。小さめの瞳がそのしわの中に埋もれてしまいそうだ。
「……多分そうかもしれない、としか言えないよ。あたしの知っている範囲ではね。ただ、ロードウェルが誰かを使ってスカーヴィズを殺そうとしていたのは本当なんだ」
「何故、あんたがそんなことを知っているんだ?」
シャインは再びストームに疑いのまなざしを向けた。




