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ロワールハイネス号の船鐘  作者: 天柳李海(旧・天竜風雅)
第4話 碧海の彼方
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4-28 ヴィズルの伝言

 明るい緑の丘陵のふもとに、モノト-ンの屋根で覆われた建物が立ち並ぶ、しっとりとした趣の古都アスラトル。

 その都を象徴するのは、オベリスクのように滑らかな黒曜石の輝きと高さを持つ、エルシーア海軍本部の三角屋根。街を東西に分断して流れるエルドロイン川の河口のそばにあるそれは、海から帰ってきた時、アスラトルを見つける格好の目標物だ。


「帰ってきたぜー! 俺達、アスラトルへ帰ってきたぞ!! くうっ……」

 海軍本部のそそり立つ尖塔に、きらりと太陽光が反射するのを、ロワールハイネス号の水兵エリックは目ざとく見つけ、感慨深げに大きくその細身を震わせた。

「海賊にとっ捕まって……二度と故郷には帰れないかと思ったからなぁ」

 目元がひりひりして、きゅうんと鼻の奥がつまってくる。エリックはファラグレール号の舳先の前で、くすんくすんと鼻を鳴らし目をこすった。


「どうした、エリック。涙と鼻水で顔がずるずるだぞ?」

「……副長」

 彼の肩に手をおいたのは、エプロン姿からその瞳より濃い色の航海服に着替え、いささか眉をしかめて前方をみているジャーヴィスだった。

「泣かせて下さいよ、ジャーヴィス副長。アスラトルへ帰ってきた事に感動してるんですから。俺達、大変だったんですよ」

 ジャーヴィスはエリックの言葉にゆっくりとうなずいてみせた。

「クラウスから聞いた。何よりみんな無事でよかった。エリック、積もる話はたくさんあるが、アスラトルについたら私は本部に報告をしに行かねばならない。お前達はファラグレール号に残り、指示があるまで待て」

「わかりました」


 エリックは鼻を鳴らしながらジャーヴィスに向かってそう言うと、どんどん近付いてくるアスラトルの街並に視線を向けた。

 海軍の軍港は河口の東側にある。白い石で積まれた眩しい突堤には、このファラグレール号のような、数隻のスクーナー船が海に向かって舳先を並べ、積み込み作業に追われている。

 その突堤の反対側は、主に軍港を警備する5等級クラスの警備艦がいつも四、五隻海上に停泊している。何かあればすぐ外海に出られるように。そして、河口の奥の方には、軍艦の建造や整備のための造船施設が立ち並び、時には外洋艦隊の1等級クラスの大型船が係留されていたりする。


「ああっ?」

 素頓狂な声を上げたのは、食い入るように軍港を眺めていたエリックだった。

 と、同時にジャーヴィスも目を見張る。

「一体、どうしたんだ?」

 ファラグレール号が風上に向かって進むように動きながら、速度を落とし軍港内に入っていく。

 いつも海上で待機している五隻の警備艦が、なぜかすべて奥の突堤にずらりと係留されているのが見えた。大砲を40門積んだ、動きは差程軽快ではないが、軍港を守るための浮き砲台としての役割をするその軍艦が――。

 舳先から。あるいは船尾の方から、一様に薄い煙を上げてそれが上空へたなびき、筋状の雲を作っている。


「なんか、ボヤ騒ぎでもあったのかな……」

「……わからない」

 ジャーヴィスとエリックは、驚きに意識を持って行かれ、焼けこげた警備艦を黙ったまま見つめていた。

 突堤の上には、水色の軍服を着た、港湾警備に携わる連中がたくさん歩いていているのが見えた。火はおそらくすでに消し止められたみたいだが、警備艦の中にはミズンマストの帆まで焼けて、焼け残ったそれが、ぼろ布のように風にあおられているものもある。上げ綱が中途半端なところで焼け落ち、畳まれていた帆が、だらしなく垂れている船もある。金色のペンキで縁取られている、船尾の窓も、すすで真っ黒になっている。

 それらの船を見ながら、ファラグレール号は対岸の突堤にすべりこむようにして近付いて、行き足を止めた。


 停船してからジャーヴィスは、ロワールハイネス号の水兵達をリーザに頼み、クラウスを伴って、まっすぐ海軍本部へと向かった。警備艦のボヤ騒ぎが原因だろう。本部のエントランスホールには、灰色の軍服を纏った普段より多くの憲兵達がたむろしていた。

 いつもはない身体検査を入口で受けて、別館にあるアドビス・グラヴェールの執務室にたどりついたのは、入港してから1時間後のことだった。


 アドビスは黒い将官服の上着を脱ぎ捨て、白いシャツとベスト姿という、じつにラフな格好で、執務席の椅子に腰を下ろしていた。

 きっちり後方へかき上げられている深い金髪の前髪が、ここ数日様々な雑事のために、忙殺されている状況を表すように、ぱらりぱらりと額に垂れている。

 だが落ち窪んだ青灰色の瞳には、疲れを知らない鋭い光が灯っていた。


「先触れで聞いた。――ロワールハイネス号の乗組員を保護したそうだな?」

 部屋へジャーヴィスとクラウスを手招きしながら、開口一番にアドビスが言った。低くうなるようなその口調は、あきらかに彼の命令を途中で放り出したことが気に喰わないためか。

 ジャーヴィスはクラウスを伴いながらアドビスの机まで近付き、すっと頭を下げた。

「申し訳ありません。閣下の御命令に背いた事は重々承知のうえです。ですが、すでにご存知の通り、ロワールハイネス号の――私の部下達を保護してアスラトルへ帰る事が先決だと判断しました。ここにいるクラウス士官候補生が、実はヴィズルから閣下への言づてを受けていたので、それを早くお伝えしたかったのです」


 ヴィズル、と聞いて、アドビスが一瞬青灰色の瞳を細めた。険悪な光を宿したその眼が、アドビスとは初対面で緊張しきったクラウスとジャーヴィスに容赦なく注がれる。

 まだ漂流からの疲れが抜けていないクラウスは、アドビスに見つめられる事でさらにその顔色を青ざめさせた。

「――ヴィズルだと? 何故お前達がその名を知っている」

「それは……」

 ジャーヴィスはアドビスに今までの仔細を話して聞かせた。

 どこでシャインがヴィズルと知り合ったか知らないが、ツヴァイスの紹介で、ロワールハイネス号の航海長として乗ることになったということを。

 そして彼がロワールハイネス号を乗っとり、乗組員を連れ去った事を。

 その正体は海賊である事を。

 ジャーヴィスは話しながら、反対にアドビスが何故ヴィズルを知っているのか気になった。ひょっとしたら、シャインが報告書にヴィズルの事を書いていたのだろうが、ヴィズルがアドビスを指名して、クラウスに言づてを頼んでいる事から、この二人の間にはもっともっと因縁があるのだと思う。


「クラウス士官候補生」

 机の上で肘をつきながら、アドビスが呼びかけた。

 大きく肩を震わせ、クラウスが目を見開く。

「はっ、はい」

「座りなさい。そちらへ。ジャーヴィス中尉、君もだ」

 アドビスは右手を上げて、傍らの応接椅子を示した。ゆっくり執務席から立ち上がり、二人が腰を下ろした椅子の向い側に自らも座る。

「話を聞かせてくれ」

 アドビスが膝の間にがっしりとした両手を組んでつぶやく。クラウスは、大きくうなずいてみせると、ゆっくりと息を吐いて口を開いた。


「ヴィズルが僕達を解放する条件として、これを一週間以内に閣下に渡すよう、命令されました」

 クラウスは色褪せた水色の士官候補生の制服の上着を探り、金色に光る真鍮の筒を取り出すと、そっとアドビスに差し出した。

 アドビスはひきしめた口元をゆるめることなく黙って受け取った。

 その大きな両手にすっぽり入る大きさの筒をアドビスは見つめていたが、やおら上面の端に爪を立て、蓋をこじ開けた。

 小さく空気を震わせるような澄んだ音と共に蓋が開く。

 アドビスはいぶかしんだ表情のまま、筒を傾け、転がり落ちてくる中身を受けるため左手を添えた。

 きらりと水色を帯びた光がアドビスの瞳に映る。左手の中にこぼれ落ちたそれは、なんの飾りもない古風な銀の指輪だった。


 ――いや、違う。

 ジャーヴィスはアドビスの手の上にあるそれをみて、はっと息を飲んだ。

 銀ではない。

 自分はあの指輪を、どこかで見た事がある。


『拾ってくれてありがとう。これは、母の形見なんだ――』


 ジャーヴィスは膝の上においた両手の拳にぐっと力をこめた。

 こんなことが起きるなんて考えもしなかった。

「そんな……」

 唇を震わせ声をもらしたジャーヴィスを、アドビスがちらりと一瞥する。

 だがジャ-ヴィスはそのことに気付かなかった。

 思い出したのだ。これはシャインの指輪。

 いつも右手にはめていた、彼の母親の形見の品。


 筒の中にはまだ何か入っているようだった。アドビスが顔色一つ変えず、指輪をガラス張りの応接机の上に置くと、筒の中に指を突っ込んでそれを引き寄せる。

 取り出されたのは白い紙切れ一枚。

 アドビスは黙ったままそれを広げ、文面を読む。

 ジャーヴィスは胸中穏やかにならない自分を、なるべく落ち着かせようとしたが、どうしても目線が机の上に置かれたシャインの指輪にいってしまう。

 ヴィズルがこれを送って寄越したということは、シャインはヴィズルに捕まっている事に他ならない。


「ふん――」

 小さくあざ笑うアドビスの声がした。

 アドビスは手にした紙切れを元通りに軽く丸めると、再び筒の中に押し込めた。

 しかし指輪は、机の上に置かれたままだ。


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